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ミュルクウィス・Ⅲ

 

 ミュルクウィスの浄化の神殿は、周りを鬱蒼と茂った森に囲まれているところにぽつりと建てられているそうで、近くに気軽に買いに行けるお店などはないらしい。

 私は聖女様のために日持ちのするお菓子を買いだめしておこうと、羽織っていた純白のローブを脱いで地味な私服に着換え、翠の宮の門前で身分証明を門番にかざしていた。


「ソフィ!」


 門番に許可をもらって門をくぐっていると、後ろからここ最近すっかり聞き慣れた声に呼び止められた。


「シルヴィス……?」


 カジュアルなベスト姿の小粋で爽やかな青年、シルヴィスが親しげに手を振りながら、私のあとを追いかけてきていた。


「ソフィが出かけるのを見かけたものですから、慌てて後を追ってきちゃいました。そんな格好でいったいどちらに?」

「……ちょっと市場まで」


 シルヴィスはにこりと安心させるように笑いかけてくる。


「それなら、せっかくですからご一緒にどうですか。こう見えて市場にはよく行くんです。お役に立てると思いますよ?」


 そう言うと、シルヴィスは強引に隣に並んできた。








 日持ちのするお菓子を探していると言うと、シルヴィスはいくつかおすすめのお店を教えてくれた。


「こちらのお菓子なんかはどうですか?」


 ドライフルーツにしたベリーを織り込んで焼いたベラベッカのような焼き菓子を見ていると、シルヴィスが一つ買い込んでいる。そして徐ろに開封すると、中身を一つ摘んで差し出してきた。


「……え?」

「食べてみないことには、わからないでしょう?」

「でも」

「遠慮しないで。ほら」


 シルヴィスは容赦なく私の口に放り込むと、自分も一つ摘み上げて食べだした。


「ね、美味しいでしょう?」


 呆気にとられている私を尻目に、シルヴィスは爽やかな笑顔を向けてくる。


「あ……えっと、ありがとうございます」


 戸惑いよりもなによりも、ミュルクウィスはここまでしてまで私の力がほしいのかと、そんなことしか浮かばない自分の思考に自嘲が出る。


「次はなんにします?」


 取り急ぎ聖女様の分を買うと、シルヴィスは次のお店へと歩き出す。

 その後ろを追って顔を上げた視線の先。遠くに見えた人影に、息を呑む。


「ソフィ?」


 足を止めた私を、シルヴィスが振り返ってきた。


「どうかしました?」

「いえ……」


 首を振ってすぐに歩き出す。

 一瞬リンリールさんがいたようにも見えたが、ただの見間違いかもしれなかった。








 いくつかシルヴィスおすすめのお店を巡ったあと、シルヴィスは少し休憩をしようと誘ってきた。


「実はさっき、ここミュルクウィスの特産であるベリーをたっぷり使ったタルトを買っておいたんです。びっくりするくらい絶品ですよ! お一つどうぞ」


 市場が集まってできた広場の、その隅に設えられたベンチへと彼は誘導すると、そこで彼は私にかわいらしいベリーの乗ったタルトを一つ手渡してこようとした。


「そんな、色々ともらうわけには……」

「僕が勝手にやっていることですから」


 結局渡されたお菓子にため息をつく。このベリータルトに罪はない。ありがたくいただいてさっさと帰ろう。

 それにしてもマーリットさんといい、シルヴィスといい、ミュルクウィスの人はたおやかで繊細に見えて、意外と押しが強い。

 こんな調子でオーウェンも色々と理由をつけられて呼び出されていたらどうしようと、気が気でない。


「……そんなに親切にされるのが気になるというのでしたら、一つ僕の言うことを聞いてはいただけませんか?」


 無言でタルトを口にしていると、唐突にシルヴィスは声を潜め、身を寄せてきた。


「僕、ずっと気になっていたんですけど」


 シルヴィスの淡い視線が、私の左腕の上を滑っていく。


「一度あなたのその傷痕を見せてはもらえませんか」


 この人はどうしてこんなことばかり言ってくるのか。困惑の視線しか返せなかった。


「あ、いえ、深い意味はないんです。ただ瘢痕治癒の構築文開発において、もしかしたらなにか得られるものがあるかもしれないと思って。僕、こう見えても治癒系の魔術に関しては案外と一目置かれてるんです。だからお役に立てることがあるかもしれないし」


 正直こんな人目の多いところで昨日今日知り合ったような相手に、この忌々しい傷痕をさらけ出す気にはなれなかった。

 躊躇う私に、シルヴィスの柔らかな声が蛇のように忍び寄ってくる。


「僕はずっと、ソフィの話を聞いたときから心配だったんです。まさか同じ魔術師である同胞を簡単に傷つける人がいるなんて信じられない! って。だからソフィがこの国に来たときには絶対に力になりたいって、固く心に決めてたんです」


 ね? と促され、見つめられて、その圧力に負けて渋々シャツの袖を捲りあげる。


「ああ……」


 シルヴィスは悲鳴とも感嘆ともつかないようなため息を思わずといったようにこぼした。

 この傷を見るたびにあのときの自分とさらされた悪意を思い出して、思わず顔が歪んでしまう。

 そんな私の表情までシルヴィスはどこか恍惚としたように眺めると、許可もなくその傷痕に指を滑らせ始めた。


「あの……」


 あまり軽々しく触ってほしくはない。抗議とともに引っ込めようとすると、強く掴まれて引き留められる。痕が残ってしまいそうな、あまりにも強い力だった。


「ああ、なんて醜い……!」


 ぽろりとこぼれた言葉に、シルヴィスは慌ててすぐに釈明をつける。


「ああいや、この傷をつけた相手がってことですよ。ソフィに躊躇いもなくこの傷をつけたであろう相手が、僕は、ただ……」


 シルヴィスは途中で途切れた言葉を気にすることもなく、ひたすらに傷痕に指を滑らせている。

 その様子をちょっと薄気味悪いと思ってしまった。なんだか尋常じゃない様子だ。


「あの、とても不躾なんですけど」


 嫌な予感のままに、彼は躊躇いもなくその言葉を発した。


「よかったら、足の傷痕も見せてもらえませんか」

「なに言ってるんですか、嫌ですよ」


 緩んだ隙にさっと腕を引っ込めて慌てて傷痕を隠すと、シルヴィスはどこかそれを名残惜しそうに視線で追いかけた。


「それで? なにかお役に立てましたか」


 胡散臭そうな私に気づくと、シルヴィスはにこりと笑った笑顔の下にその薄気味悪さを隠した。


「ソフィが隠してしまったので、なんとも。色々と試してみないことには、ね?」

「だったらもう結構です」


 とにかく、二人きりが気まずいことこの上ない。もう帰りたい。オーウェンたちのことも心配だ。


「大分時間も経ってしまいました。そろそろ戻らないと」

「えー、もっと案内したいお店があったのに」

「あとは結構です」


 無理やりに立ち上がると、シルヴィスも渋々従ってくれる。あとはもう会話も放棄して、じっと降り注いでくる視線を気まずく思いながら私はひたすら帰り道に足を運んでいた。








 帰りの道中でもひたすらあれこれと用事を見つけては私を引き止めようとするシルヴィスに辟易する。

 この人はいったいなにが目的なのだろうか。私の傷痕にも固執しているみたいだが、いわゆる傷痕フェチというものだろうか。だったらそれこそセヴランさんのほうが全身にたくさんの傷痕が残っているけど、彼には全く興味を示さないのはどういうことか。

 理解できないものはいくら考えても理解できない。それ以上考えても無駄だろうと、強引に聖女様の部屋の前で別れを告げて、足早に部屋の中へと逃げ込む。

 部屋には誰もいなくて書き置きが一つ残されており、私が買い物に行ったあとにマーリットさんが聖女様を誘いに来たので、魔術師団室でリースグラスの葉の加工をしてもらいに行くと書いてあった。

 踵を返して慌ててシルヴィスのあとを追う。

 やっぱりというかなんというか、マーリットさんからの接触は当然のようにあった。

 マーリットさんはもう一度、ダメ元でオーウェンにリースグラスの葉をもらえないか聞くだろうな。ここを逃したらあとはもう、夜会でしか接触できない。

 今まで女性関係にどこかだらしのなかったオーウェンがもしもマーリットさんに絆されたりなんかして軽々しく交換に応じてしまったら――聖女様は、ルナは、どれだけ傷つくことになるだろう。

 そう思うと、居ても立っても居られなかった。


「シルヴィス!」


 去っていく後ろ姿を追って声をかけると、シルヴィスは一拍おいてやや嬉しそうに振り返ってきた。


「ソフィ!」


 シルヴィスの視線がまたもや私の傷痕をなぞった気がしたが、それに構っている暇はない。


「やっぱり追いかけてきてくれたんですね! 僕と別れて寂しくなっちゃいましたか? いいですよ、僕はどこまでもソフィに付き合います。次はどこに……」

「みんな魔術師団室にいるみたいなんです。そこに案内してくれませんか」


 できるだけ急ぎでと伝えているのに、シルヴィスは口を閉じると明らかにがっかりした顔をした。


「……そっか、残念です。まだまだ二人きりで過ごせると思ったのに」


 それはわざとかと疑いたくなるくらい、ゆっくりと間延びした声だった。


「みんなのいる場所ではソフィは傷痕を晒したくないでしょう? 僕、二人きりになれるいい場所を知っているのになぁ……」

「いいですよ、見せても」


 もはや、見せるくらいなにも減るものじゃないし、という心境だった。


「ただし、二人きりでないところでなら。なんなら今から魔術師団室ででもいいです。だからお願いできませんか」

「言いましたね」


 シルヴィスは途端に嬉しそうに破顔した。


「いいでしょう、行きましょう。ですが魔術師団室は遠慮しておきます。ソフィの同僚やマーリットに口煩く横槍を挟まれたくありませんから」

「……ありがとう、ございます」


 思わず顔を顰めた私に構うことなく、シルヴィスは私の左手をとって歩き出す。

 それに多少の不快感を覚えながらも、仕方がないと後をついていく。今はただ、聖女様たちの状況が心配だった。








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