“先日の件”
純白のローブを羽織った美貌の魔術師は人気のない壁際まで歩いてくると、振り向きざまに視線を投げかけた。
「……なんの御用でしょう?」
その視線はしかし、すぐに先程まで一緒にいた彼の同僚の元へと飛んでゆく。
まるきり興味もないと言わんばかりの態度に、令嬢たちは微かに唇を歪めた。
「あの、約束通り反省もいたしましたし、大人しくしておりましたわ。謝罪もいたしましたの。ですからどうか、あの魔術具を……」
「わたくしたち、こんなことが知れてしまえば……」
「あの勝手に送りつけた自分勝手な手紙が謝罪だと?」
美貌の魔術師は口端に微かな冷笑を浮かべた。
「先程の彼女の様子では受け入れているようには見えませんでしたが」
その言葉に、二人の令嬢は押し黙る。
「……私は誠意を見せてほしいとお伝えしたはずです。己の行いを悔い改め、驕ることなく息を潜め、決して彼女の前に存在をちらつかせないように。それだけのことしか要求していないのに、あなた方はなぜそれすらもできないのでしょう。彼女につけられた傷痕は、とても深い。その傷が癒えるまで、悪意に満ちた誹謗中傷を浴びせかけたあなた方は誠意を見せ続けなければならない。そう思いませんか」
あくまでそう告げる声は冷静だ。脅すわけでもなく、憂うわけでもなく、ただ淡々と事実を告げるかのように。
「……私の考えに賛同いただけないようであれば、無理にとは言いません。この話はなかったことに」
「いえ! それは……!」
「分かりましたわ! 誠意を見せ続ければいいのでしょう?」
吐き捨てるように告げたもう一人の令嬢に、その視線が向く。
向けられた瞳の中の色に、二人は息を呑んだ。
「……っ!」
決して同僚には見せないような、おぞましいほどの冷酷な光を湛えた、瞳だった。
まるでどこにも逃げ場のないような、深くて暗い、冷たい瞳。その瞳をわざとらしく笑ませて、魔術師は綺麗に笑って見せる。
「私は別にあなた方を痛めつけたいわけでも、追い詰めたいわけでもない。あなた方に理解を深めてほしいだけだ。私たちがただの口八丁の詐欺師ではないということは、今回の件で充分ご理解いただけただろう?」
「返事は」と静かに促すと、二人とも操り人形のように必死にコクコクと頷き返す。
「くれぐれも変な気は起こさないように。あることないこと喚いたところで、こちらには“これ”がある」
魔術師の開いた手の先にある銀色の魔術具に、令嬢たちは咄嗟に縋ろうとする。すぐに手は握りしめられ、絶対零度の視線に行く手を阻まれた。
「それでは失礼する。あなた方の誠意を信じている」
麗しき魔術師は振り返りもせずに立ち去ってしまう。
その冷たく輝く美貌の奥に容赦のない無慈悲さを垣間見て、令嬢たちはただただ震えるしかなかった。
純白のローブを纏った魔術師は同僚の元へと戻りながら、握りしめていた鳥型の魔術具をそっと眺める。
その魔術具は、彼の同僚が学院にいたころに一心不乱になって作っていた、卒業研究の魔術具だった。それは声を録音して相手に届けることができるという。……あの地に置いてきた大切な学友を想って作った品だった。
彼はそれを使って、彼女たちに可能性を示してみせた。
この魔術具は声を記録するものであり、同じものを彼の同僚も持っている、そして全ては記録されている――と。
実際にそのかしましい言い訳を録音してみせたときの彼女たちの取り乱しようといったら。心配しただけだの、世話話のつもりだったのといけしゃあしゃあと宣うその声が魔術具から流れ出たそのときの彼女たちの顔は、まあ見物だった。でもそれも仕方の無いことだろう。まさかそんな魔術具があるなんて、この国の者が知る由もない。
彼女たちは侮っていた。たとえ善意の塊のような聖女や平民の魔術師に訴えられても、しらを切れると嘲っていた。
それどころか、腹いせなのかなんなのか、平民の詐欺師がいかに傲慢に彼女たちを傷つけようとしてきたかと、そう吹聴して回ろうとしていた。
だが証拠が残っているとなると話は別だ。
彼女たちはうかつなことを言えなくなる。平民の詐欺師が脅すように理不尽に魔術を使ってきたなんて戯言は、通用しなくなる。
……もちろんそこにも、同僚の持つ魔術具にも、今代の聖女や護衛に対する暴言など入っているはずもない。そこまで長い会話を録音できるほど構築文が完成していないのは、魔術具を隅々まで分析してみたので分かっていた。
彼はただ、彼女を守りたかった。
事実が明るみに出ようが、力の限りを尽くして彼女たちに制裁を与えようが、傷ついた魔術師の心はもう元には戻らない。彼女はそんなこと、望んでいない。
あのとき庭園で佇んでいた彼女の、なにもかもに見捨てられたような色を失った瞳だけが、その瞳がいつかまた安寧を取り戻せるようにという思いだけが、今の彼を突き動かしている。
彼の同僚の元へと戻る途中、忌々しい顔と遭遇した。
彼にとっては先程の令嬢たちよりも、よほどこちらの方がうっとおしい存在だ。
「近づくなと、警告したはずだが」
もう一人の純白の魔術師を伺っていたその後ろ姿に声をかけると、びくりと肩を竦ませ、振り返ってくる。
「魔術師、アディンソン」
「二度と私たちの前にその面を見せるなと、何度言ったら分かる」
「俺は、その……」
躊躇いがちに口を開く姿は、先日の試合のときとはあまりに違う。きっと警戒心の強い彼女なら気色悪いとすら感じるかもしれない。
「フェアな試合じゃなかったことを謝りたい」
「……」
「あいつらみたいに、本当に追い詰められたらすぐに降伏して本性を現すと思っていたんだ。まさか、怯まずに立ち向かってくるなんて……」
「……」
「ランドルフ騎士団長に庇護してもらっているから、だから護衛になれたんだろう。そんな汚い遣り口を使ったことに嫌悪していた。でも違ったんだ。勝手な思い込みだった。あの試合で彼女は俺のことをぐちゃぐちゃに痛めつけることだって出来ただろうに、傷一つつけることなく試合を終わらせた。彼女は……」
「もう、いいか?」
残酷なほど感情のない、突き放しだった。
「正当化に塗れた自分語りは終わったか? 悪いが、彼女をあまり独りにさせたくないんだ。これで失礼させてもらう」
「一度だけでいい! 一度だけ、謝らせてくれないか……」
「自惚れるなよ」
ひやりと滲み出す冷酷さは、彼を全くの別人に見せる。
「そんな上っ面の謝罪を受けたところで、彼女の傷跡が綺麗に消え去るわけでもない。なんの足しにもならない言葉を羅列したいだけなら、勝手に他所でやっていろ」
「そんな……」
自分たちの心境も考えず、何度言っても諦める様子もなく周りをぶんぶんと飛び回り続けるこの虫が、彼は叩き潰したいほどに憎らしかった。
「俺はこんなにも反省しているのに……」
すごすごと戻りながらそう呟く後ろ姿に、電撃を喰らわせて丸焦げにしてやりたい衝動に駆られ、ぐっと拳を握りしめる。
力による制裁は容易だが、そんなことをすれば彼女に失望されるのは分かっていた。
彼女が大切な居場所を離れてまでここに戻ってきたことの意味を、成し遂げようとしていることを、自分が履き違えたくない。
彼女が敬愛する騎士団長のために耐えていることを、彼が台無しにするわけにいかない。
虫を追い払うように彼を追い払ってから、魔術師はなにもなかったかのように同僚に声をかけた。
「すまない、待たせた」
そう声をかけると、一人憂うようにもの思いに沈んでいたその真っ黒な瞳が彼に向けられて、ほっとしたように緩む。
その瞳を見つめながら、やはり自分がここにいる意味はこの瞳にあるのだと、彼は今までも嫌になるほど味わった胸の痛みを、また自覚した。




