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ミュルクウィス・Ⅰ

 

 エルレッタでの浄化が無事に終わり、神殿をあとにして険しい山脈の間を抜けていくと、密やかなミュルクウィスの深い森が姿を表す。

 その森の中の馬車道を通って、湿地帯の合間にポツリポツリと建っている家屋の間を走り抜け、さらに進んで行く。

 私たちが通っているのに気づいた住民たちが、家の外に出てきては手を振ってくるのに、聖女様もにこりと微笑んでは振り返している。じめじめした風がときおり吹き抜けていって、聖女様の長い髪が揺れる。

 休憩中、みんなでお茶を飲みながら休んでいるとき。一緒に馬車に構築文を書き足しているとき。御者の交代で言葉を交わすとき。そんなふとした瞬間に視線がライルに吸い寄せられて、そしてそういうときはライルもこっちを見ていて。視線がかち合えばお互いにそそくさと目を逸らす。そんなことをもう何度となく繰り返している。

 あの日、あの夜会のとき。あの場でつい漏らしてしまった本音をあれから口にすることはなかったけど、それでもこうやってあの夜のことを思い出してはそのたびにわけのわからない気恥ずかしさが波のように押し寄せてきて、そんな自分に自分でも困惑する。

 ……最近、この旅の中で気持ちが変わってきたと、自分でも思う。

 オーウェンと聖女様が仲睦まじく二人で話している姿を見ても、以前ほど心をかき乱されることがなくなったのに気がついたのは、いつだったか。長い長い時間の先、現実を突きつけられてようやく諦めというか、覚悟が決まったのかもしれない。

 今はそれよりも、オーウェンよりもライル――ライオネル・アディンソンがこの先どう変わっていくのか、そっちのほうが気がかりだった。

 私の行動が物語にはない縁を繋いだように、回り回ってオーウェンたち三人の仲を引っ掻き回すことになるかもしれない。

 もしかしたら聖女様はこの先オーウェンではなくライルと恋に落ちるかもしれない。私もライルも今はあの物語の中の二人とは違う。ないとは言い切れない。

 でもそれは最終的に聖女様自身が選んだ結果なら、私にどうこう言う権利はないんじゃないか。自然の流れでもしそうなってしまったのなら、それはそれで仕方のないことなのかもしれない。……そう思うのに、一方ではそうならないでほしいと願う自分がいる。

 もちろんオーウェンには絶対に幸せになってほしいから、私が力になれることはすべてやり尽くす。それは変わらない。……だけど、さすがに聖女様の気持ちまでは強要はできない。

 これって結局、オーウェンのときと同じだ。違うのは、私はオーウェンのときは最初から諦めて行動できなかったという、それだけ。今はこの先の流れを知っている、この知識を利用して、ライルを聖女様から引き剥がそうとしている、けど。

 でもそれでもいつかはライルまで聖女様の元に行ってしまうのではないかと、私はいつも恐れている。この恐れはいつまで抱いていればいい? いつになったら、私はライルのことを心から信じられる?

 いつまで経っても、私は聖女様の呪縛から逃れられない。








 やがて薄い翡翠色の大理石調の石をあしらった巨大建造物、この国の王宮である翠の宮が見えてくる。

 向こうからも私たちの姿を確認したのか、到着するころには門前に一組の男女が現れた。


「皆様、遠路はるばるようこそいらっしゃいました」


 馬車が停まってゆっくりと降りてきた聖女様に、二人はたおやかな動作でお辞儀をした。

 二人とも首元まできっちりと閉めた紺の制服のローブを羽織っている。そのうちの一人である濃い桃色髪の切れ長の目の女性が、一歩前へと進み出た。


「ここからはこのわたくし、王宮魔術師団長を務めております、マーリット・ニルセンと副師団長のシルヴィス・フランクが案内させていただきますわ」


 二人は再び優雅に礼をしてみせた。

 マーリット・ニルセン。彼女は今回ミュルクウィズに滞在するにあたって、私が気にしている人物だった。

 彼女は初めて、明確にオーウェンへの好意を露骨に表してくる女性だ。

 今までオーウェンはずっとつきっきりで聖女様に付き添っていて、ほとんど片時も離れることなくそばで聖女様を支えてきた。オーウェンの一番は常に聖女様で、聖女様もそれを感謝しながら受け入れていた。だけどこの国では彼女の積極的なアプローチが別の意味で功を奏し、初めて聖女様は彼への気持ちを自覚し始める。

 つまり、マーリット・ニルセンは立場的に言えば当て馬令嬢。いわばブースターのような役目を担っている。その立ち位置に妙な親近感を抱きつつも、気を引き締めるのは忘れない。

 あの物語の中ではマーリット・ニルセンとソフィア・ランドルフは、それはもう盛大にバチバチに、聖女様以上にやり合っていた。オーウェンに近づくすべての女性は憎いとでもいうかのように、それこそソフィアはあちこちで牽制しまくっていたから、今回も強制力の影響を加味して適度に気をつけておこう。

 けれど基本的には私が出しゃばらなくとも、彼女の存在はいい刺激になり得るくらいで問題ない。

 そう楽観視していたんだけれども。


「はじめまして、ランドルフ嬢」


 謁見の間までの道すがら、ミュルクウィズ魔術師団副師団長シルヴィス・フランクは、なぜか私の横に並んできた。

 一生懸命ライルの気を逸らそうと話しかけていた私は、戸惑って彼を見返す。


「はじめまして、フランク副師団長」

「ああ、どうかシルヴィスとお呼びください。あなたのことはソフィと呼んでも?」


 やけに親しげな副師団長様に、困惑の視線を返す。

 シルヴィス・フランクは薄青の綺麗な髪をさらりと揺らがせた、色素の薄い優男風の貴公子だった。柔らかな物腰も相俟って話しかけやすさはあるが、なぜ話しかけられたのかがわからなくて戸惑う。

 シルヴィスとソフィア・ランドルフが交流するような場面なんてあったっけ。それに、今まで聖女様やブリジットさんを飛び越えて、いの一番に私に話しかけてくる人なんていなかった。


「あの、伺いました」


 シルヴィスは少し声を潜め、私に身を寄せてくる。その様子に隣のライルがピクリと眉を動かした。


「あの国での公式な御前試合で、あなたが酷い怪我を負ったって」


 ヘーゼルの淡い瞳が、今は純白のローブに隠されている左腕と足の上を走る。


「申し訳ないが」


 私が返事をする前に、思わずといったようにライルが口を挟んできた。


「そういったごく個人的なことは慎んでいただきたいのですが。私たちもまだ飲み込めたわけではない、とても繊細な話題ですので」

「これは失礼いたしました」


 シルヴィスはパッと離れると、優しげな笑みを浮かべる。


「ご存知とは思いますが、この国は創傷治癒に関してはどの国にも劣らない、随一の知識と技術を誇っています。特に今、我が団では瘢痕治癒の魔術開発に力を入れていまして。なにかお力になれるんじゃないかと――」

「魔術師ランドルフを実験台にしたいのであれば、なおさらご遠慮いただきたい」


 ライルの目がすっと冷たくなってシルヴィスに注がれる。当のシルヴィスは優しげな笑顔を崩すことなく対峙している。


「私たちは聖女様の護衛として、この場に立っているのです。それをゆめゆめお忘れなきよう」

「まあまあ、そう固いことを言わず」


 シルヴィスはあろうことか、にっこりと笑いかけてきた。


「実験台なんてとんでもないですよ。なにせ、瘢痕治癒の魔術はまだ他国にも出回っていない、我が国だけの門外不出の魔術なんです。せっかくミュルクウィスにいらっしゃったのですからと思って、ただの親切心でお声をかけただけなのに」


 なんとなく、この二人も相性が悪そうだ。というより、愛想のよくないライルと相性良い人なんてそうそういるのだろうか。……今のところ、優しさと懐の大きさが天元突破しているルイと聖女様ぐらいしか思い浮かばない。


「それとも魔術師アディンソンはせっかくの機会をふいになさるとでも? あなたの身勝手でソフィのせっかくのチャンスを奪うのですか?」

「……っ」


 一瞬ライルが怯んだ気がして、すかさず口を挟む。


「あの、」


 あくまでもにこやかな、ミュルクウィスの副魔術師団長。


「私のことはお気になさらず。ここには聖女様の護衛として訪れたのですから、そこまで個人的なことをしていただかなくても大丈夫です。ありがとうございます」

「エルレッタでは」


 淡いヘーゼルの瞳は柔らかいのに、まるで絡め取られるかのようだった。


「エルレッタ王ととても親しげだったとか。それこそ個人的なことだったのでは?」


 まじまじと見つめた先の笑顔には、悪意は欠片も浮かんでいない。


「だったら、僕もソフィと個人的に繋がりたいです」


 いったいなにが目的なんだ、この人は。

 生憎と今までの人生から、見目麗しい貴公子の甘言に素直に胸をときめかせられるほどお花畑になれるはずもない。

 よりにもよって私にこんなことを言ってくるなんて、十中八九なにか裏があるに違いない。そうだとしか思えない。

 人の良い笑顔を浮かべているシルヴィスを警戒するように、胡散臭そうに眺めているライルのほうにわずかに身を寄せる。

 ライルは私の意図を読み取ったのかそうでないのか、キュッと手を握って引き寄せてきた。予想もしてなかった行動に動揺を出してしまうほどに心臓が跳ねる。そのままライルは素知らぬ顔で歩いていく。


「ソフィ? あの、僕の話、聞いてます?」


 なおも話しかけてくるシルヴィスの声もなんだか耳に入ってこない。

 力強いその手の存在だけが、やけに際立っていた。








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