ルドフォーノン・Ⅳ
数日間王城でお世話になったあと、心から別れを惜しむ王女様に見送られながら、ルドフォーノン国内の神殿へと移動する。
華やかな王城での疲れが出たのか、やはり聖女様の顔色はあまり良くない。
前回からの反省を踏まえ、一日ゆっくりと静養してもらうべく、神殿での晩餐は翌日となった。
「ソフィ、ちょっといいか」
ブリジットさんに声をかけられて顔を上げる。
「その……最近豪華な食事続きでルナがちょっと食傷気味でな。よかったら市井から美味しそうなお菓子でも買ってきてくれないか?」
「そういうことでしたら」
「悪いな。私ではなにがいいか分からないし、ソフィなら魔術師だから安全なものも分かると思ってな」
ブリジットさんの過剰な信頼に苦笑を浮かべる。聖女様に渡す前に、一度毒見を済ませておこう。そう決意しながらローブを着替えに一度控室へと戻った。
地味な私服に着替えて部屋を出ると、扉の前に立っていたセヴランさんに声をかけられた。
「どっか出かけるのか?」
「はい。聖女様のお菓子を買いに」
いつものように気怠げな笑みを浮かべているセヴランさんの顔を、まじまじと見つめる。
このごろセヴランさんがただの親切だけで声をかけてくるわけじゃないことに、薄々気づいてきていた。
多分この人は聖女様を含め、私たちのことを観察しているのだと思う。私たちがこの旅の中でなにを思い、考えて、そしてどう振る舞うのかを、この人は一歩引いたところからいつも眺めている。
「気をつけて行ってこいよ」
「はい」
ペコリと頭を下げた私に、セヴランさんがゆらりと手を振ってきた。
ルドフォーノンの街並みはあまりエスパルディアとは変わりない。
さほど迷うことなく、お洒落な菓子店でごく一般的な焼き菓子を購入したあと、出店のほうにも顔を出す。
エスパルディアとは少し違ったラインナップを眺めていると、不意に肩を叩かれた。
「ねえ、君……」
声をかけてきたのはマントを深く被った背の高い男。
「君、もしかしてベルエラの娘じゃない?」
見上げたフードの奥から覗いた美貌に、聖女様そっくりなその紫色の瞳に、はっと息を呑む。
「こんなところで会うなんてすごい偶然だなぁ!」
「……どなたですか?」
へらりと笑った男は人の良さそうな笑みを浮かべている。
――どうして殺された私の母親の名前を知っている。
「そんな警戒しないでよ。君の母親のちょっとした古い知り合いなんだ、ソフィ」
男は身を乗り出すように屈めてくると、にこにこと私の頭を撫でてきた。
「懐かしいなぁ。もうこんなに大きくなったんだ。僕のこと、覚えてない?」
その毒気のない笑みにわずかに警戒心がぐらつく。にしても、母親の知り合いとは思えないほど、目の前の男は若い。
「……申しわけないんですけど、母のことは覚えていないんです」
「そうなの? なにかあったのかな?」
「いえ……」
母のことを尋ねたい気持ちに後ろ髪を引かれるが、あまりここで油を売るわけにもいかない。早々に立ち去ろうとした私を、手袋を嵌めた大きな手が掴んできた。
「ここで出会えたのもなにかの縁じゃない。少し話をしようよ、ソフィ」
見上げた先の紫の瞳は、聖女様のように深く澄んでいる。
「いえ……」
その瞳の魅入られそうな輝きから目を逸らす。つい頷いてしまいそうな、奇妙な気安さを纏った男だった。
「すみません、すぐに帰らないといけませんから」
「そんなこと言わずに。ちょっとくらいいいでしょ。ね?」
男は強引に腕を引っ張って歩き出すと、振り向きざまに笑いかけてきた。
「あのっ……ちょっと、迷惑です!」
「えー? そんなつれないこと言わないでよ」
この人は、私が聖女様の護衛だということを知っているのだろうか。知っていてこんなことをしてきたのだとしたら、大問題だ。
――だけど、私の母親の名前まで知っていた。
ローブまで脱いで完全に平民としてやってきたから、誰も私が聖女様の護衛だと気づいた人はいない。
「あの、本当にもうっ……!」
手を振り払おうとして、見た目からは想像のつかないような強い力で手首を握られた。
「っいっ……!?」
「ねぇ、これ見てよ」
振り返った男の顔が一瞬、虚無を感じるほどに表情が削げ落ちていたように見えたが、男は胸元から懐中型のペンダントを取り出すと、パチンと音を立てて蓋を開け、中身を私に見せてきた。そこに描かれていたのは古びた二人の肖像画。
どことなく私と面影を同じくする黒髪の女性と、寄り添うように立っている目の前の男。
「分かってくれた?」
ニコリと人懐っこい笑みを向けられ、抵抗する力を緩める。そんな私にフッと笑みを浮かべて、男は前を向いた。
男は噴水のある大広場までくると、その近くにあるベンチへと私を誘った。
「これ、よかったら食べない?」
手渡されたのは先程の店に売ってあった可愛らしい菓子。そんなものを渡されて、困惑して男を見返す。
「どうぞ」
男は押し付けるように私の手に菓子を置くと、自分もさっさと封を開けてぽりぽりと齧り始めた。
なんというか、この男の動作の逐一が警戒心を絆させてくる。
暢気な様子におずおずと自分もそれに手を付けると、男は小さく声を上げて笑った。
マントのフードを下ろした彼は、緩くうねる白髪を無造作に結んでいる。質素なローブを羽織っていても、それでもその輝くようなアメジストの瞳にどこか儚げな容貌は、はっと目を引くほど美しい。
――まるで聖女様にそっくりだ。
そんな周りの目を引くような美貌なのに、喧騒の中にいる人々は誰も彼を気にする様子もない。不思議なまでに周りの関心を引かない男は、なんらかの魔術を使っているのは明白だった。
「……母とはどんな関係なんですか?」
男は菓子を頬張りながら、目を細めて笑った。
「お母さんのことを聞きたいのは分かるけど、少しは僕にも興味を持ってほしいなぁ。まだ自己紹介もしてないのに。僕はリンリール。しがない魔術師だよ」
「リンリールさん……」
噛み締めるように呼びかけた私に、リンリールさんはまた笑い声を上げた。よく笑う人だ。
「リンリールさんは、母とはどんな知り合いだったんですか?」
「えー、そこ聞く? ……昔の恋人だよ」
少し気恥ずかしそうに呟かれた言葉に、びっくりして思わずその横顔を見つめる。
「ベルエラとはね、君のお父さん――ジョエルと出会う前に付き合っていたんだ。なかなか気が合うと思ってたんだけどね? ベルエラはジョエルと出会うと、僕を捨てて行っちゃった」
信じられなくて、リンリールさんの顔をまじまじと見つめる。
自分の母親の昔の恋人だと言われても、目の前の若く美貌も兼ね備えた男がとてもそうだとは思えなかった。
「私のこと、からかっています?」
思わず握り締めた手に素早く魔術を構築する。
なにが目的だ。なんのために私の過去すら調べて近づいてきた。
「そんな物騒なもの引っ込めてよ。証拠ならさっき見せたでしょ? かっこ悪いことに、僕は今でも引きずってるんだよ」
リンリールと名乗った男は、再びペンダントを取り出して開くと、私の母の顔を愛おしそうに撫で始めた。その声音は、あくまでも優しい。
「別れてもしばらくの間は連絡取ってたんだけどね。一度、生まれた君を見に行ったこともあるよ。あのときはまだ小さかったからなぁ。こんなに大きくなっちゃって」
男はペンダントを閉じると、胸元へと丁寧に直した。そして空いた手で懐かしそうに私の頭を撫でてくる。
「月日が経つのはほんとに早いものだね。あの日からもうこんなに経つなんて」
反対の手を懐にいれると、リンリールさんはなにかを取り出して差し出してきた。
「これ、あげる。本当はベルエラにあげようと思ってずっととっておいたんだけど、とうとう彼女には渡せなかったんだ。かわりにソフィがもらってよ」
「そんな……もらえません」
「いいからいいから」
リンリールさんはまたもや強引に私に押し付けると、「さて」とベンチから立ち上がった。
「急いでたんでしょ? 引き留めちゃってごめんね。また会えるといいなぁ」
そういいながらも、リンリールさんは私の詳細なんかを訊いてはこなかった。
「再びこの偶然の出会いが起きますように!」
彼はお茶目にウインクしてくると、片手を上げ、サッと人混みに紛れて行ってしまった。
なんだか、有無を言わせない人だったな。
しばらくぽかんと人混みを眺めていたけど、リンリールさんの姿はもう見えることはなかった。
リンリールさんが押し付けてきた、母に贈るはずだったものを眺める。
それは、どこにでも売っているような可愛らしい銀のイヤーカフだった。草花を象ったその形は、若い娘がよくつけてそうな、いたって凡庸なものだ。
母にあげるためにとっておいたということは、きっと大分前に買われたものなんだろうが、磨かれた銀は眩しく、よく手入れされているのがわかる。それだけ母への思い入れが強かったのかな。そんなことを思いながらしげしげと眺めていると。
一点、ごくごく微量だけど、そのイヤーカフに書き込まれた魔術構築文があることに気づいた。本当に目につかないようなところに小さく構築文が書き込まれているのですぐに気付けなかったが、よく見たら今まで目にしたことのないような単語が見たこともない規則に並んで、歪に構築されている。
――これは、聖女様が浄化するときのあの構築言語と似ている……?
しばらく観察していたが、それがなんのための構築文なのかは、結局読み解けなかった。




