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エスパルディア・Ⅳ

 

 翌日、熱も下がって顔色も随分とよくなった聖女様は、起き上がると申し訳なさそうにへにょりと眉を下げた。


「ごめんね、迷惑かけちゃったね……」

「気にすることはない」


 ブリジットさんが鮮やかな緑の目を細めて、からりと笑う。


「旅慣れていなかったのだろう? 長いこと馬車に乗っていたからな。次の国へはもう少しゆっくりとしたペースで行こう」

「うん、ありがとう」


 ベッドから足を降ろして立とうとした聖女様はまだ本調子とはいかないのか、少しよろける。


「無理はするな」

「うん。でも、もう大丈夫だよ」


きっと心配で気が気でないだろう彼らにも知らせなければと背を向ける。


「……私、オーウェンや神官さんたちに知らせてきますね」

「あ、ソフィ……」


 頷いたブリジットさんに微笑み、すぐに部屋を出た。








 もう一日様子を見ようと言ったオーウェンを押し切る形で、聖女様は浄化を始めることにしたようだった。

 神殿の最奥、地下へと続く階段を降りると、なかなかに開けた地下の空間に出る。

 鍾乳洞にも似た神秘的な空間だ。岩は自らが発光しているように淡く光り輝いていて、灯りをつけなくとも、ぼんやりと辺りを見回すことができた。

 聖女様は一番奥の清水が湧き出ているところまで進むと、その清水が流れ込む、浅く透明な禊場へとしずしずと入っていった。そしてそこにしゃがみ込むと、目を閉じて一心に浄化の文言を構築し始める。

 奇妙な構築文だった。今まで私たち魔術師が使っているのとはまた別の、見たこともない浄化の文言を次々と構築しては、聖女様はその水面へと浮かべていく。浮かべられた構築文は静かに流れるその水流に乗って、地中深くに吸い込まれていく。

 それと同時に、上手く言葉にできないけど、空気がこう――凛と澄み渡っていくような、神秘的な清々しさがこみ上げてくる。

 目に見えて空気が綺麗になったわけでもない。芳しい匂いがするわけでもない。それでもなんとなく、今までの淀んだ空気がまさしく浄化されるような、不思議な意識の変化があった。

 浄化を行っている聖女様は妙な迫力があって、なにも言われていないというのになんとなく近寄ってはいけないような、物音さえ立ててはいけないような、そんな厳かな気持ちにさせられる。

 そうやって聖女様が浄化を始めてどれほどの時間が経ったのだろう。随分と長い時間、聖女様は浄化の文言を構築していたようだが、やがて最後のほうになるとどうやら今までと違う文言を構築しているようだった。

 あの構築文はなんなのだろう。そう思うも、見たこともない、魔術書にも載っていない不思議な構築文を読み取れるはずもない。

 最後の仕上げの構築文をやっと流し終えた聖女様は、顔を上げるとフラフラと立ち上がった。


「ルナ!」


 その途端金縛りが解けたように、弾かれたようにオーウェンが聖女様の元へと駆けつける。濡れるのも構わずに禊場から出てきた聖女様を抱きしめると、控えていた神官長から布を受け取って聖女様をそれで包み込んだ。

 浄化には相当な体力を使うと聞いていた。だから聖女様が到着した日にはみんな手厚く饗すのだと。なのに昨日から聖女様は体調を崩してろくに食べていないのに、浄化を強行してしまった。その唇は真っ青だ。


「部屋に戻ろう」


 聖女様を抱えながら、オーウェンはテキパキと私たちに指示した。


「悪いけど僕が部屋まで運ぶから、ブリジットとソフィは先に行って着替えや部屋の準備をしといてくれる?」


 浄化が終わったら聖女様がすぐに休めるように既に準備は整え終えていたはずだが、それでも私たち二人は頷くと、聖女様たちに背を向けて先に階段を駆け上がる。

 聖女様のあんな姿を見たライルは、今はどんな顔をしているだろうか。

 ふとそんな衝動的な疑問が沸いてきたが、その気持ちを振り払って、前を行くブリジットさんを必死に追いかけた。








 暖めた部屋。ふかふかのベッド。聖女様は微動だにすることなく横たわっている。

 昨日とは正反対の真っ青なその顔を眺めながら、この浄化の意味を考えていた。

 あの構築文はなんなのか。聖女はなんのために浄化を行うのか。

 私は聖女様がオーウェンと相思相愛になることは知っている。その障害になるのが自分の役割だと知っている。だって、この物語はそういう話だから。

 だけど聖女の浄化についてはどうだっただろうか、不可解なことに読んだ記憶が一切残っていなかった。まるで敢えて触れなかったかのように、聖女の旅の目的はただ浄化だとその一言で片付けられていて、その描写にもあまり重きを置かれていなかったことしか覚えていない。

 でもじゃあ、聖女様はなんのためにこの世界へ来たのだろう。

 この世界を浄化するため。じゃあこの世界のなにを浄化しているのだろう。この世界のなにが穢れているというのだろう。


「……ソフィ」


 薄っすらと目を開けた聖女様が蚊の鳴くような声で呼んできたので、そっとその枕元に近寄る。


「今は……」

「もう夜中になります。お加減はどうですか?」

「お腹空いたなぁ……」


 口を開くと少しその顔に色が戻ってきて、無意識にほっと息を吐く。


「お水を。軽食でよければ用意してもらっているので取ってきますよ」

「ありがとう」


 コップに水を注いで渡すと、聖女様は美味しそうに飲み干した。


「聖女さ……ル、ルナ」


 言い慣れない呼びかけにつっかえながらその名を呼ぶと、大きな目を更に大きく開いた目が私を見上げてくる。


「あの構築文の意味は……」

「……そっか。ソフィにはあれが、見えるんだ」


 聖女様はまじまじと私を見つめていたが、やがてそうぼやくとどこか諦めたように笑った。


「あんな構築文、初めて見ました。ルナはいったいこの世界でなにを……」

「ソフィ」


 聖女様の声は優しかった。けれど、その優しさはどこか拒絶しているようでもあった。


「今は、まだ……」


 その声は優しかったのに、その裏に含まれる拒絶の意に……ショックのような感情に、自分でも信じられなくて瞬きを繰り返す。


「でもソフィがやっと名前で読んでくれたの、嬉しいなぁ」


 そう言って本当に嬉しそうに聖女様は笑ったから、私もにこりと微笑みを返したけど。

 聖女様は結局それ以上なにを話すこともなく静かに水を飲んでいる。問いただすことは諦めて、聖女様の軽食を取りに行くべく部屋を出た。








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