ミュルクウィス・Ⅴ
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なかなか更新できず、すみません。
夜会の準備中に感じた違和感。
今回用意されていたのは淡いペールブルーのサテン生地が美しい、スレンダーラインのドレス。
レースの手袋も用意されていて、一見するとなんの変哲もないドレス。だがスカートには今まで入ったことのないスリットが入れられていて、この深さだと歩くときに傷跡が見え隠れしてしまう。
……もしかしたらこれ、シルヴィスの仕業なんじゃ、なんていうのは勘繰りすぎか。ここ数日接してきた中で、彼は私にやたら傷跡の話題を振ることが多かったから。
そうでなくても鏡に映ったちぐはぐな姿は苦笑ものだ。三カ国目にして至上最高に似合わない、大人っぽくて色っぽいドレスを割り振られてしまった。
姿を現すのをちょっと躊躇っていたら、いつの間にか夜会の時間になってしまっていた。
慌てて聖女様のもとに戻る。ほかのみんなはすでに準備も終わっていて待たせてしまっていたようだった。
「すみません!」
「ソフィ、大丈夫か? 随分と支度に時間がかかったみたいだが……」
ブリジットさんがすぐに駆け寄ってきた。だが彼女の視線がそのスリットに固定されたまま、言葉尻が途絶える。
ブリジットさんはとっさにどう反応したらいいのか躊躇ったようだった。彼女が気遣ってしまう前に、私はなんでもないように笑ってみせた。
「こういう大人っぽいドレスを着るのは初めてで、ちょっと手間取ってしまって」
「そ、そうか……」
「失礼」
聖女様のそばで談笑していたライルがすぐにやってくると、徐ろに私の足元に跪いた。ライルは懐からなにかを取り出すと、スリットが広がらないようにと取り付ける。――それは、彼がリースグラスの葉を加工して作ったローブブローチだった。
ゆらゆらと光るリースグラスの葉が透明な樹脂の中に閉じ込められている。まるで炎のゆらめきのような、はっとするほど力強い輝きを持ったブローチだ。
「応急処置だから激しく動いたら外れてしまうかもしれない。気をつけて」
一旦ローブブローチでスリットの半ばを固定すると、ライルは長いまつげを伏せ、スリット部の合わせにするすると高速で構築文を書き込んでいく。やがて、とりあえずの構築文で布地をある程度のところまで簡易接着したライルは、俯いていた顔を上げた。その額には汗が滲んでいる。
完成されたドレスに手を加えるという発想すら思い浮かばなかった私は、ライルの大胆かつ繊細な構築文にただただ見惚れていた。
「とりあえずこれで行けるか、ソフィ」
「うん、……ありがとう」
なんだか覚えのない感情に喉を塞がれて、私はそれしか返せなかった。声を出すと色んなものが溢れてきそうで、なにも言えない。
「今回は素直にお礼を言うよ。ありがとう、ライオネル君。君、ほんとソフィに対してはいつも素晴らしい対応力を発揮してくれるよね」
オーウェンはなにかを言いたそうに束の間私のほうに視線を向けていたが、幸いにも気を取り直すようにオーウェンは笑顔を浮かべ、それ以上触れることなく「よし、それじゃあ行こうか!」と号令をかけてくれた。
ミュルクウィス特有の優美な装飾を施されたほの明るい夜会会場の入り口には、待ち構えていたようにマーリットさんとシルヴィスが待っていた。
「オーウェン様!」
マーリットさんはオーウェンを見つけるなり舞い上がったように彼に抱きつくと腕を絡め、やや強引にエスコートを勝ち取ってしまった。
「おいおい……」
セヴランさんのぼやきにライルがイライラしたように頭を掻き、彼は気後れ気味の聖女様に気遣うように声をかけて、二人は腕を組んで会場に入っていく。マーリットさんを呼び止めようとした私の声は、賑やかな喧騒にかき消されてしまった。
「ソフィ」
まるで歌うように名前を呼ばれ、満面の笑みのシルヴィスに優雅に腕を差し出される。
渋々その腕をとるとギュッと力を込められ、逃げられないように固定される。そうして初めて、私はその笑顔の奥のヘーゼルの瞳が笑っていないことに気づいた。
「ソフィ、なんだかそのドレス……」
シルヴィスの視線がスリットを固定するローブブローチに向けられている。
「誰か素人が余計な手でも加えたのかな? せっかくの美しいシルエットが台無しですよ。よかったら僕が調整してあげましょうか?」
「いえ、お気になさらず」
ちょっと煩わしいなと思ってしまった。
それ以上ああだこうだ言われたくなくて、やや強引に話を遮る。
黙りこくってしまった私を気にすることもなく、それでもシルヴィスはなんやかやと相変わらず呑気に話しかけてくる。
聖女様はライルのエスコートの元、何事もなくミュルクウィスの貴族たちと交流を図っているようだ。そのそばには見守るように、マーリットさんを連れながらもオーウェンが控えている。
きらきらしくて美しい四人組は本当にお似合いで、ちんちくりんな私とは天と地の差だった。
「でも、可哀想に」
ダンスを踊っている皆を眺めながら、話の切れ間。唐突にシルヴィスがポツリと言葉をこぼした。
「ソフィにはこんなにも醜い傷痕が残ってますから、みんな避けちゃいますね。誰も聖女様のようにはちやほやしてくれない」
レースの手袋の下からうっすらと透けて見える、忌々しく盛り上がった醜い瘢痕組織。
「それにソフィは平民ですもんね。どこの馬の骨かもわからない、高貴な血とは比べるべくもない、圧倒的に存在価値のない平民。しかもエスパルディアでは魔術師って詐欺師って呼ばれてるんでしょ? あーあ、本当に可哀想」
にこりと笑ったシルヴィスはいつも通り優しげで、そこに悪意があるようには見えない。
「でも安心してください。僕ならそんなこと、気にもしませんから」
この人は突然なにを言ってるんだろう。
顔色一つ変えずににこやかに私を侮辱する彼が理解できなくて、唖然と見上げる。
「あの、行かなくていいんですか? みんなもう踊ってますよ」
ちょっともう、彼から離れたい。
ホールから戻ってきた聖女様とオーウェンを見て、シルヴィスとの会話を打ち切ろうとする。
「待ってください。ダンスよりもソフィに大事な話があるんです」
マーリットさんをエスコートするライルを振り仰ぐ。彼と目が合うも、シルヴィスはすぐに私の視線をその背で隠した。
「ソフィ、これは真剣な話です。ちゃんと僕を見て」
見上げた先には穏やかな顔で私を見下ろすシルヴィス。まるで今からプロポーズでもするかのようにどことなく改まっていて、そんなわけがあるはずないのに、随分と頓珍漢なことを思ってしまった。
「手短にお願いしますね。あくまで聖女様の護衛中ですから」
「へぇ……本当にバカ真面目なんだなぁ、ソフィは。君一人くらいいなくたって別にどうってことないでしょうに」
ダンスが終わって再びマーリットさんに独占されているオーウェンの代わりに、聖女様のサポートを務めているライル。そのそばにはブリジットさんとセヴランさんもさり気なく控えている。
聖女様の護衛兼サポートは滞りなく行えている。……たしかにシルヴィスの言う通り、私がいてもいなくても別になんの問題もないのだろう。
「だからって早々に自分の役目を放棄していい理由にはならないでしょう」
「……ソフィって、」
シルヴィスは優しげな顔にちらりと冷笑を浮かべ、私の耳元にそっと顔を寄せてきた。
「君ってなんの価値もない、生きる意味もない平民生まれの詐欺師のくせに、なんでそうも堅苦しいんでしょうね。ははっ、エスパルディアで散々そう馬鹿にされてきたのに、それでも国のために利用されるソフィってほんと惨めで可哀想。ねぇ、その悲惨な現状を変えたいとは思わないんですか?」
シルヴィスは優しげな笑顔の奥から傲慢な残酷さを覗かせた。彼は身を寄せたまま、まるで捩じ込むように囁いてくる。
「見返したくないですか? 馬鹿にした奴らを笑い返さなくていいんですか? ……そのチャンスを、僕ならソフィに与えてあげられますよ」
見上げたシルヴィスの笑顔は、まるで悪魔の誘惑そのもののようだった。




