ミュルクウィス・Ⅵ
シルヴィスから距離をとろうとするも、彼はそんなことなどお構いなしに不必要に身を寄せてくる。
「ねぇ、君っていったいなんのために今回の旅に呼ばれたんでしょうね」
シルヴィスはまるで心底私の身を案じているとでも言いたげに、柔らかく微笑んでみせた。
「君以外のそのほかの護衛の皆さんって、君と違って揃いも揃って優秀じゃないですか。家柄も問題ない、見目も麗しい、物腰も洗練されていて完璧だ。おまけに護衛としての腕も立つ。これじゃあ君なんて必要ないじゃないですか」
この人の言うことをまともに聞いてはいけないとわかっているのに、その一言はけっこうに堪えた。
傷ついたら負けだ。こんなの、真に受けたら呑まれてしまう。
「ってことは、君ってもしかして、別に浄化の旅についていく必要もない?」
「……あのですね、いつまでもこんなところで時間をとられて迷惑なんです」
自分でもこんな声が出せるんだなと思うほどに、冷たい声が出た。
「なにが言いたいんです? 手短にお願いします」
「あれー? 結構わかりやすかったと思うんですけどね」
シルヴィスはあくまで、親しげで友好的だった。
「ではお望み通り、手短に言いましょう。一目惚れなんです。君が欲しい」
ぽかんと思わず口が開く。まさかの、本当にそういう話だった。
「いやね、もうほんと……僕だって参ってるんですよ。正直、一瞬でした。あなたを見たその瞬間、僕はその卑屈な視線に釘付けになりました! 重苦しい魔力の構築に見惚れました。一人だけ異質なくせに、皆の陰に隠れようとする無駄な努力がとっても可愛くて、そうやってあなたのなにもかもが僕を虜にして離さない。それになによりもその傷痕ですよ……あなたが忌み嫌われている証拠である、それ! 僕は初めてそれを目にしたときに、これ以上ないほどに心を鷲掴みにされたんです!」
とても人を褒めているようには聞こえないが、シルヴィスはまるでそれが私の美点だとでも言いたいかのように恍惚として告げてくる。
「僕はね、君が欲しくて欲しくてたまらないんです。今すぐにでも浄化の旅を止めて、僕のそばにいてほしいんです」
シルヴィスの柔らかな瞳は心底そう思っているかのように、ある意味真摯だった。
「それにこれはソフィにだってメリットのある話ですよ」
ミュルクウィス魔術師団副師団長の地位。それに違わぬ魔術師としての実力。爽やかで見目麗しい貴公子としての姿。
「君は僕と婚約することで次期フランク伯爵の妻という身分を手に入れることができます。そして僕は妻となった愛しい君のためならば、エスパルディアへの魔術創傷薬の流通に制限をかけることも、逆に融通を利かして優先的に流すことも、すべて君の望むままに応えます。考えてもみてください。今まで君のことを蔑ろにしてきたエスパルディアのその生命線を今度は君が握るんです。追い詰めるもよし、恩を着せるもよし。君の機嫌一つで変わるんです。それってこの上もない愉悦だと思いませんか!」
そのとき、思い浮かんだのはネイサンの顔だった。
「ねぇ、ソフィ、エスパルディアの人って滑稽だと思いません? 魔術師をあれだけ馬鹿にしておきながら、実質その魔術で作られた薬に頼っているなんて、しかもそのことに殆どの人は気づいていないなんて。ミュルクウィスの薬はいやによく効くって……ほーんと笑えちゃう。ソフィだってここにいればそれを嘲笑える、どうとでもできる立場になれちゃうんですよ?」
吹き込まれるシルヴィスの声はまさに悪魔の囁きだった。
私がこの人と結婚すれば、ネイサンの役に立てる? サイラスもオーウェンも喜んでくれる?
実は魔術師は役に立つ存在なんだって、手っ取り早くエスパルディアに広めることができる? そうすれば、ライルだってもっと生きやすくなる?
「もちろん、ソフィのような強力な魔術師の血が入るのならば我が家としても万々歳ですよ。フランク家は平民だの貴族だの、そんな細かいことは気にしません。我がフランク家に必要なのは、絶対的に強力な魔術師の血です。僕はソフィほどの苛烈な血の女性魔術師とはお会いしたことがありません。これはまさに出会うべくして出会った、僕たちは運命の者同士なんです!」
シルヴィスのその言葉は毒だった。いや、もはや毒なのか蜜なのかもわからない。それはまるで白雪姫に押し付けられた毒りんごのような、甘い甘い餌だ。それをシルヴィスは目の前に吊り下げながら、獲物が罠にかかるのを今か今かと待ち構えていた。
「それに僕はあなたのその傷痕を癒すこともできます」
真正面から覗き込んでくる目を、まじまじと見上げる。
「この傷痕……すごいですよね。さすがエスパルディアと言いますか。真っ直ぐに切りこまれた、躊躇いのない切創痕。これを目にする誰もがその異様さに息を呑むでしょう?」
シルヴィスの視線が左腕から足のほうに這っていく。咄嗟にドレスの奥に足を隠すも、視線は離れない。
シルヴィスは慈しむように、無遠慮に腕の傷痕に指を滑らせてきた。
「ねぇ、ソフィ。僕ならこの傷痕をもっと目立たなくすることができますよ。こんな傷痕を晒して遠巻きにされることも、いつも傷痕を隠すような野暮ったい服ばかり着ることももうなくなりますよ」
薄青の綺麗な髪をさらりと揺らがせて、シルヴィスは私を舐めるように見下ろした。
「その見返りに君をください」
さわりさわりと傷を撫でていた指が止まり、唐突に強く掴まれた。ヘーゼルの淡い瞳が目の前に迫ってくる。
私はなにも返せないまま、シルヴィスを見返すことしかできなかった。
シルヴィスの目的はいったいなんだ? 私が欲しいなんて……理解が追いつかない。
要は私の魔術師としての血が欲しいという話か? たしかに魔術師からは魔術師としての素養を持つ者が生まれやすいとは聞くが、だからといって因果関係は解明されていないし、第一ライルのようなパターンもある。
それでも、そうまでしても私の血が必要?
シルヴィスの言い分を必死に理解しようとしてみるけど全然わからなくて、おまけにシルヴィスは私がこれ以上考えるのを阻止するかのように畳み掛けてくるのを止めなかった。
「ねぇ、ちょっと考えたらわかりますよね。今ソフィがどうすべきか、冷静になったら一目瞭然ですよね? 正直こんな上手い話はもう二度とないと思いますよ」
柔らかな声が耳元にねじ込まれてくる。そうやって次々と畳み掛けられると、思考を邪魔されてまとまらなくなる。まるで誘導するように、シルヴィスは考える間を与えずに邪魔をしてくる。
「急に言われても……」
シルヴィスの笑顔に苛立ちがちらりと滲んだ。
「急にって、そんなこと僕の態度からわかってたでしょう? 僕がソフィを狙ってたことは誰の目にも明らかだったじゃないですか。それともあんなにアタックしてたってのに、今さらしらを切るつもりですか?」
「ええと……いや」
シルヴィスは焦れたように私の体を揺らしてくる。
「あのねぇ! こんな好条件の男がしょうもない君をわざわざもらってやるって言ってるんですよ? こんなチャンス、君にはもう二度と訪れることなんてないでしょうに! いいから、焦らすような真似は止めてください。そんな態度を取り続けるつもりなら、こっちだって強引な手を使いますよ?」
傷痕を掴む手にさらに力を込められる。
思ってもみなかった展開に、容赦なく心を削り取ってくる言葉。それをまるで好意だと言わんばかりの笑顔で押し付けられて、なんだか頭がおかしくなりそうだった。
このままじゃシルヴィスに呑まれてしまう。
そのとき、後ろから肩を押さえられた。
「どうした?」
怜悧なライルの声が、ぐちゃぐちゃな思考を切り裂くように突き刺さってきた。




