出立前
エスパルディア城、大広間。
とうとう浄化の旅も間近に迫ってきたということで、今日はお城の大広間を開放して、聖女様の出立を祝うために豪華で華々しい舞踏会が行われている。
パールホワイトの豊かな髪を緩く結い上げ、純白のドレスに身を包んだ聖女様は、月からやってきた女神の化身のように麗しい。貴公子然としたオーウェンにエスコートされる様はあまりに眩くて、周りから感嘆のため息が止まないほどだ。
同じく騎士隊の正装に身を包んだセヴランさんとドレス姿が色っぽいブリジットさんもこの豪華絢爛な場に相応しく装っていて、まるで映画の中の世界のようだった。
あの日、あのあとセヴランさんに言われたことを思い返していた。
「俺は別に、お前さんが悪いとも思わないけどな。まあ、あんな鼻たれた小娘のただの自己満足の詭弁に、ご丁寧に相手をしてやらなくてもとは思ったが」
軽薄さの裏にどこか真剣さを滲ませたような声で、あのときのセヴランさんは、まっすぐと斬り込むような視線を投げかけてきた。
「ただそれがソフィの思う護衛の役目ってなら、なにを言われようと突き通したらいい、堂々としていればいい。人の言うことなんていちいち鵜呑みにする必要があるのか? お前さんが護衛であることに、他の奴らの言うことなんて関係あるのか?」
きっとセヴランさんは心まで強い人、なんだろう。
私じゃなくて彼だったら、きっとバカ真面目に取り合うこともなく、上手い返しでスマートにあしらえた。
でも私は違う。
そう、割り切れなかった。心の柔い膿んだところをぐさぐさと突かれて、あろうことか醜い本性を曝け出して牙を剥いてしまった。
そんなことでいちいち目くじら立てて、これから先、護衛としてやっていけるのか。
そう試されている気がした。
きっとその覚悟がないのなら、辞退することも考慮しろということなのかもしれない。皮肉だが彼女たちの言うとおりだ。相応しくないのなら、自分から辞退するしかない。
でも、それだけは出来ない。
ネイサンの望みだとそう私に告げた、学院に来たときの嬉しそうなサイラスとオーウェン。
エスパルディアに戻ってきた私を迎えたときの、誇らしさと期待の裏に親としての心配を隠したネイサンとオフィーリアの姿。みんなの顔が私の脳裏を過ぎってゆく。
……なら、私が強くなるしかない。そんな風に思われないように、私が平気になるしかない。
聖女様たちは寄ってくる貴族たちとにこやかに談笑している。ときどきオーウェンやブリジットさんが前に出てくる辺り、繰り出される微かな嫌味は二人が上手にあしらっているのだろう。
それを壁際で眺めつつも、隣に立つ、私と同じいつものローブ姿の同僚をちらりと見上げた。
「別にこんなときまで私に付き合わなくても、踊ってきたらいいのに」
先程から綺麗に着飾った貴族の令嬢が何人かライルに声をかけにきていた。それをライルは全部にべもなく断ってしまったけど。
「私が踊りたくないんだ。こんなものに参加するくらいなら、訓練場で魔術の打ち込みでもしていたほうがまだいい」
その言い草に思わず笑ってしまう。
「そんな顔をしてるのに……ルイみたいなこと言って」
「さすがにあそこまで頭の中が魔術一色で埋まってはいないと思うが。ところで、そんな顔ってどういう意味だ……?」
「アハハ……その、気にしないで」
「ソフィ? 君が日頃私のことをどう思っているのか、幸い時間もたっぷりあるしじっくり聞かせてもらおうか」
「えー? やだよ……」
「いーや、今日こそは白状してもらうからな」
戯けた表情を見せたライルと気安い会話を交わすのは、久しぶりだった。
今回の壮行会を兼ねた夜会では、聖女様及び旅についていく護衛が主役だということで、ブリジットさんたちも参加者として着飾っている。警備の方は近衛騎士隊が総出で請け負ってくれているので心配はいらないとのことだが、私は敢えてこの純白のローブで参加した。もちろんドレスでの参加も可能だったのだが、このローブだって正装であることには違いない。それにこの方が気持ちも引き締まるから。
もう先日のような失態は見せない。自分を見失うような真似はしない。
そう自戒を込めて、敢えて今日この日も純白のローブに袖を通した。
しばらく聖女様を遠目で見守りながらライルと談笑していると、また令嬢たちが声をかけてきた。
「ライオネル様……」
その声と姿に表情を消す。よりにもよって、あの庭園で嫌味を言ってきた令嬢たちだった。
「……君たちは」
ライルが途端にその顔に浮かべていた気安い表情を消した。
「その、先日の件で……」
この間と違って随分としおらしい様子だ。ライルの美貌に釣られて声をかけてきた、という風でもない。
……いったいライルになんの用だろう。ちらりとこっちに向けられた視線には、もう前回のような嘲りの感情は含まれていなかったが、どんな魂胆で近づいて来たのかわからない。
「……悪い。少し席を外す」
ライルは視線を逸らしながら、二人を連れて離れていく。
――先日彼女たちから気持ちの悪い手紙をもらったことを思い出す。ご丁寧に口が過ぎたことに対する謝罪と反省、そして改めて魔術師の力の凄さを実感したと、私を絶賛する旨を綴る手紙。
あまりにも唐突で不気味過ぎて、逆に笑えてしまった。それほどまでに同一人物が書いたものだと全く思えないような中身だった。
……あの意地悪な二人がそうも素直に認めて謝るだろうか? 平民で詐欺師である私に謝罪?
下手したら権力を振りかざしてきて、謹慎や退任さえあるかもしれないとすら思っていたのに。
一人もの思いに耽ってこの間のことを考えていると、ライルはしばらくして戻ってきた。
その顔は別段、いつもと変わりない無表情だ。
「すまない。待たせた」
「ううん……あの、なんの話だったの?」
「ああ、別に大したことじゃない」
事も無げに言われた言葉に、違和感を抱く。
大したことじゃない? ……さすがに、そんなわけはないだろう。
あんなことがあったあとだというのに、大したことのない話をするわけがない。いったいライルと彼女たちの間にどんな話があったんだらう。
だけどそんな私の訝しむ気持ちを察したかのように、ライルは強引に話題を変えてきた。
「ダンスが始まったな」
私の気を逸らすように、ライルが視線を遣った向こう。フロアではちょうど、聖女様とオーウェンがダンスを踊り始めたところだった。
眩いほどの宝石が散りばめられたドレスの裾を翻しながら、聖女様とオーウェンはくるくると軽やかにフロアの中を回っている。
輝くような純真の、清廉で、絵になるような美しい二人。
同じ空間にいるのに、まるで二人との間には決して超えられないような溝があるみたいだ。私は絶対にそちら側にはいけないのだと、見せつけられているようだった。
誰もが羨み見惚れる中を、二人は微笑み合いながら軽やかなステップで駆け抜けてゆく。
「……ダンスは好きか?」
ぼーっと見惚れていたら、ライルがそんなことを聞いてくる。
「うーん、どうかな……」
「講習中の君は、あまり好きそうに見えなかったな」
昔はあんな風に綺麗に着飾ってオーウェンと優雅にダンスを踊れたら、なんて夢を見ていた時期もあった。けれど今はただひたすら、自分の場違い感を恥じるだけだ。
「そういうライルは?」と見上げると、煌めくアイスブルーの瞳とかち合う。
「それこそ、好きだと思うのか?」
「そうだね……ライルって意外と貴族らしくないからなぁ」
「また言ったな?」
ライルにちょんと額を突かれて、思わず小さく声をあげた。
それきり何事もなく、美しい夜は更けていった。
まるで夢のようなどこもかしこも綺麗に飾り付けられた空間の中、オーウェンと聖女ルナルースは周りを魅了するほどに光り輝き続け、それを私たちは陰から見守り、そしてあっという間に夜は更けてゆく。
ただただ華やかで煌びやかな夜会は、エスパルディアの栄光を誇示するように一晩中続いた。




