聖女との邂逅・Ⅴ
盛大な公式試合が終わってしばらく経ち、やっと聖女様の護衛に戻った私を出迎えたのは、一見いつもどおりに戻った仲間たちだった。みんな私の怪我を心配してくれていて、無事に治りつつあることを喜んでくれた。
もうそろそろ旅に出立する日取りも本格的に決まり、それに合わせて聖女様の講義も調整がされている。そんな日々が表面上は穏やかに朗らかに、あっという間に過ぎていった。
だが、なんとなく……試合前とは様子が違うと、そうあの二人からは感じるときがある。
オーウェンはときどきなにか考え込んでいるときがあるし、ライルがふと見せる目がぞっとするほど冷たいときがある。……どうしたらライルの凍ってしまった心を溶かせるのか、私は未だになにも状況を打開できていなかった。
おまけにあの試合以来、護衛が全員集まることもなくなってライルとは話す機会もあまりなくなっていた。今は二人ずつの交代制で、私のペアはほぼセヴランさんだ。オーウェンはだいたいいつも聖女様に付き添っているが、時折休憩を兼ねて訓練場へ降りていくのを見かけることもあった。
今日は聖女様が休憩がてら庭園に行きたいとのことで、王城の庭園に気分転換に来ていた。
花に興味のないセヴランさんは離れたところで辺りを見回している。オーウェンは訓練場に行っていていない。私は薔薇の花に手をかけ、その香りを楽しんでいる聖女様をそばで見守っていた。
風に靡く長い髪を押さえながら聖女様が微笑んでいる。本当に、絵になるような幻想的で美しい人だ。
ふと顔を上げる。振り返ると、こっちに歩み寄ってくる貴族の令嬢が二人。
なんだか嫌な予感がした。
「あら聖女様、ごきげんよう」
「こんなところにいらっしゃるなんて驚きましたわ」
「聖女様ともあろうお方が旅の支度もせずに、なにをなさっていらっしゃるのかしら?」
やってきた途端かけられた第一声に、私の予感が当たったことにうんざりする。オーウェンやブリジットさんがいたなら寄ってこなかっただろうに、よりによって護衛が私だけだと踏んで声をかけてきたか。
慌ててセヴランさんの姿を探すも、遠くから見守っているセヴランさんはやってくる気配がない。それどころか辺りを探るように背を向けて行ってしまう。
困ったことになった。できれば戻ってきてほしかったけど、基本的に遠方と近辺の両方から護衛を行っているのが常であり、相手は貴族の令嬢二人。既に私がそばについており、この状況は私が対処しなければならない。……こんな貴族の令嬢すらもあしらうことができないような人材は不要だと、そういうことなのだろう。
「聖女様、日頃から準備もそっちのけでオーウェン様に色目を使っていらっしゃるとお聞きしました。ああ、お可哀想に、オーウェン様はただ護衛としてそばにいらっしゃるというのに、その優しさに勘違いなさってしまわれたのね」
「わたくしたちは親切ですから聖女様に特別に教えて差し上げますわ。オーウェン様はどなたにも平等に優しいのよ」
そのセリフを聞いて思い出す。それは確か、休憩中に庭園でオーウェンと聖女が仲良く花を見ているときに、我慢できずにソフィアが繰り出す嫌味のはずだった。
ただでさえ食い違った歯車を更に狂わせるシーンの一つ。これからこんなことが続いて、それを知ったオーウェンはますます可愛い妹だったソフィアのことが分からなくなっていくのだ。
……実際にこの場面に出くわすまで、そんな出来事が起こることさえ忘れていた。
――もしかして、私が脚本どおりに動かないから、こうして代役を立てられてしまったのだろうか。
「ええ、オーウェンはとても優しい人ですね。それはよく分かってます。私はただ、護衛の皆さんとは一緒に旅をする仲間として、仲良くなりたいと思っているだけです」
凛とそう告げる聖女様に、二人は扇越しにクスクス笑っている。
「まぁ、あんなことを言ってますわ」
「オーウェン様だけでなく、ライオネル様やセヴラン様にも色目を使うおつもりのようよ」
棘のある言葉の羅列は聞いていて気持ちのいいものではない。……護衛対象が護衛と話して、なにが悪い。
勢いづいた貴族の子女たちは止まらず、傍らに佇んでいた私にも目が向く。
「あらあらこれは、ランドルフ様に寄生している小狡い平民の子ではないの。いるのも気づかなかったわ」
「本当だわ。お一人でいらしていたのかと思っていたけど、一応護衛もいらっしゃったのね」
「平民の詐欺師を護衛と呼んでいいのか、私には分からないけど」
「あの、」
平然と人を傷つける言葉を放つ彼女たちに声を上げると、反論されると思っていなかったのか、虚を突かれたかのように目が丸くなる。
「オーウェン・ランドルフは聖女様の護衛長にあたります。なぜその彼と話しただけで、色目を使っている、だなんて解釈になるのでしょう?」
「ちょっと。私たちは今聖女様とお話ししていますの」
「薄汚い平民の詐欺師は許可なく口を開かないで」
私はただ事実を述べただけなのに。話しかけてきたのはそっちなのに、口答えされると思っていなかったのか、ピシャリと言い返されてしまった。
「そんな言い方、やめてください」
傷ついたように、聖女様が視線を伏せる。
「私のことはともかく、ソフィのことを詐欺師とか、平民とか……そんな言い方しないでください。ソフィは立派な魔術師ですし、身分なんて関係ありません」
聖女様の声はそう大きくもないのに、凛と響く。華奢な彼女が臆することもなく告げる姿は清らかで、思わず引き込まれるような不思議な雰囲気があった。
「あらやだ。ごめんなさいね、聖女様。お許しくださいませ」
「聖女様のためにお伝えしておいた方がいいと思って、差し出がましい真似を」
「このつけあがった平民が自分の身分を聖女様にお伝えしていないのではと心配になっただけですの。それも詐欺師ですから……きっと、聖女様に取り入って丸め込むのもお上手でしょうし」
「図々しい護衛にお困りなら、今のうちに相応しい者に変えていただいた方がいいですわよ」
そう言って扇の下から嘲笑を滲ませる二人に、また……あのなにかが引きずり出される感覚がした。
悪意によって呼び覚まされる、どろりとしたなにかだ。
「……私にご不満があるのならば、選定された陛下に直接抗議なされては」
身の内に沸き立つ感情を抑えながらそう告げると、二人はなにがおかしいのか、クスクスと笑い出す。
「いやだわ、なにもそこまで大げさにしなくても。あなたが身分相応に辞退なさればいいだけの話なのに」
「なぜ私たちがあなたのためにそんなことまでしなければならないのよ」
ああ、もう……これ以上聞きたくない。私が護衛に相応しくないのは、私が一番よく知っている。
「聖女様もそのような詐欺師を手元に置いておきますと、ご自身の格を疑われますわよ?」
「浄化の旅の準備も放って花などにかまけているようでは、ご自身もたかが知れているとは思いますけど」
「……それは、聖女様を傷つける言葉と受け取って構いませんね?」
自分でも驚くほど、平坦な声が出た。
「あなた方は聖女様を傷つけるために、その数々の言葉を発しましたね?」
ぶわりと私の周りに蒼い火の花が一面に咲き誇る。
怒気を落ち着けようと深く呼吸をする度に、それに合わせて火の花がゆらゆらと揺れて爆ぜていく。まるでうねり狂うどろりとしたなにかを表すような熱気が、私を包む。
「平民だろうとなんだろうと……私が護衛であることには変わりない。聖女様に害なす者は排除する。それが私の役目です」
煽られた熱風に、令嬢たちの顔がみるみる青褪めてゆく。
「な……なによ、わたくしたちは少し聖女様とお話がしたかっただけなのに」
「こんなこと陛下に知れたらあなた、大問題よ!」
言い連ねてくる令嬢たちに、蒼い火の花が威嚇するように猛りうねって爆ぜた。
「だからなんだと言うんですか。私は……あなた方が聖女様に仇なす方々かどうかと、訊いてるんです」
貴族の令嬢方は私の顔と燃え盛る火の花々を交互に見ると、ヒッと声なく息を呑んで、踵を返して一目散に逃げていった。




