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ミュルクウィス・Ⅱ

 

 翌々日、マーリットさんとシルヴィスは私たち聖女一行を特別にある植物の栽培地へと招き入れてくれた。


「これがミュルクウィスを象徴する、リースグラスの群生地ですわ」


 碧の王宮からしばらく奥まったところの湿地帯に、ぼんやりと淡く光る葉がまるで絨毯を敷き詰めたようにたくさん生い茂っている。その横に敷かれている木製の遊歩道をゆっくりと歩きながら、マーリットさんは先導していく。


「このミュルクウィスの葉が、この国の一大特産となっている魔術薬の主な魔術素材となるのです」


 薄くかかった霧と生い茂った木々が太陽光を遮って、辺りは昼でも薄暗い。その環境も相まって、随分と幻想的な光景だ。


「きれい……」


 聖女様の呟きにオーウェンが答えようとして、すかさずマーリットさんがオーウェンに話しかける。


「オーウェン様、この葉をよく見てくださいまし。これは心型といって、なんだか可愛らしいハートによく似ているでしょう? ですから愛を司る葉とも言われていますの。恋人同士がリースグラスの葉を摘んで交換し、それを形に残るものに加工して大切に持ち歩く。このミュルクウィスではごく一般的な光景ですわ。よかったら皆様もお摘みになってみてはいかがでしょう」

「へぇ、いいんですか?」

「ええ、構いませんわ」


 笑顔のオーウェンに嬉しそうに頷くマーリットさん。聖女様もおずおずとリースグラスの葉に手を伸ばしている。


「セヴラン、興味がないのはわかるが、その態度はどうにかしたほうがいいと思うぞ」


 気遣いの塊であるブリジットさんは、みんなから一歩引いたところで眺めているセヴランさんに、周りに聞こえないように小声で話しかけている。


「……ぁあ?」

「私が思うに、あなたにはこういった風情を理解する心が圧倒的に足りないと思うんだ。どうだ、たまにはこんな趣を楽しんでみてもいいんじゃないか」

「……別にいいけどよ……」


 若干面倒くさそうなセヴランさんは、しかし頭をかくとマーリットさんに断りを入れてから、存外と丁寧な手付きでリースグラスの葉を摘み取った。

 ブリジットさんもまさかセヴランさんが応えてくれるとは思っていなかったのか、その様子をどこか嬉しそうに見守っている。


「こんなことのなにが楽しいのかねぇ……」


 ごちりながらも手持ち無沙汰にリースグラスの葉をくるくる回すセヴランさんを横目に、ブリジットさんもぶちりとリースグラスの葉を千切っている。


「ソフィ、こっちにきてください」


 そんなみんなの様子を見守っていると、いたずらっぽいヘーゼルの瞳を覗かせたシルヴィスに手招きされた。


「これ、見てください。ほかのと違ってなんだかふっくらして可愛くないですか?」


 シルヴィスが指差したのは、群生しているうちの一枚の葉。たしかにほかの葉と比べてちょっと横に広がったハートがかわいらしい。


「僕がとってあげますよ」


 シルヴィスはしなやかな腕を伸ばして、ぷちりと千切って手渡してくれた。手折られたばかりの葉はまだ瑞々しく、柔らかい。


「ソフィ、僕はあの葉がいいです」


 笑顔でそう指を差される。言われるがままに手を伸ばそうとして、いつの間にか隣にいたライルに遮られた。


「あとで難癖をつけられて、交換しただのどうだの騒がれたらどうする」


 しかめっ面でそう言われ、さすがに私相手にそんなことにはならないだろう……と思いつつ、待っているようなシルヴィスの満面の笑みになんとも言えなくなる。


「えー? 取ってくれないんですか?」

「では、こちらを。どうぞ」


 無愛想なライルが、無造作に千切ったリースグラスの葉をぶっきらぼうにシルヴィスに渡す。


「いや……君に言ったんじゃないんですけど……」

「なにかご不満でも?」

「……いいえ、別に」


 シルヴィスには悪いけど……いいタイミングで来てくれたライルに内心ほっとしていた。

 シルヴィスがあまりにも一足飛びに距離を縮めてこようとするので、正直かなり戸惑っている。優秀な魔術師のいないルドフォーノンならまだしも、治癒魔術に特化した魔術師をたくさん抱えているこのミュルクウィスに、私のような性質(たち)の魔術師をそんなに躍起になってまで取り入れる必要があるのだろうか。

 聖女様はというと、オーウェンとマーリットさんが会話しているそばで、どこか物憂げな様子でそっとリースグラスの葉に手を添えていた。オーウェンもマーリットさんの話を聞きながらも、思案げにリースグラスの葉を摘んでい、り。


「わたくし、実は一度もこのリースグラスの葉を殿方と交換したことがございませんの」


 マーリットさんは髪をかき上げると、オーウェンを見上げて意味ありげに微笑んだ。


「初めては素敵な殿方と。そう心に決めていましたから。わたくし……オーウェン様とだったらこのリースグラスの葉を交換しても構いませんわ」

「……え? いや、僕ですか?」

「わたくしが相手では不満?」

「いえ、そういうわけではないですが……」

「オーウェン様からリースグラスの葉をいただけましたら、わたくし、とっても嬉しい。一生大事にいたします」


 うん、マーリットさん、出会ってそう日も経っていないのに、なかなかにアプローチの仕方が重い。


「ソフィ、ねぇソフィ」


 オーウェンとマーリットさんの間に口を挟むべきか考え込んでいたら、またまたシルヴィスに遮られてしまった。


「ソフィには誰か、リースグラスの葉を渡したい方でもいらっしゃるんですか?」


 にこやかな笑顔の奥から、いやに探るような視線を感じる。


「そう、ですね……えっと」


 同時に、ふと思い浮かんだ人物の顔を慌てて取り消す。


「その、いるかいないかは別として、もしも交換するとしたら、こんな人の多いところよりも誰もいないところで二人きりで、ロマンチックな雰囲気の中でのほうがもっと素敵だなって思いませんか。ね? オーウェンもそう思いますよね」


 咄嗟にオーウェンに声をかけると、オーウェンは私の意図を読み取ったのかそうでないのか、呑気な顔で振り向いてきた。


「うん? ああ、そうだね……ロマンチックな雰囲気、ね……」


 オーウェンは幸いにもそれ以上は深く踏み込んでくることもなく、リースグラスの葉をいそいそと懐へと仕舞い込んでいた。

 どこかがっかりしたようなマーリットさんに若干睨まれた気がしないでもないが、その視線には知らんぷりを通しておく。


「でしたらお望み通り、とても素敵な場所があるんですよ。ソフィ、こちらに!」


 シルヴィスは笑いながら私の腕を引っ張って、どこかに連れて行こうとした。


「ちょっと、あの……!」


 さすがに聖女様のそばを離れるのはまずい。強引に引っ張ってくるシルヴィスに、とっさに視線でライルに助けを求めていた。彼はすぐに動こうとしたが、でもその前にマーリットさんが厳しい声をあげた。


「フランク副魔術師団長! 勝手な行動は許しませんわよ! 誰になにを言おうとあなたの勝手ですけれど、でもはた迷惑なことだけはしないで頂戴!」

「……はいはい、もちろんわかっていますよ、ニルセン魔術師団長殿!」


 むくれながらも離された手に、ホッと胸をなで下ろす。


「ソフィ、大丈夫か」

「ライル」


 若干振り回され気味の私に、ライルがため息をつきながらも肩を支えてくれた。


「なんだか妙に馴れ馴れしい奴だ」

「親切にしてくれるのはありがたいんだけど……」

「その押し付けの親切を笠に着て、無茶な要求を押し通してこなければいいが」


 そうだよね。ライルから見てもそう見えるよね。私は笑顔ですり寄ってくるシルヴィスに誤魔化し笑いを浮かべながら、彼から離れようとした。

 別に彼を疎んでいるわけではない。でも私にはもう一つ、頼まれていた用事もある。そっちのほうも早めに済ませておきたい。今度はマーリットさんへといそいそと話しかける。


「ところで、ニルセン魔術師団長」

「あら、なにかしら、魔術師ランドルフ」

「このリースグラスの葉なんですけど、これってこんなふうに気軽にもらってもいいものなんですか?」

「リースグラス自体は、別にこの国から持ち出すことを禁じてはいませんわ」

「ですがこのリースグラスの葉を魔術素材として、魔術薬が作られるのでは?」

「ええ、そのとおりですとも」


 私とライルの疑問に、マーリットさんの笑みに少し嘲笑が混じる。


「ですけれども、治癒魔術の構築例は我が国ミュルクウィスのものが最も優れています。治癒魔術を扱える魔術師にしたって我が国の右に出る者などいません。それにリースグラスはとある特殊な状況下でないとここまで成長いたしませんから。ですから葉を多少持っていかれたところでミュルクウィスには痛くも痒くもないですわ」

「そうなんですか、それはさすがですね」

「でしたらこの国では種なども気安く買えたりするのでしょうね」


 マーリットさんの顔に、うっすらと笑みが浮かぶ。


「あら、それぐらいでしたらわざわざお買いにならなくても差し上げますわよ」


 言葉は優しく丁寧だが、その顔には魔術師としての優越感や嘲りがかすかに滲み浮かんできている。


「といっても種を差し上げたところで、きっと栽培は難しいと思いますけれど」

「それでもいただけるものならぜひともいただきたい」

「ではあとでご準備しておきましょう」

「お心遣いに感謝いたします、ニルセン嬢」


 ライルの言葉に同調するようににこりと笑いかけると、マーリットさんも負けじと不敵な笑みを浮かべ返してくる。彼女はきっと使いこなしもできない魔術素材を欲しがった私のことを、内心バカにしているだろうな。

 それにしても、ああ、緊張した。ソフィア・ランドルフはよく各地でああも色々な女性と遣り合ったものだ。呆れを通り越して感心する。

 一通りの交渉が片付いて、そっとライルに目配せする。ライルも心得たようにかすかに頷き返してきた。

 実のところ、リースグラスの葉や種がほしいと言ってきたのはノア先輩だった。

 学院のころ、クロエ先輩はあまり人前で魔術を使うことがなかった。だけどときどき見せてくれたその魔術はなんとも神秘的で、いつも見惚れずにはいられなかった。

 ――クロエ先輩は、植物の成長を促進する魔術が得意だ。

 おそらくブライドン学院といえども、そんな魔術を使える人はそうそういなかったと思う。私も教えてもらったことがあるが、なかなかに規則性を無視した、そう、例えば聖女様の使う文言にも若干似たようなそうでないような、なんとも特徴的な構築文だった。

 今思えば、クロエ先輩の銀髪に甘いベビーピンクの瞳、華奢で可愛らしい雰囲気、それらはどこか聖女様の雰囲気に似ているような気もする。……関係があるかと言われればそんなことをクロエ先輩から聞いたことはないし、わからないけれど。

 ノア先輩はおそらく、クロエ先輩の魔術でリースグラスの成長を促進できないかと、そしてその場合、ミュルクウィスの土壌や環境がなくても果たして正常に育つのかどうか実験をしたいのではないかと……いつも飄々としていながらもちゃっかりとそういうことを考えているところは、さすがノア先輩だった。








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