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エスパルディア・Ⅱ

 

「次の御者番はセヴランさんじゃ……」

「変わってもらったんだ」


 オーウェンは少し気まずげに返してくる。


「僕たち、一緒に組むことってないでしょ? たまには兄妹水入らずもいいかなと思って」

「……聖女様は?」


 放っておいていいのだろうか。オーウェンがいなければ実質ライルが一人で聖女様の相手をするようなことになってしまう。もちろんセヴランさんもブリジットさんも一緒にいるが、二人は少し年が離れている分、どこか私たちの会話を見守っている節がある。


「そばを離れていていいんですか?」

「離れるって……すぐ目と鼻の先にいるのに変なこと言うなぁ、ソフィは」


 逆に訝しげに見返されてそれ以上渋るのも変かと思い、仕方なく隣へと乗る。オーウェンは準備が整ったのを確認すると、手際よく馬車を出発させた。


「うーん……どこまでいっても変わり映えのない空に道、ただの木々! 早く神殿に着かないかなあ」

「まぁ、この景色も今だけですから。楽しみましょうよ」


 普通に話しかけてくるオーウェンに普通に返すも、視線は合わせない。

 分かっている。さっきからちょくちょくオーウェンが私を窺っていることは。本当はなにか話したいことでもあるのだろう。

 ――実はオーウェンとこうやって二人きりになるのは、随分と久しぶりだった。

 警護はセヴランさんと組むのが当たり前になっていたし、個人的な女性としての困りごとなんかはブリジットさんにしか相談しないし、魔術のことは当然ライルに報告する。

 もちろんみんなの前では普通に話すし、話し合いでも意見は交わし合っているし、私もオーウェンもそこはいつもと変わらない。……だけど妹として、個人として、オーウェンと向き合うことはどこか避けてしまっていた。

 なんとなく気まずくてオーウェンの顔は見れそうにない。景色に見とれているフリをして遠くに視線を固定する。私は上の空を装ってその視線を避けた。


「あのさ……」


 だけどオーウェンはとうとう決心をついたようで、おずおずと切り出してきた。彼に分からないようにそっと息を吐く。


「ソフィってさ、学院でもあんなこと、してたの?」

「……あんなことって?」


 冷静に聞き返した言葉に、オーウェンはしばし躊躇していたようだった。


「その、あんな危ない真似……」


 オーウェンの声が尻窄みに小さくなっていく。きっと私に憤慨されるだろうことをわかっていながらも、敢えてその言い方をしたんだろう。


「実践訓練ならそれこそごまんとこなしてきましたよ。そうでなければあの純白のローブは羽織れませんからね」

「そっか、そりゃそうだよね」


 オーウェンは乾いた笑いをもらした。どこか自嘲めいた笑い声だった。


「……僕の知らないところで、ソフィはずっとあんなことを……」


 オーウェンは、なにを言いたいのだろう。

 あの日、自らオーウェンに背を向けてランドルフ家を去った日から、すでにオーウェンは遠い存在だったけど、今はもう、オーウェンがなにを考えているのか私にはわからない。血も繋がっていない、同じ時も共有していない。そんな私たちじゃ、そう簡単に通じ合うはずもない。

 オーウェンは長く深い息を吐いたあと、話しだした。


「……僕はさ、正直、最初は魔術というものが憎らしかった」


 ポツリとこぼされた本音は、初めて聞くものだった。


「なまじソフィに魔術の才能があったばっかりに、ソフィはブライドンなんかに行ってしまうことになって……まだ子供なのにさ、せっかく手に入れた僕たち(家族)さえも捨てるように置き去りにして、まるで取り憑かれたように帰ってこなくなって。こんなふうになるなら、僕はいっそソフィの魔術の才能なんか消え去ってしまえばいいとさえ思っていたんだ」


 知らなかった。オーウェンにそこまで思われていたなんて。それでもオーウェンは、黙って見守ることを選んでくれていたんだ……。


「でも、ソフィがオスカーの魔術具を持って帰ってくるようになったころからかな。ソフィからなんだか険がとれたように感じて、一緒に来てくれたお友だちと過ごすソフィはどこか楽しそうで、僕は初めて、学院で過ごす時間もソフィにとっては必要だったのかもって思えたんだ」


 ふと、オーウェンの声が柔らかくなった。


「オスカーの魔術具を見て、ソフィがどれだけ真剣に魔術に向き合っているのかわかった。同じ魔術師を目指す人たちと過ごす姿を見て、そのことがどれだけソフィの人生の行く先を照らしているのか理解できた。僕たちが支えられなかったソフィの隙間をどれだけ埋めているのかも、知った。……でもそれは、ただの一面しか見てなかったんだよね、結局」


 またオーウェンの声に、自嘲が混じる。


「あの試合を見て愕然とした。ルナの前で魔術を使うソフィに、正直恐怖を覚えた。僕はなんにも知らなかった。理解できてなかった。自分の妹のことなのに……あれからずっと考えてる。僕はそれでも、ソフィの家族でいることを諦めたくない。受け入れたい。僕はソフィのお兄ちゃんだと自分に胸を張りたい。……でも今は正直、自信がない」


 私は今までオーウェンに、魔術師としての自分をほとんど見せてこなかった。オーウェンが知っているのは、私が作った魔道具ぐらい。

 あんな苛烈な部分があることを、私はきっと、あえてオーウェンに見せなかった。隠していた。見せたくなかったんだ。本当はどう思われるのか、怖くて。


「……私に言えることは」


 幼少時から一緒に過ごしてきた身内としての情。かわいい妹。初めて目にした制御不能な強大な力。負の感情が込められた、敵意丸出しの怨嗟の炎。

 オーウェン・ランドルフは最後まで分かり合えるはずだと信じていた。でも“ソフィア・ランドルフ”は分かり得なかった。


「人は、自分の想像を越えるものに畏怖を感じる生き物なんだと思います。魔術というあまりにも強く未知な力は、それだけで畏怖を感じるには充分です。それに自慢じゃないですが、私のこの力は学院でも強いほうだと言われていました。馴染みのないエスパルディアの人が受け入れがたいのも無理はないし、当たり前です」


 だからこそ、あのときこそ慎重に振る舞うべきだった。そんな力を聖女様に迂闊に見せていた私にオーウェンが警戒したのも、今となってはわかる。


「だったら、未知の力に打ち勝つ方法を知ってください。その力のありようを知れば、むやみやたらと恐れる必要もなくなります。……オーウェンだって、素晴らしい力を持ってるんですから」


 私は絶対にオーウェンと聖女様を傷つけない。二人の幸せを必ず守り抜く。ネイサンの期待に必ず応えてみせる。

 ……でも、もしも物語の強制力に抗えなかった、そのときは。


「魔術というものは、発動するために構築文を組み立てて完成させなければいけません。つまり、魔術が発動するまでには幾ばくかの余白がある。その時間を彼らに与えないことです。魔術師が構築文を完成させる前に叩き潰すんです。私たちは魔力に頼っている分、身体能力は並の人間よりちょっとタフなくらいで、そこはオーウェンとは比ぶべくもありません。だからいざというときは躊躇わないでくださいね。オーウェンの速さと力があれば、魔術を構築し終わる前にきっと終わらせることができるでしょうから」


 その言い方が引っかかったのか、オーウェンはちょっとムッとしたようだった。


「なんだかその言い方、イヤだな。まるで……そうすればソフィを倒せるって言われてるみたいで」

「私に限らず、どの魔術師にも言えることだという話です」

「……だったら、もしかしてライオネルくんにも?」

「もちろんです、と言いたいところですけど……ライルはけっこうに天才肌で、しかも用意周到ですから、彼の不意を突くのはなかなかに難しいかもしれませんね。彼はあまり敵に回したくないタイプです」


 オーウェンは悔しそうに口を尖らせた。


「ええー、せっかくいいこと聞けたと思ったのに……」


 オーウェンの素直な感想に、つい笑ってしまった。

 オーウェンはよくも悪くも真っ直ぐだ。いつも素直にぶつかってくる。今回だって気まずいところを逃げずに敢えてぶつかってきてくれたオーウェンに……私は正直、こうも安心している。

 良かった。私はまだ完全に見捨てられたわけじゃなかったみたいだ。オーウェンはまだ私のことを理解したいと思ってくれている。

 彼はしばらく前方の景色を見つめていた。私に言われたことの意味を噛み締めるようにして、しばらく考え込んでいたようだった。


「それとさ」


 しばらくして再び開かれた口は、幾分軽くなっていた。


「ソフィってさ、いまだにルナのこと、聖女様って呼んでるよね」


 油断していた。

 いい感じに話を切り上げることができたから、まさか次は聖女様についての話を切り出されるとは思っていなかった。


「そう、ですね。聖女様は聖女様なので……」

「たしかにそうかもしれないけどさ、真面目なソフィらしいけど。でもそれは、別にこうして一緒に過ごす間まで徹底しなくてもいいんじゃないかなって、思ってさ。これからずっと長い旅をしていくんだし、それにちょっとルナも気にしてたから……年の近い女の子同士、もっと仲良くなりたいみたいだよ? 僕が言うことじゃないかもしれないけど」


 ……そんな余計なことばかり気にしている暇があったら、ライオネル・アディンソンに取られないように、少しでも聖女様の隣にいてあげればいいのに。

 ふと、喉を締められるような息苦しさに襲われる。

 極力聖女様とは距離を縮めたくない……近づけば近づいただけ、強制力でねじ曲がってしまったらと、そう考えるだけで恐怖にのまれそうになる。

 私には聖女様を害するつもりなんて微塵もないし、ただ穏便にこの旅を済ませたいだけ。みんなの期待に応えたいだけ。

 終わったら、言われなくてもすぐに目の前から消えるから。


「……分かりました。じゃあ、今度からルナ、って、呼んでみます」


 ぐちゃぐちゃに乱れ散った思考をすべて呑み込んで、そうとだけ返す。晴れたスカイブルーの瞳は相変わらずチラチラと私を伺ってくる。


「ソフィがルナと仲良くしてくれたら、僕も嬉しい」


 ……あなたがそれを望むなら、今の私にはそうするしかない。


「……分かりました」


 別に誰が悪いという話でもない。

 オーウェンは私を受け入れたいと思っている。聖女様はこんな私とも仲良くしたいと言ってくれている。

 いいことじゃないか。みんなで仲良く、楽しく旅ができるのなら。心を乱す必要なんてどこにもない。


「少し疲れました。あとの操縦は任せてもいいですか」

「え? ああ……もちろん」


 オーウェンに手綱を委ねて、あとは喋ることなく、遠くの景色に目を遣った。








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