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ミュルクウィス・Ⅳ

 

 魔術師団室に着く直前、繋いだ手を離そうとして、逆にこれでもかと強く握り込まれた。


「あの」

「どうしました?」


 身を寄せて覗き込んできたシルヴィス。


「手を……」

「もう少しだけ、こうしてちゃ駄目ですか?」


 伺うような言葉を口にしながらも、シルヴィスが手を離す気配はない。振りほどくのは諦めて魔術師団室へと入る。

 広々とした魔術師団室での一角、作業台のところで幾人かのミュルクウィス魔術師団員が聖女様とオーウェン、ライルを取り囲んでおり、それぞれリースグラスの葉の加工を手伝っていた。


「ソフィ?」


 盛大に顔を顰めたライルに呼ばれる。


「ここにいたんですね」


 振りほどけないシルヴィスを連れたまま、オーウェンたちに近づいていく。


「シルヴィス、魔術師ランドルフをご案内してさしあげて」


 マーリットさんはオーウェンの隣に立った私をやんわりと追い払おうとした。


「ここは生憎と満席ですわ。あちらでどうぞ」

「そんな……」

「私は終わりましたから。ソフィ、ここを使うといい」


 聖女様の反対隣にかけていたライルが気を利かせて席を譲ってくれた。次いで向かいにシルヴィスが腰かけようとする。

 そのシルヴィスの姿を胡散臭そうに眺めるライル。

 よかった、ライルがいる。それだけでなんだか心強くて、無条件に安心してしまう。ふと、私は自覚していなかっただけでシルヴィスを警戒するのに相当気を使っていたのだと気づく。


「買い物は終わったのか」

「うん。行く前にシルヴィスに会って、それで案内してもらったんだ」

「二人きりでの買い物、楽しかったですね、ソフィ」

「え……ええ、ありがとうございました。助かりました」

「……。それはどうも、魔術師フランク。ソフィが世話になったみたいで」


 ライルの探るような視線にも、シルヴィスは笑顔を崩さなかった。

 ライルたちはここでそれぞれ渡したい相手のことを考えてリースグラスの葉を加工していたのだろうか。

 オーウェンはおそらく聖女様のことを。聖女様もおそらく今は、オーウェンのことを。ライルは、ライルも聖女様のことを考えながら作っていた?

 マーリットさんも交えながら、四人で仲良くはしゃぎながら作っていたのだろうか。

 その時間に交じれなかった。ライルはいったい誰のことを考えながら作ったのだろう。

 ……今はそんなこと、どうだっていいのに。それよりもオーウェンがマーリットさんとどう接していたかだ。

 オーウェンたちのほうを伺うと、今まさに作り終わったリースグラスの加工品の話をしていたところだった。


「オーウェン様、とっても素敵な首飾りですわ。きっとそちらを贈られる方は幸せ者ですわね」

「いえ、丁寧に教えていただいたからこそですよ。僕は加工といったら押し花くらいしか思いつかなかったけど、魔術で特殊な乾燥をさせて装飾品にすることもできるって教えてもらって、なんだか目から鱗でした」

「わたくしも滅多にリースグラスの葉の加工はしないのですけれど、今日はどうしてもお渡ししたい方がいて、張り切ってしまいましたわ」


 マーリットさんが期待に満ちた上目遣いでオーウェンを見上げる。


「オーウェン様、わたくしのこの指輪はただ一人オーウェン様のことを想って作らせていただきましたの」

「魔術師ニルセン、その、とても素敵な指輪だと思います。それに」


 オーウェンの声はあくまで優しく、眼差しも決して冷たくはなかった。


「色々と親切に教えてくださってとても感謝しています。今日もルナのためにこんな催しをしてくださってありがとう。おかげでルナもいつになく楽しく過ごせたと思います」


 オーウェンが、隣で別の魔術師と会話している聖女様のほうをちらりと見る。その眼差しは温かい。私でもちょっと妬けるなと思うくらいに、慈しみに溢れた眼差しだった。


「ですが僕は受け取れません。魔術師ニルセン、あなたのその指輪はもっとあなたに相応しい男性が現れたときのために、大切にされてください」

「オ、オーウェン様……」


 ……なんだか私の杞憂というか、出る幕もなかった。

 オーウェンは優しく、でもきっぱりと言い切ると、お礼を言って自分が作ったものを懐へとしまい込んでしまった。

 聖女様も恥ずかしそうに自分で作った加工品をささっと隠してしまって、二人がなにを作ったのかはよく見えなかった。


「ね、ソフィ」


 いつになくオーウェンらしからぬその様子になんだか気が抜けていると、焦れたようにシルヴィスが促してきた。


「とりあえず約束を果たしてくださいよ」

「あ……はい」


 約束した手前、見せないわけにはいかないのはわかっている。だけど今は懸念していたことも起きなかったし、なにより。


「でも私もリースグラスの加工というものをしてみたいんですけど」

「そんなの、あとで手取り足取り教えてあげますから、ね?」

「シルヴィス」


 ため息を深くついたマーリットさんが見兼ねて助け船を出してくれた。


「あなた、また魔術師ランドルフを困らせてはいないでしょうね?」

「まさか」


 シルヴィスは肩を竦めて爽やかに微笑む。


「とにかく、魔術師ランドルフもいらしたんだから、リースグラスの葉の加工を体験してもらいましょう。今ならわたくしが直々に教えて差し上げてもいいわ」

「本当ですか! ではお言葉に甘えて」

「えーっ、ソフィ、僕は?」

「それは……魔術師ニルセンが教えてくれますので」

「約束はちゃんと守ってくださいよ?」

「わかってますよ」


 教えてくれると言っていたライルは、出来上がった加工品を見せてほしいとはしゃぐ女性魔術師たちの人だかりに見えなくなってしまっていたので、私はマーリットさんに教えてもらうことにした。


「では魔術師ランドルフ、リースグラスの葉はこのままではすぐに萎びてしまいますから、特殊な加工を施して装飾品などに加工してしまいましょう。やはり恋人には自分が作ったものを身に着けてもらいたいでしょう? 指輪に耳飾り、首飾りにアンクレットまで、我が国の魔術を使えばいかようにも加工できますわ」

「でしたら、これなんか作れます……?」


 ごにょごにょと囁いた私に、マーリットさんは束の間じとりとした目で私のことを見つめていた。


「あの……?」

「……いえ、なんでもありませんの。可能ですわ」


 マーリットさんに材料を用意してもらい、それに適合する構築文を教えてもらって早速取り掛かる。

 シルヴィスは向かいのマーリットさんの隣に腰掛けて、にこにことこちらを眺めている。聖女様はオーウェンも交えて、ミュルクウィス魔術師団の魔術師たちと交流している。

 みんなに知られずこっそりと作るなら、今だ。


「魔術師ニルセン」


 つまらなさそうな顔で、本当はもっとオーウェンと話したいのだろう。でもそれでも私に付き合ってくれる彼女。


「ありがとうございます」


 見上げたマーリットさんはきょとんと目を瞬かせたのちに、仕方なさそうに微笑んだ。


「いいえ。ミュルクウィスの文化に興味を持ってもらえるのは喜ばしいことですから」


 マーリットさんはふうと息を一つ吐くと、本格的に私に構築文を教え始めた。








「ソフィ、終わりました? いい加減にしないと時間がなくなっちゃいますよ」


 ちょうど加工し終わって一息ついたタイミングで、焦れたようなシルヴィスに声をかけられた。

 顔を上げると、完成品を眺めるようにシルヴィスが覗き込んでいる。


「へー……ソフィはそれを誰にあげるつもりなんですか?」

「内緒です」

「えー? いいじゃないですか。教えてくれても」


 探るような視線のシルヴィスに首を振る。


「それとも、交換するまでのお楽しみってやつですか?」

「そうかもですね。それより、ほら」


 強引に話を打ち切って、乱雑に袖を捲ろうとすると、慌てたようにシルヴィスに遮られる。


「ちょっとちょっと……せめて二人の目が届かないところに行ってからにしましょうよ」

「私の目の届かないところでなにをするって?」


 腕組みをしたライルの厳しい声が響く。

 女性魔術師の人混みを抜け出して、目敏く聞きつけたライルが身を乗り出してきていた。


「魔術師フランク、ソフィといったいどんな約束を?」


 にこりと口角を上げてはいるが、そのアイスブルーの瞳はまったくといっていいほど笑っていない。


「やだなぁ、魔術師アディンソン。野暮なことを聞かないでくださいよ。そんなの二人の秘密に決まってるじゃないですか」


 シルヴィスの言い草に思わずシルヴィスを睨みつけたけど、彼は嬉しそうに笑っただけだ。


「ソフィ?」

「いや、その……」

「私には話してくれないのか?」


 なけなしの愛想笑いですら消し去ってしまったライルに詰め寄られ、私は呆気なく降参した。


「シルヴィスが、傷痕を見たいって……」


 ライルはこれ見よがしにシルヴィスを睨み上げた。


「そんなことだろうとは思っていたが……」

「だって、約束は約束ですから」


 シルヴィスはもういっそ清々しいほど開き直っている。


「何度も言ってますが、君には関係のないことですよ。男女の仲のことに野暮な口は出してこないでください」

「なにが男女の仲だ。いいや、出させてもらいますよ」


 ライルの口調も強くなる。


「なぜ君はそうやってソフィに強引に迫る。女性に傷痕を見せろだなんて、しかもよりによってあのときの傷痕をだ。はっきり言って、君は正気か?」

「そんなこと! 彼女がいいって言ったんだからいいじゃないですか!」


 シルヴィスの笑みに獰猛な色が混じる。


「ソフィが言ったんですよ。見せてもいいと。僕は嫌がることなんて強要してません!」


 シルヴィスの主張にライルの視線がこっちに向く。その視線を受け止めることはできなかった。


「本当か?」


 それに頷くしかなかった。だって約束したのは本当だ。

 魔術師団室に行きたいと気が急くあまり、それ(傷痕)を取り引き材料にした。


「だったらここで。君が本当に嫌がることを強要しないか、目の前で確かめさせてもらう」


 ライルにため息を吐きながら促されて、もうどうにでもなれと左腕の袖を捲り上げる。

 一瞬、その場の空気が凍りつく。様子を見守っていたマーリットさんまでもが私の傷痕に注視している。


「ああ……」


 少し離れたところで伺っていたオーウェンも聖女様も、マーリットさんでさえもなんと言っていいかわからないとでも言うように固唾を呑む中で、シルヴィスだけがうっとりと頬を上気させて手を伸ばしてきた。


「約束は守ったな」


 それを遮ったのは、ライルだった。


「……え?」

「ソフィはたしかに君に傷痕を見せた。これで君も満足だろう」


 ライルは素早く袖を下ろすと、庇うように私を後ろに隠した。


「満足って……これで満足するわけないでしょう!」

「だが約束は約束だ」


 目を見開いて震えるシルヴィスを前に、しかしライルは退かなかった。


「ルナ、そろそろ戻ろう」


 ライルは戸惑っている聖女様を促して、オーウェンに目配せした。そのままシルヴィスから遠ざけられる。

 すかさずオーウェンがその場にいたミュルクウィスの魔術師団員にお礼を述べ始め、それに聖女様も続く。

 なんだかうやむやになってしまった空気感の中、見開かれたシルヴィスのヘーゼルの目だけがいつまでも私を追ってきていた。








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