出立
玉座に座った陛下の御前で、聖女様は臆することなくまっすぐにエスパルディア王、ジェルマン・ロア・エスパルディアを見据えている。その後ろで私たち護衛は五人とも、一様に跪いて頭を伏せている。
「とうとう今代の聖女を浄化の旅に送り出す時が来た。聖女が何不自由なくその目的を遂行できるように、心を砕いて護衛の任を全うしてくれ」
「は」
陛下の言葉にオーウェンが代表して、二言三言、言葉を交わしている。それから長々しい口上や祝辞、聖女様の宣誓などを聞かされたあと、陛下の重々しい言葉をもって式はやっと終了となった。
陛下が立ち去っていくと、広間にざわめきが戻ってくる。ずっと下げていた頭を上げて、凝り固まっていた肩をほぐし、ホッとひと息ついた。
今まで静かに見守っていた貴族たちが、一世一代の式の終わりに興奮したように会話に興じている。
前を見ると、退出しようとオーウェンが聖女様の手を取っていた。ゆっくりと歩み出した二人に、出立式を見に来ていた貴族たちが次々と応援の言葉をかけてくる。
それに応える二人を眺めながら後ろをついていっていると、ふいにからかうような小声が聞こえてきた。
「せいぜい皆の足を引っ張らぬようにな。詐欺師殿。おっと間違えた、魔術師殿だったか」
勢いよく振り返って、詰めかけている貴族たちを眺める。
みんなクスクスと笑っている。誰が言ってきたのか分からない。さざめくように広がっている笑顔。
それが私には嘲笑に見えた。
「ソフィ」
肩に手を置かれ、振り返った先のライルの表情が険しいのを見て、彼にも聞こえていたことを知る。
――なにがそんなに可笑しいというのだろうか。あなたたちのような愚鈍な貴族など、一瞬にして火だるまにしてやることも可能だというのに。
……沸き上がってくる負の感情を、手を握りしめることで堪える。
ダメだ。そんな全てを台無しにするようなこと、絶対にしちゃいけない。私たちはただ、この旅を通して魔術師がいかに有用か、今から証明していけばいい。こんなのはいちいち相手にしちゃいけないんだ。
二人、唇を噛み締める。肩に置かれた手に力が込められている。
ああ、ライルも同じ気持ちなんだ。そんな妙な連帯感を自覚すると、沸き立っていた気持ちも少しずつ落ち着いてくる気がした。
相手にするまいと、背を向けて立ち去ろうとしたとき。
「……どうしてあなた方はこの二人に対して、そこまで意地悪なことを言うんでしょうか」
前から凛とした声が聞こえてきた。振り返って可憐な瞳を向けてきた、聖女様だった。
「どうして詐欺師だとか……他にも傷つけるような言葉を平気でかけてくるんですか? そんなことを言われた二人がどんな気持ちになるのか、考えたことはありますか」
さざめくような笑い声が、シンと静まってゆく。
「……お二人のこと、魔術師のこと、もっと知ろうとしてくれませんか。本当のことを知ってもらえたら、きっと皆さんなら分かってくれるから……この旅を通じて皆さんに伝えたい。そして皆さんも変わってくれると、そう信じています」
聖女様は悲しげにまつ毛を伏せる。その背をオーウェンがそっと抱き締めた。
あまりにも力強く、まっすぐな言葉だった。
これまでバカにされ、嘲笑を受け、詐欺師だと相手にしてもらえなかった私たちを、聖女様がはっきりと声を上げてくれたことで彼らの中に一石を投じたのだ――。
そこまで考えて、ハッとライルのほうを見上げる。
見上げた彼はそのアイスブルーの目を見開いたまま、瞬きもせずに聖女様を見つめていた。
ああ……その表情は、もしかして、そういうことなのか? ライオネル・アディンソンが聖女様に傾倒してゆくきっかけは今だったのか?
分からない、分からないけど、今のライルのその目は私の心を焦らせた。どうにかしてこっちを向いて、いつものライルの顔に戻ってほしいけど、そのアイスブルーの瞳は一心に聖女様に注がれたままだ。
聖女様はそんな私たちにニコリと笑いかけると、両手を差し出してきた。
「一緒に行こう、ソフィ、ライル。私の旅には、二人の力が必要だから」
足元が崩れ落ちるようだった。
なんだかんだでライルはこっち側だと思っていた。こっち側にいて私のことを分かってくれる、唯一の仲間だった。でもそれがこの瞬間、こっち側に取り残されているのは私だけで、ライルは大きな隔たりがあるあの溝の向こうの、聖女様のそばへと掬い上げられてしまったのだ。
「……ああ」
聖女様の隣へと歩み出したその後ろ姿を、愕然と眺める。
ここはまぎれもなくあの物語の中で、そして主役は間違いようもなく聖女様なんだと、そう思い知らされた。
あまりにも突然の出来事で、私はなにも……出来なかった。
「ソフィ?」
「ソフィも、行こう?」
立ち止まったままの私を振り返ってきたライルの隣、眩しいほどに輝く聖女様が私にも手を伸ばしてくる。その後ろで、他の護衛も私が来るのを待っている。
その手を私は、咄嗟に叩き落とそうとして――。
「……」
「ソフィ……?」
「……はい」
血が出るほど唇を噛み締めて、震える手を聖女様の手にそっと重ねる。
――どうして? 私と一緒じゃなかったの? こんな扱いをしてくるこの国が憎いんじゃなかったの? 別にこんな役、降ろされたなら降ろされたで構わないって言ってたじゃない。
この聖女様のせいで私たちはまたこんなに嫌な目に遭ってるんだよ?
そう瞬時に膨らんだ敵意を、全力をもって力いっぱいに捻じ伏せる。
違う、そうじゃない。この国の差別と聖女様は関係ないし、寧ろ聖女様にはなんら関係のないことだ。なのに聖女様はそれでもこの国の歪んだ有り様に真っ向から向き合っておかしいと声を上げてくれた。感謝こそすれ、恨むなんてお門違いもいいところだ。
それに最終的にこの道を進むと決めたのは、ほかでもないこの自分だ。
『あんたのせいでこんな惨めな目に遭ってるのに、あんたと仲良くするなんて冗談じゃない』
頭の中で一つの台詞が、言えといわんばかりにずっとリフレインしている。
「ついて行きます」
だからそれをかき消すように、そう宣言した。
私は運命に抵抗する。思い通りになんて動かない。私は、ソフィは、そんなこと、決して言わない。
聖女様に重ねた手が震えていることに気づいたライルがこっちを心配そうに見てくるけど、それに気づかないフリをして、まっすぐに前を見据える。
「どうかしたのか」
立ち止まった私たちに、近寄ってきたネイサンが訝しげに声をかけてきた。
それに聖女様は躊躇うように口を開いたので、首を横に振ってみせる。
「……旅の中で、その価値を示してみせよ」
ネイサンから静かに告げられたその言葉に、目を瞠る。
「魔術師アディンソン、魔術師ランドルフ。陛下からの……お言葉だ」
私は示せるのだろうか。
ネイサンのために。オーウェンのために。ブライドン学院のために。魔術師の未来のために。
魔術師のその価値を、最後まで示し続けることができるのだろうか。
「ソフィ……」
心配そうな声が聞こえる。
出立式を見に来ていた貴族の中にオフィーリアとエリザさんがいるのに気づいて、息が止まりそうになった。
――私はよりによって大切な人たちの前で、危うくとんでもない醜態を晒すところだった。
二人だけじゃない。ここにはネイサンもいるし、警護についている近衛騎士の中にはサイラスだっている。
しっかりしなければ、ソフィ。私がここに立っている意味を、もう一度しっかりと心に刻みつけろ。
大切な人を守るために、その人たちの希望のために、私はここに立っているのだから。
前で見守っていたオーウェンが緊迫した空気をうち破るように力強く宣言する。その言葉に、場の雰囲気が一気に変わった。
「さあ、ルナの浄化の旅が始まるよ! 僕たち全員で、この旅を守るんだ!」
それにブリジットさんが頷き、セヴランさんが片手を上げて応えて、そして――ライルが聖女様に微笑みかけた。
まるでガラスの向こうの、光景だった。




