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エルレッタ・Ⅳ

 

 エルレッタの王子は世話話で場を和ませながら、聖女様の部屋の前まで送ってくれた。


「こんな時間になってしまって、本当にすみませんでした」


 物腰穏やかな様子で言われ、それに首を振る。


「今宵はゆっくりと休まれてください。ではいい夜を」


 去っていく王子に礼を返して見送る。

 振り返った先、扉の前で警護しているはずのセヴランさんがいない。開け放したままの扉から部屋の中を覗くと、なぜか部屋の中央にいたセヴランさんは真っ暗な窓の向こうを眺めている。


「どうかしたんですか?」


 おかしい。セヴランさん以外、誰もいない。

 心臓がドキリと音を立てる。バルコニーに続くガラス戸が開きっぱなしだ。


「ああ、いや、若いねぇって思ってな」


 セヴランさんが静観しているということは、少なくとも聖女様の身になにかあったわけじゃないんだろう。それでも嫌な予感が容赦なくぞわりぞわりと這い上がってきてさっきから止まらない。

 おそるおそるバルコニーに足を踏み入れる。それから、ああ……息もできないほどの衝撃に襲われる。目に飛び込んできた光景、は。

 振り返りながら話す聖女様を、温かい笑みを浮かべながらライルが見守っている。二人は月夜が淡く照らし出す幻想的な夜の庭を、仲睦まじく散歩していた。

 ドクリドクリと、心臓が波打ち始める。震える唇からは声が出てこない。

 まるで夢のように美しい光景だった。月夜の光に宿った妖精たちがわずかな逢瀬の時間を惜しむかのように、二人は月夜の庭に佇んでいる。

 聖女様がなにかを話しながらライルのほうを振り向き、その拍子にバランスを崩して倒れそうになる。それをライルがすんでのところで受け止め、二人の距離が近づき、近寄って見つめ合うと――。

 それ以上はもう見てられなくて、とっさに目を逸らす。心臓がこれ以上ないほどに波打っている。息ができない。心臓が脈打ちすぎて胸が痛い。

 ああ、ダメだ。ダメだ、ダメだ、ダメだ、落ちつけソフィ。狼狽えている場合じゃない。二人の邪魔をしなければ。

 何度も深呼吸をする。気持ちを落ちつけようと手すりを強く掴む。バルコニーを降りようとなんとか顔を上げたとき、聖女様の明るい声が響いた。


「ソフィ!」


 二人がちょうど、夜の庭から戻ってきたところだった。


「大丈夫だった? なんの用だったの? なかなか戻ってこないから心配してたんだよ。ライルも気が気じゃなくて……」


 私の様子に、聖女様は言葉を切る。


「ソフィ?」


 眉間に皺を寄せたライルが近づいてきた。


「お待たせしていて、すみませんでした」


 やっと、声を絞り出した。


「二人はここでなにを?」

「それより、なんだか様子がおかしいようだが……もしかしてなにか言われたのか?」

「いえ。別に、なにも」


 そんな私のことなどどうでもいい。今はただ、ライルがどんなつもりで聖女様と二人きりで庭にいたのか、それを聞きたい。


「なにも……って、そんなふうには見えないが」

「別に、個人的な用事なので、二人には関係のないことです。それよりも……」


 強引にこの話を切り上げようとして、キッと眼光の鋭くなったライルに肩を掴まれる。


「関係のないって、そんな言い方はないだろう」

「……ごめんなさい。そうですね、特に不愉快になるようなことはなにもなかったので、私のことは気にしないでとだけ。それよりも……」

「その他人行儀はなんなんだ」


 低くなった声に、続けようとした言葉を呑み込んだ。

 ライルが怒っている。


「君はなぜ、そうやってすぐに一人で抱え込んで心を閉ざしてしまう? 私はいつだってソフィのことを理解したいと思っている。我慢しないで、どうか隠さないで、あなたの心を預けてほしいって。でもいくら言葉にして伝えたって、君を受け入れたいと態度に示したって、ソフィには全然響かない」

「ライル」


 ライルに言われた言葉が痛い。思わず顔を歪めると、聖女様がライルをそっと留める。


「おいおい、君たち、夜中なのにちーっとばかしうるさくないかい」


 とうとう部屋の中にいたセヴランさんまで近寄ってきて、小さな声で咎めてきた。


「ただでさえエルレッタの騎士たちが真面目にピリピリキリキリ見回ってんだから、そんなに騒いでたらすぐに駆けつけてきちまうぞ」


 セヴランさんの言葉に、慌てて口を噤む。


「すみません、お騒がせしました。護衛も代わってもらったのに……」

「とりあえず、今夜はもう休みな。積もる話は明日しなさいよ」


 セヴランさんに促されて、気まずい空気のままライルは立ち去っていく。

 心臓はまだバクバクしている。どうすればいいのかわからない。頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 ライルが聖女様と二人きりでいたことも、あんなふうに思われていたことも、ライルがどこか傷ついたような顔をしていたことも、なにもかもが、ぐちゃぐちゃのままで。


「……すまない、君にぶつけることじゃなかった」


 ライルはそれだけをぽつりと呟いて、セヴランさんに促されて部屋を出ていった。

 何度も何度も深呼吸を繰り返す。感情的になれば、自分がどんなことをしでかすかわからない。ただでさえ頭の中は収集がつかないというのに。


「ソフィ、あのね、」

「聖女様、明後日は夜会もありますし、今日はもう遅いですから休みましょうか。また体調を崩されてもいけませんし」


 なんとか声が震えないように、ともすれば腑抜けそうになる思考を叱咤する。

 こういうとき、どう言ったらいい? どう接したら正解? ……わからない。少しでも口を開けば、あの庭でなにをしていたんだと問い詰めてしまいそうだ。


「ソフィ」

「聖女様、すみません」


 それでも聖女様がなにか言い募ろうとしたので、強引に遮る。


「私も少し疲れました。今日はもう、これで」


 これ以上、こんな不安定な心の状態で、聖女様と二人きりで、なにが起こってもおかしくない。

 暗に話したくないことを匂わせて、辛うじて微笑んでみせる。


「おやすみなさい」


 寝室の扉を開けて、戸惑ったように立ち竦んでいる彼女を促す。張り付けた笑みを崩さないように。今はただそれだけだった。








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