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ミュルクウィス・Ⅶ

 

 いつの間にか、訝しげなライルが後ろに立っていた。


「なにやら揉めているようですが」

「いえいえ、とんでもない! まったく、なにをどうしたらそんなふうに見えるんです? 僕はただ、ソフィに婚約者になっていただけないかってお話ししていただけですよ」

「……は?」


 ライルがぴくりと眉を動かした。


「あーあ、せっかく二人きりでいい雰囲気だったのに、あなたのせいで台無しじゃないですか」

「……。私には嫌がるソフィにあなたがなにか無理強いしようとしているようにしか見えませんでしたが」


 ライルの薄氷のような視線は、その(つら)の下に隠されたものを暴こうとシルヴィスに向けられている。


「あなた、そんななりをしてるくせに男女の睦言の類いもわからないんですか? 最中に他所の男が口を出してくるなんて、本当に野暮もいいところですよ!」


 自信満々なシルヴィスに、なにも言わない私。

 ライルは疑わしげな視線を今度は私に投げかけてきた。


「本当か?」

「ねぇ、ソフィ」


 その視線を遮るように、シルヴィスが耳元に口を寄せてくる。


「黙って突っ立ってないで、なんとか仰ってくださいよ」


 シルヴィスの囁き声。ライルの募るような視線。喉がカラカラに乾いていく。


「ねぇ、いいんですか? ミュルクウィスのフランク伯爵の権限、欲しくないんですか? 今まで散々馬鹿にしてきた奴らを黙らせなくていいんですか? その傷、治さなくていいんですか? この先一生、誰からも愛されなくてもいいんですか!」


 ライルが、私を見ている。


「なにを言われていた」

「別に、あなたには関係ないでしょう」


 シルヴィスがにんまりと微笑み返す。


「何度も言いますが、場違いなんです。用があるならあとにしてください」

「だったら、」


 ライルの凍るような視線が、今度はシルヴィスへと向けられた。


「だったらなぜ、ソフィにこんな顔をさせている。二人でいったいなにを話していた? もしもソフィを傷つけるような真似をしているのなら、」

「君はさっきからなんなんだ? ただの同僚のくせにしつこくしゃしゃり出てきて、馴れ馴れしいにもほどがある!」


 シルヴィスはまたあの顔をした。柔らかな笑みの中から覗く、獰猛な嗜虐さだ。


「関係のない人は口を挟まないでください。ねぇ、ソフィ」


 シルヴィスはどうやら愉悦に浸っているみたいだった。目の前にぶら下げた餌を前に、結局は私は断らないのだろうと確信しているようだ。


「ソフィ? ちゃんとソフィが選んで、自らの言葉で断言してください。ここで宣言するんです! どうやらそうしないと、そこの同僚の方も納得できないみたいですからね」

「ソフィ」


 振り返ってきたライルに目を覗き込まれ、肩を掴まれた。


「なぜ黙りこくっている?」


 戸惑ったようなライルの声。

 ライル、ルイ、ネイサン、オフィーリア、オーウェン、サイラス、オスカー、私を見下した貴族たち、みんなの顔が次々に思い浮かぶ。

 私は、私は――。


「ソフィ?」

「ソフィ!」


 二人の声が私を促す。

 強張った口を無理やりに動かして、なんとか声を発しようとして、でもその前に、身じろぎしたライルが一歩後退ろうとした。

 ――もしかして、はっきりしない態度に呆れられた? 勘違いされた? このままシルヴィスの元に置いていかれる? ……でもそれは嫌だ、だってこの人のそばにいれば、こんなのが続けば、私は――ソフィア・ランドルフを蘇らせてしまう。

 咄嗟に、ライルの裾を掴んでいた。


「……あの」


 頭が真っ白になる。果たしてこれでよかったのか。パッと手を離そうとして、でも向けられたアイスブルーの瞳を見上げたら。


「嫌だ……」


 出てきた言葉に、ライルの綺麗な目が見開かれた。


「ソフィ……」


 それからのライルの行動は早かった。


「ともかく、そもそもこれ以上の話をするならまずはランドルフ家を通せ。ちょうどそこに騎士ランドルフもいる、あとは彼にでも言うことだな」

「あ、ちょっとっ、君!」

「これ以上は護衛業務にも差し支えるので。失礼」


 ライルはかなり強引に会話を打ち切ると、私の肩を押してその場をあとにした。








 ライルは歩きながら、こっちを見ることもなくぽつりと尋ねてきた。


「なぜすぐに返事をしなかった?」


 私もライルのほうを見れなかった。ただ足元を見つめる。


「……断って、よかったのかなって」


 ライルの空気が変わった。


「よかったのか、とは?」

「……」

「もしかして奴と結婚したかったのか? 余計なことをしてしまったか」

「違う! けど……」


 今さら自分の気持ちを優先してしまったことへの罪悪感が湧いてくる。

 私さえシルヴィスを受け入れてしまえば、ネイサンたちにとっては願ってもない展開になったかもしれないのに。


「ソフィはあいつのことが好きなのか? この先もずっと、奴と一緒に生きていきたいのか」

「っ、そんなわけない」

「だったらなにも悩む必要などないだろう」


 その言葉に顔を上げる。


「これから先もずっと、一緒にいたい。そばでその人の生を見守っていたい」


 ライルの冷静な声が突き刺さってくる。


「そう思えないのであれば、受け入れる義理などない」


 しばらく、ライルの冷静な横顔を眺めていた。


「役に立たなくても?」

「役に立つとか立たないとか、いったいなんの関係がある。君の結婚に一番大事なのは君の気持ちだろう」


 こっちを向いたライルの、真っ直ぐなアイスブルーの瞳が私を切り裂いていく。


「なにを言われたのかは知らないが、貴族のしがらみとか国の事情とか、私たちには関係のないことだ。私たちはブライドン学院卒の魔術師で、そして君はただのソフィだ。それ以上でも以下でもない」


 いつの間にか浅く早くなっていた呼吸が落ち着いて、ぐるぐると濁っていた思考がやっと静まっていく。じわじわと貶めて追い詰めてきたシルヴィスに対しての恐怖心を、今さら自覚した。


「正直に言うと、怖いとすら思ってて……」

「そう思うのなら、なおさら結婚なんて無理だろう。そんな状態で一生そばにいるつもりだったのか。無謀すぎる」


 半ば呆れたように、でも落ち着かせるように軽く背を叩かれて、ようやく深く息を吸い込むことができた。

 ……そうだ。私はなにを躊躇っていたのだろう。シルヴィスの力を借りてエスパルディアに貢献したところで、ネイサンが喜ぶはずがない。

 これは、この旅は私が私の力で魔術師とはなにかを示してこそ、意義があるのに。

 やはり自分は異様な雰囲気のシルヴィスに引きずられていたのだと、ライルが来てくれなければどうなっていたことかぞっとする。


「……ライルは」


 ぽつりとこぼした言葉を、ライルは待ってくれていた。


「ライルだったら、結婚相手はそうやって決めるの」


 ライルはしばらく返事を返さなかった。

 見上げた先のアイスブルーの瞳はまたそろりと逸らされ、考え込むように宙を彷徨っている。やがて戻ってきた彼の視線は、少し困惑の色を含んでいた。


「そうだな」


 その声には、先ほどまでの冷徹なまでに徹底した冷静さは消えていて、いつになく戸惑っているみたいだ。


「そうかも、しれない」


 随分と躊躇った言い方。

 まるで自分のことは考えてもいなかったとでもいうみたいに。


「少なくとも、誰かのためになんて絶対にしないな」

「そう……」


 ライルがいやに断言してくるので、私はどうしても確認したい衝動に駆られた。


「それが家族や、国のためになるとしても?」

「しない」


 ライルの声は確固たるものだった。


「それとこれとは関係ない。私は私だ」


 向けられた視線は、言い聞かせてくるみたいで。勢いに押されてこくりと頷くと、ライルはやっと安心したように身を離していく。


「とにかく、あとはもう奴の相手は()()()にでも任せよう。普段あれだけソフィの兄を自負しているんだ。こんなときに役に立たなくてどうする」


 ライルはぴしゃりとそう言うと、振り向いて出迎えてくれた聖女様へと微笑みを向けた。


「ルナ、すまないな。待たせた」


 聖女様はそっと首を振って、儚げな笑みを浮かべる。


「護衛業務の真っ最中にすみませんでした」

「ううん……いつもありがとう」


 気づいたら、聖女様のそばにいたはずのオーウェンの姿もない。


「ところで、オーウェンは?」

「……奴は奴で、だな」


 ライルはこれみよがしにため息をついて、やっと微笑んでくれた。


「まったく、ランドルフ家というのは揃いも揃って人たらしらしい」


 ライルは所用で少し抜けたオーウェンの代わりに私を呼びにきたらしい。

 ライルやブリジットさん、セヴランさんに見守られながら談笑している聖女様の元で過ごしていると、だけどすぐにオーウェンも戻ってきた。幸い、彼が席を外していたのはそう長い時間じゃなかったみたいだ。

 わずかに苦笑いを浮かべたオーウェンを、聖女様はどこか切なそうに微笑みながら出迎える。

 臨時で聖女様をエスコートしていたセヴランさんはやっとお役目から解放されると、さっさとエスコート役をオーウェンへと押し付けた。

 再び聖女様の周りでサポートする三人を眺めながら、もう一度会場内を見直そうとセヴランさんと二人ぶらぶらと歩く。そういえばと、さっきまでオーウェンのそばにいた人物が見当たらないことに気づいた。


「あれ? マーリットさんはどちらに」

「ああ、あっちにいるよ」


 疲れたとでも言いたげに、後ろからついてきていたセヴランさんがぼやく。

 たしかにマーリットさんはオーウェンから少し離れた位置で聖女様の護衛を買って出ているようだった。だが、先ほどまであんなにもオーウェンにべったりとしていたのに、今はまるで避けるように背を向けている。


「ソフィにも色々とあったように、おまえさんの兄さんにも色々とあったんだよ」


 その一言で()()とやらを察した私は、それ以上は言及するのを控えておこうと余計な口を閉じた。








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