中等部二年・Ⅱ
編入して数ヶ月が経ち、やっと前期が終わるころ。休暇を前に、学院内はどことなくそわそわしていた。
初めて受けたテストの結果はまずまずで、もっと頑張らなければとちょっと落ち込んでいた。
「今度の休暇は、やっぱりエスパルディアに帰るんだよね?」
寄宿舎の談話室でルイとテストの点を見せあいながら解答を確認していると、ふとそう尋ねられた。
「え? 帰らないけど?」
オーウェンに会えるほどの気持ちの整理はついていない。
「じゃあ休暇の間はどうするの?」
困惑しながら尋ねられ、私も困惑する。
「ずっと寮にいるつもりだよ」
「ソフィ、最低でも中日の三日は大規模清掃のために必ず帰省する決まりだって教えたよね?」
「そんなこと言ってたっけ?」
あのころは色々と必死で、聞き逃していたのかもしれない。
――ランドルフ家には帰りたくないし、どうしよう……。
「今からでも連絡して帰省しなよ」
「うん……そうだね、そうするよ」
なんでもないことのように言われるけど、それができたら最初からここには来ていない。だけどそんなことをなんの関係もないルイに言うわけにもいかない。
心配そうにこっちを伺っているルイに、誤魔化すように笑ってその話題を切り上げた。
「それじゃあソフィ、エスパルディアまで遠いから気をつけて」
「ケイティこそ。気をつけて!」
次々と帰省する特待生仲間を見送り、ケイティも去っていくと、気づけば残ったのはルイと私だけだった。
ルイはなにか用でもあるのか、大きなグレーの瞳でじーっと見つめてくる。
「それじゃあルイも、気をつけてね」
促すように手を振るも、動く様子はない。
「ソフィは?」
「ん?」
「ソフィを見送ってから帰ろうかな」
「……」
「やっぱり。ずっと様子がおかしかったからもしかしたらって思っていたけど。ソフィ、帰らないの?」
「……えっと」
「なんで?」
至極純粋にそう尋ねられて、言葉に詰まる。
よっぽどひどい顔をしていたのか、ルイはそっと私の手を引っ張った。
「だったら、とりあえず来なよ」
そのままルイは歩き出す。
「どこに……」
「僕の家。食堂だから」
ちらりと振り返ったグレーの目がふわりと笑った。
「美味しいご飯、食べに来ない?」
その言い方があまりにも優しくて、断ろうと思った手を離せなかった。
ルイの実家は、ティリハ国内のヒヒトという街にあった。エルオーラからは街を一つ挟んだくらいで、それほど離れていない。
通りに面した所で食堂を営んでおり、到着したときにはたくさんの客で賑わっていた。
「ただいまー、母さん」
のんびりしたルイの声に、奥からルイによく似た女性が顔を出す。出てきた女性は私を見るなりニコニコ笑顔を浮かべた。
「すいません、お邪魔します」
「あら! ルイのお友だち? よく来てくれたねぇ。いらっしゃい。お名前はなんて言うの?」
その言葉に、奥の厨房から一斉に顔を出す人たち。
「母さん、この子はソフィアと言って、例のエスパルディアから来た特待生の子だよ」
「エスパルディア? また遠い所から来たもんだねぇ。ソフィアちゃん、こんな所まで来て大変だったね。一人でがんばってえらいねぇ」
頭を撫でられそうな勢いに狼狽する。ときどき自分がまだ十二才だってことを忘れそうになる。
「おい、ルイが女の子を連れてきてるよ!」
「マジだ、ほんとに女の子じゃん。なに、彼女?」
「ちょっと兄さんたち、うるさいよ!」
慌ててルイが怒る。その声はお客さんにも聞こえていたみたいで、幾人かが顔を上げた。
「おやルー坊、帰ってきてたのかい」
「しばらく見ないうちに大きくなったなぁ」
「お久しぶりです、ジャックさんにカークさん」
「しかしルー坊が女の子かぁ」
「あのちっこかったルー坊も、学校に行きゃあ色気づいて帰ってくるのかねぇ」
「もう、そんなんじゃないですから!」
あちらこちらから笑い声の上がる、賑やかな食堂。
ルイに空いているテーブルに座るよう促され、彼はそのまま厨房の方に消えていくと、しばらくしてお盆を手に戻ってきた。
「はい、これ」
ホクホクのシチューとパンだ。作りたてで、いい匂いが漂っている。
そこで初めて空腹を自覚して、ルイに促されるままに、スプーンを手にとった。
「ねぇ、もっかい聞くけどさ、ソフィはなんでエスパルディアに戻らないの?」
ゴロゴロした野菜を口に運びながら、モゴモゴと誤魔化しの言葉を口にする。
ルイがとても親切で面倒見が良くて、人の話を吹聴するような人じゃないことはもう知ってる。
それでも、このどうしようもない感情について気安く吐き出す気にはなれなかった。
「もしかしてランドルフ家の人たちにいじめられてる?」
「違う! それは絶対にない」
そういう心配をかけていたことに気づいて、慌てて否定を返した。
「みんなすごく良い人たちで、私のことをちゃんと家族として大切にしてくれてる。ただ私が……帰りたくないだけで。ごめん、私のわがままなの」
ただ自分がこの気持ちに整理をつけきれないだけだ。
なにをするべきかは、嫌というほど分かってる。
オーウェンの幸せを願って、ライオネル・アディンソンに対抗しうる実力を身に付け、浄化の旅を成功に導く。
そのための一歩も踏み出した。あとはこの感情を消し去ってしまえばいい。
……たったそれだけのことなのに、それだけのことがまだできそうにない。
「そっか。じゃあ行くとこないなら、うちにいなよ」
理由も言わない私に、だけどルイは憤ることもなく、明るくそう言ってくれた。
「もちろんタダじゃないけどね。いるからにはうちの手伝いをしてもらうよ?」
「そんなの、もちろん!」
勢い込んで返事をすると、ルイはカラカラと笑う。
「良かった。休みの間って魔術の話をする相手がいなくていつも退屈してたんだ。今回はソフィがいるからたくさん話せるね。やった!」
無邪気なルイの笑顔に救われる。
早速この間のテストについて喋り始めたルイに、知られないようにホッと息をついた。……結局そのお喋りは、ルイのお母さんに夕食だと止められるまで、延々と続いた。
ルイの家族は、明るくて朗らかな人たちだった。迷惑になることを詫びれば、ルイのお母さんは子供が気にすることじゃないと笑う。
お兄さんたちもまぁやんちゃで、ルイと私の仲をからかっては躍起になって反論するルイに都度爆笑している。こんなに賑やかな生活は初めてだった。
その日はお嫁に行ったルイのお姉さんの部屋を借りて、夢も見ずにぐっすりと眠る。
「朝だよ、起きて!」
気持ちよく微睡んでいたところを唐突にシーツを引っ剥がされて、私は慌てて跳ね起きた。
目の前にはシーツを手にした、仁王立ちのルイ。
寝ぼけた目に否応なく差し込む、朝日。窓からひんやりとした風が流れ込んできている。
「昨日言ったでしょ? 今日からこれでもかってくらい働いてもらうからね。まずは身支度して仕込みから!」
息つく暇もなく、ルイに促されて部屋を出る。
不思議と昨日までのウジウジしていた気持ちはなくなっていた。
ルイの言ったとおり、これでもかと働く日々はあまりに忙しくて、余計なことなど考える暇もなかった。
今生で厨房など入ったことのない私に調理器具の使い方など分かるわけもなく、一から教えてもらいながら必死にこなしていく。
朝早くに起きたら食堂内を掃除して、それから下ごしらえを見様見真似で手伝う。料理はさすがに手出しできないから、配膳したり皿洗いに回ったり。夕方にはもうヘトヘトになって、夕飯をいただいたらすぐに寝てしまう。
でもあくせく働いた三日間はおかげであっという間で、思いのほか楽しく過ごすことができた。
「ソフィちゃん、お店のお手伝いありがとうね」
「こちらこそ、三日間お世話になりました」
ニコニコしているルイのお母さんの後ろから、お兄さんたちも顔を出す。
「今度来るときはルイのお嫁さんかな?」
「兄さん、もういいってその話は!」
「ハハ……」
相変わらずのイジりネタにもすっかり慣れた私に、ニッカリ笑って手を振ってくれる。
「またいつでもおいで」
なにも聞かずにいてくれた、ルイやルイの家族には感謝しかない。
温かい笑顔に見送られて、ヒヒトの街をあとにした。