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高等部最終学年・Ⅴ

 

 その日の夜はアザレアさんが腕によりをかけたごちそうをこれでもかと出してくれて、心のこもった料理に思う存分舌鼓を打った。

 翌朝、朝の光を浴びながらいい気持ちで目が覚める。

 珍しくルイが起こしに来ないなと、あくびをしながら寝返りを打つと、ベッドサイドに座り込んでまじまじと私を眺めているルイと目が合った。


「……おはよう?」

「おはよう、ソフィ」

「お、起こしてくれればよかったのに……」


 あまりにも自然な態度でいるものだから一瞬流しそうになったが、いつもならばとっくに叩き起こされている時間だ。


「今日は一日休みもらったんだ」

「そうなの? でも……」


 そうすると私はただ飯を喰らいに来ただけの居候になってしまう。


「なかなかこうやって会うこともできなくなるからさ」


 有無を言わさぬ様子で私の手を引っ張ると、ルイはにっこりと浮かべた笑みを深くした。


「さあ、ということで今日はヒヒトの街を案内するよ。それでさ、ちょっと試してみたい髪型があるんだよね!」

「えー……お手柔らかにね」


 ここ最近沈みがちだったルイが久しぶりに楽しそうにしている。

 弾むルイに引っ張られるように私はベッドから立ち上がった。








 微笑ましそうに笑顔を浮かべたアザレアさんに見送られながら出発する。


「どこに行くの?」

「ついてからのお楽しみ」


 ルイに編んでもらったゆるい三つ編みを触りながらそう尋ねると、わくわくしたような無邪気な笑みを返されたものだから、少しその笑みに見惚れてしまう。

 ルイのこの明るい笑顔が大好きだ。ブランドン学院に来た当初からいつも向けてくれる、ふわりと柔らかい優しい笑顔。

 思えばライルが編入してくる前は、エルオーラの街をルイに案内してもらいながらよく二人で出掛けたりしていた。いつもよく行く古書堂も、そうやって二人でブラブラしていたときに偶然見つけたお店だった。

 通り過ぎる街並みを眺めながらルイの小さいころの思い出を聞いては、ゆったりと過ぎゆく時間を満喫する。

 ルイが八百屋の店頭に立っている立派な体格の青年を指差しながら、彼に小さいころに女の子に間違われて告白されたことがある、と不服極まりないとでも言いたげな顔で言ってきたときには妙に納得してしまった。

 女の子に見間違えたのはなにも私だけではなかったのだ。思わず見も知らぬ彼に同情の視線を送る。

 そうこう話しながらもルイはどこか明確な目的地があるみたいに足取り確かに歩いていく。

 そうやって辿り着いた先の小洒落た外観のお店の前で、彼は足を止めた。


「いらっしゃいませー」


 店内には甘い匂いが漂い、色鮮やかなケーキが綺麗に並べられている。


「ここのケーキ屋さん、うちの街じゃ評判なんだよ。せっかくだから休憩していこう。ソフィはなんにする? 好きなもの頼んでいいよ」

「いいの?」


 ルイの言葉に目を輝かせる。どれをとっても美味しそうで迷ってしまう。


「さ、ほら」


 結局迷いに迷って選んだのは、いつものチョコレートケーキではなくタルトタタン。このお店の一押しだというのでこれにした。

 案内された個室は、落ち着いた内装にゆったりとしたソファ。隔たれた壁の向こうから僅かに聞こえる喧騒。

 静かなこの空間だけまるで切り離されたようだった。

 さほど待つことなく、注文したケーキセットが運ばれてくる。


「ソフィ、おいしい?」

「うん、すっごくおいしい」


 遠慮なく頬張る私に、ルイはまたふわりと優しい笑みを浮かべた。


「あー幸せ……」

「ケーキを食べているときのソフィってさ、ほんと幸せそうな顔をするよね。そんな顔滅多に見せてくれないくせに」

「そうかなぁ?」

「そうだよ」


 ルイが残念そうに眉根を下げてみせた。


「あーあ、研究機関に所属して最初の俸給をもらえたら、こないだ見つけた美味しいケーキ屋さんに連れて行ってあげようって思ってたのにな」

「え? なにそれ、どこ?」


 身を乗り出した私に、ルイはいたずらっぽくにやりと笑ってみせる。


「教えない」

「えー?」

「そんな簡単には教えないよ。そうだなぁ、」


 ルイが考え込むようにふっと視線を落とす。


「……ソフィが必ず戻ってくるって約束してくれるなら」 


 笑顔を消したグレーの瞳が縋るような真剣な色を浮かべているのに気づいて、気安く返そうとした言葉を詰まらせた。


「ねぇ、行かないでって言ったら、ここにいてくれる?」


 街の喧騒が遠のく中で、ルイの声だけが響いてくる。


「どこにも行かないで、そばにいて。……ずっと、僕の隣にいてよ」


 初めて、ルイのこんな声を聞いた。

 ルイはいつも明るく快活で、優しく微笑んでいて、世話好きで、魔術の話が大好きで。

 そんなルイは今まで毎日のように見てきたけど、でもこんな葛藤しているような姿を今まで見せたことがなかった。そんな弱い姿を見せまいとしていたルイが、こんなにも縋るように懇願している。

 私に行ってほしくない、と。


「……ごめんね、それが無理なことくらい分かってはいるんだ」

「ルイ……」

「ただせめて言葉に出して伝えておきたかった。だってそうでもしなきゃもう会えない気がして。ソフィはもうここには戻ってこないんじゃないか、って」


 ルイの言葉にぞわりと寒気が通っていく。

 これからの旅の行方を示唆されたようだった。


「ソフィの帰りを待ってる人がいるってこと、絶対に忘れないでほしいから」

「うん……ありがとう」


 クロエ先輩にノア先輩に、そしてルイ。

 こんなにも私を案じてくれる人たちがいる。

 それが私にとってどれほどの救いになっているのか。当の本人たちは全く気づいていないのだろうけど。


「約束する。必ず戻ってくるよ」


 そうやって口にすれば確かに叶えられるような気がして、いつになく強い期待を込めて言葉にする。


「ちょっとの間お別れだけど、終わったらすぐに戻ってくるから。新しいケーキ屋さんに連れて行ってもらうためにもがんばらないとね」


 安心させるようにおどけてみせると、ルイもくすりと笑顔を返してくれた。


「そうだよ。早く帰ってこないとノア先輩たちと先に行っちゃうからね」

「ノア先輩に先を越されるのはなんかやだなぁ。あとでどや顔で自慢してくるのが簡単に想像できて、なんだか腹が立ってくるよ」

「理不尽だなぁ。だけど、分かる気がする」


 そうやってクスクス笑い合っていると、ルイはふと思い出したように声を上げた。


「そうだ、もう一つ付き合ってほしい場所があるんだ」


 伺うように首を傾げられて、一も二もなく頷いた。








 ヒヒトの街の外れにある丘陵の上で、ルイは街並みを眺めながら足を止めた。


「昔、近所に住んでいた女の子が願い事を叶えるおまじないっていうのをやっててね、見よう見まねで真似たことがあったんだ」


 照れたようにそう笑いながら、ルイは道中で買った綺麗なベルベットの黒色の袋の口を開ける。

 その袋の中にそれぞれ選んだ花の種を入れて、口を固く閉じた。


「困っている誰かにこの祝福の花の種を差し上げます。だから僕とソフィの約束が必ず叶えられますように」


 ルイは恥ずかしそうに袋に向かってそう呟くと、思いっきり袋を空中に放り投げた。そして風の魔術を構築して、更に空高く舞い上がらせる。


「ただの願掛けの類いなんだけど、でもこれが意外と叶うこともあるんだよ? だからきっと、ソフィも無事に帰ってこれるね」

「そうだね」


 随分と悩んで、葛藤して、絶望して、諦めて、そしてここまでもがいてきた。そしてそれはこれからも続くのだろう。

 この先に進むのが恐くもあったけれど、私の無事を願ってくれるこの笑顔が待ってくれているのなら――。

 ルイと一緒に青く晴れ渡った高い空を見上げる。

 高く放り投げた願掛けの袋はもう見えなかった。








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