エルレッタ・Ⅴ
翌日、顔色が悪いことをブリジットさんに心配されたけど、なんでもないの一言で押し切った。
昨日はよく眠れなかった。朝方の時間を休憩にもらったが、まんじりともせずに過ごしてしまった。
それでも――考えてもしょうがない。起きてしまったことは取り戻せない。これから挽回するしかない。ようやく休憩時間が終わるころには、やっとそう腹も括れてきた。
昨夜のことを問いただしたところで状況はなにも変わらないし、ライルがどういうつもりであろうと、最後に選択するのは聖女様だ。私はただ、ライルがライオネル・アディンソンみたいに暴走しないか、誰かを傷つけてしまわないか見張ってさえいればいい。
あとは……その、私自身がライルに言われたことをよく考える必要があった。
この国でも夜会当日は、朝から聖女様や私たち護衛の面々の支度で大忙しだった。
一応聖女様とブリジットさんには、魔術具に書き込む構築文についてエルレッタ王から相談を受けただけだと簡単に伝えはした。けど、問題はライルに一昨日のおかしな態度をどう説明するかだった。
動揺のあまり、らしくもない態度をとってしまった。そしてそのせいでおそらく、ライルを傷つけてしまった。あまり働かない頭で支度を受けながら、どう謝ろうかと考える。
……どう言ったところで、理由を言わなければ納得してもらえないだろうな。あれは我ながら動揺しすぎだった。自分でもなぜと思うほど、あの光景はあまりにも衝撃すぎた。
つらつらとあてもなく考え込んでいたら、いつの間にか支度も終盤に差し掛かっていた。
侍女が続いて取り出してきたのは、思わず見惚れるくらいにとても美しい髪飾り。
羽を広げて今にも羽ばたきそうな白鳥を模した、細かなクリスタルをふんだんに使ったものだった。シニヨンにしてもらった頭に、そっと着けてもらう。あまりにもキラキラと輝くクリスタルが作り出す煌めきが、まるで夢の世界のようだ。
「陛下はランドルフ様のご好意に大変感謝いたしております。わずかでもその気持ちが伝わればとのことで、こちらを」
あぁ、そうなんだ。なんだかけっこうに高そうなものに見えて気が休まらないけど、そういうことであればありがたく身に着けさせていただこう。
「この“エルレッタの羽ばたく白鳥”は、ぜひともランドルフ様に身に着けていただきたいと、陛下自らが選ばれました」
「そうなんですね。それはありがとうございます」
よくわからないながらに言葉少なに頷いてみせた私に、侍女も頷き返してくる。
「艷やかな黒髪にとても映えていらっしゃいますよ」
それにしても、ため息が出るくらいに美しく繊細な髪飾りだ。用意されたドレスにしても、随分とルドフォーノンと趣が違う。エルレッタでは長いケープのついたシルクサテンのしなやかなロングドレスを用意してもらっていた。
白は聖女様だけが着用できる色なので、私のドレスはネイビーブルーに着色されている。落ち着いた、とても上品な色だ。シルエットもきれいで、まるでどこかのお嬢様にでも生まれ変わったみたい。
「ソフィ……!」
部屋に戻ると、こちらもとても大人っぽいドレスを見事に着こなしているブリジットさんが感嘆したように出迎えてくれた。
「見違えたじゃねーか。綺麗だよ」
セヴランさんの言葉に軽く睨むと、「褒めたのになんでだよ」と突っ込まれる。
「セヴランさんに言われるとなんだかからかわれているみたいで、素直に受け取れないんです!」
「理不尽じゃねーか!」
「でも、ほんとに綺麗だよ?」
あんなことがあったあとだっていうのに、聖女様の態度は変わらなかった。相変わらず、誰にでも分け隔てなく優しい。
「可愛らしいドレスもいいけど、ソフィには清楚なドレスがとてもよく似合うね」
笑顔で褒めてくれる聖女様に、恥ずかしさやいたたまれなさから俯く。
「ソフィ、」
聖女様のそばに控えていたライルが、思い切ったようにこちらへと近づいてきた。思わずその視線を避ける。
「その……」
あれだけ考え込んでいたのに、私はまだ心の準備ができていなかった。
なにかを言いかけた彼は、しかし扉から顔を見せたオーウェンに遮られる。
「みんな、夜会が始まったみたい。そろそろ行こうか」
少しの間惑っていたライルは、しかしオーウェンに促されて、身を翻して背を向けた。
今回の夜会では、聖女様のそばに控えるのはオーウェンとライル、ブリジットさんの三人だ。私はセヴランさんと一緒にエルレッタの貴族たちと挨拶を交わしながら、会場内を見て回っていた。
「へぇ、こないだもこうやってこっそり点検してたのか」
「そうですね。徹底するに越したことはないと思っています」
「真面目だねぇ。まぁ、助かるけどな。なにせ、俺たちじゃ魔術なんてのはからっきしわかりゃしない」
そう言いつつも、セヴランさんも会場のあちこちに目を走らせている。
彼はエルレッタの紳士淑女たちと挨拶がてらスマートな軽口を交わし合って交流しながら、それでも油断なく会場を見渡している。
その様子に素直に感嘆する。いつも気怠げな様子であまりやる気があるようには見えないけど、さすが年長者、年の功なのかさり気なく抜け目ない。
その物腰と警戒態勢を参考にしようとセヴランさんのことも観察していると、一昨日のあのエルレッタの王子がやってきた。
「ランドルフ嬢。よろしければダンスをいかがですか」
物腰の穏やかな彼なら、こちらこそとお願いしたいくらいだ。ありがたく手を引かれてホールへと進み出る。
聖女様はすでにエルレッタ王と踊り終えたのか、今は別の貴族に声をかけられている。そのそばにライルが控えていることを目の端で確認して、それに安心して王子へと向き合った。
軽やかな演奏に合わせ、穏やかで愛想のいい王子にリードされて、ルドフォーノンと比べると大分リラックスしてワルツを踊ることができた。
一曲終わると王子は私の手を引いて壁際へと引き、飲み物を頼んで休ませてくれる。
「その髪飾り、つけていただけたのですね」
王子はエルレッタ王によく似た目を穏やかに細めながら、髪飾りに目を遣った。
「よくお似合いですよ」
「ありがとう、ございます」
私のぎこちない態度に、王子はわずかに苦笑を浮かべる。
「すみません、慣れていなくて。今までこういったものとは疎遠の生活でしたので、高価なものを目にするとどうしても緊張してしまって……」
「あなたがそのように引け目を感じることなど、なにもありません」
王子は穏やかな笑みを浮かべたまま、しかしきっぱりと言い切った。
「父がそのエルレッタの羽ばたく白鳥をあなたに贈ったということは、あなたを認めたということ。マルクス・レモ・エルレッタ個人として、そしてエルレッタの一魔術師として、父はあなたと出会えたことに感謝しています」
「それはとんでもなく恐縮なことで……ん?」
そんな敬意を表されるほど、大したことをした覚えはない。私はエルレッタ王と一緒に魔術書探しをしただけだ。
それよりも、今なにか不穏な言葉が聞こえた気がする。動揺のあまり動きを止めた私に、王子は笑みを深くする。
「もし差し支えなければ、父の話を聞いていただけませんか」
王子が視線を遣った先。エルレッタ王その人が、こっちに向かってやってきていた。
「魔術師ランドルフ」
エルレッタ王がやってくると同時に、王子は軽く礼をして立ち去っていく。
「一昨日は遅くまで付き合わせてしまって悪かった」
「いえ、エルレッタ城のたくさんの魔術書に私もつい夢中になってしまいました」
「そうか」
エルレッタ王の目元がわずかに緩む。
「あなたが浄化の旅の途中でなければ、ほかにも色々とゆっくり紹介したかったものだが。なかには手に入れるのに随分と苦労したものもある」
「まさか、パラケルススの章をいくつも揃えられているとは思いもしませんでした。あれには正直、驚きました……」
「ああ、あれはな……」
しばらくそうやって、エルレッタ城のそれらの魔術書がどうやって蔵書されたのか、歴史あるその経緯をエルレッタ王は聞かせてくれた。
そうして和やかな雰囲気のまま話が一段落ついたころ、エルレッタ王がふと零すように切り出してきた。
「魔術師ランドルフ」
真っ直ぐに前を見つめる陛下をちらりと見上げる。
「少し、昔話に付き合ってくれるか」
陛下は会場を舞う鮮やかなドレスの群れを、その中でも一際目立つ輝かしい聖女様を眺めている。
いつも通りにこやかな聖女様。交代交代で聖女様のそばに控えるオーウェンたち。セヴランさんは人混みに溶け込みすぎて、すぐには見当たらない。
会場には怪しい構築文などは見当たらない。
「……あの、蓄音再生機だが」
通りすがってきた給仕からシャンパンを受け取ると、王は一口二口含んで静かに切り出した。
「あれは私がただ一人、愛する妻を遺すためだけに作ろうとした、半魔導具だった」
目の前では、貴族たちが色とりどりの鮮やかなドレスを舞わせて、華やかな夜会を盛り上げている。
「私の妻はそれはそれは歌が上手だった。その妻の歌を聞くのが、私のなによりの楽しみだったんだ。だが妻は体が弱く、長くは生きられなかった。いよいよその時が近づいてくるとわかったとき、私はなんとか妻の生きた軌跡を遺したいと願った。あの美しい歌声をどうにかして記録したい、妻と残りの人生を歩めないのなら、せめてその歌声だけでも私のそばに遺したい、と」
陛下はそこで束の間、言葉に詰まった。
「……だが、私は残せなかった。結局妻の最期には間に合わなかった。記録部分にはろくに手もつけられず、そんな中で最愛の妻まで失ってしまって……私は愛する人とともに、魔術師としての自信まで喪失してしまった」
陛下がつと視線を向けてくる。
「初めてだったよ。恥を忍んで、勇気を出して教えを請うて、でもあなたはなにも理由を聞かずに真摯に向き合ってくれた。あの夜やっと、ずっと止まっていた時が動き出したんだ」
王の目にうっすらと浮かんでいるものは。それは、わずかな興奮と希望と、そしてほんの少しの悔恨。
「……これで私もようやくなんとか前に進めそうだ。あの日の深い失望から、あなたの善意のおかげでなんとか一歩、やっと前に踏み出せた」
だからそれは君が持っていてほしいと、エルレッタ王は呟いた。
どんな逆境にも負けずに羽ばたいていく、エスパルディアの若き魔術師にこそ相応しい、と。
「魔術師ランドルフ、浄化の旅が終わったそのときは、ぜひ我が国にももう一度足を運んでくれ。エルレッタは魔術師の友人をいつでも歓迎する」
胸がいっぱいになってなにも言えなくなった私に、エルレッタ王はわずかに微笑んで、それから背を向けて立ち去ってしまった。




