高等部最終学年・Ⅲ
実習室に戻るまでの道中、ライルはなんと話しかけたものか考えあぐねているようだった。
いつも通りに振る舞っているつもりだったが、この衝撃をいまだ飲み込みきれていないのが明白だったのだろう。
ぐちゃぐちゃの頭を必死に整理しながら、先生とライルの後ろをついていく。
「ソフィ、なんの話だったの?」
「ルイ」
実習室で出迎えたルイは心配そうな顔をしていた。
「顔色が悪いよ。大丈夫?」
それに答えようと口を開いたときに、エイマーズ先生が注目を集めるようにパンパンと手を二度叩く。
「静かに。えーなんと、ソフィア・ランドルフ君とライオネル・アディンソン君の二名が、来年の聖女の浄化の旅の護衛に選ばれたそうだ」
その途端、実習室は驚きと歓声に包まれた。皆が皆私たちの方を振り返ってきて、おめでとうと、やったなと声をかけてくる。ぼんやりとその様子を見つめる隣で、ルイだけが言葉もなく目を見開いて呆然としているようだった。
「このブライドン学院からは幾度も聖女の護衛の魔術師を排出した歴史がある。だが、あのエスパルディアが今回初めて聖女の護衛に魔術師を登用し、尚且その二人が我が校の出身であるというのは、また特別名誉なことではないだろうか」
次々と祝いの言葉をかけてくる皆に笑顔で返しているライル。私もなんとか口端に笑みを浮かべて、笑顔を繕う。その中でルイだけが、取り残されたように表情を無くしている。
「二人が素晴らしい実力を備えているのは周知の事実だが、それでもあのエスパルディアだ。二人が謂れなき誹謗中傷を受けないように、私としても残り少ない学院生活の中で教えられることはできる限り教えておきたい。そういうことで今まで以上に厳しく指導していくつもりだが、みんな分かってくれるな? 二人に負けず劣らず輝かしい未来を掴むためにも、しっかり気合いを入れ直していこう。明日から覚悟しておくように!」
その途端、今度はエイマーズ先生への批難で実習室内が騒がしくなる。にやりと笑ったエイマーズ先生はすぐに通常運転の厳しい顔になると、「静かにしろ」と喝を入れた。ざわざわとしていた室内に徐々に落ち着きが戻ってくる。
「ソフィ、すごいじゃない!」
前の机に座っていたケイティが振り返ってきて、エイマーズ先生の目を盗みながらこそこそと囁いてきた。
「聖女の護衛の任だなんて大役ね!」
「うん……ありがとう」
ケイティの隣に座っているトールも振り返ってくる。
「確かに羨ましいけどさ、大勢の人に注目されながら旅をするなんて緊張するなぁ」
「それに、ソフィとは研究機関でも一緒だと思ってたから、これからもトールのことについて相談に乗ってもらうつもりだったし……来年には、ソフィはいなくなっちゃうのかぁ」
そんな風にしんみりと呟かれると余計に寂しさが募ってくる。そんな感傷を振り払うように「そうだね」と短く相槌で返した。
「……ねぇケイティ、またあとでゆっくり話そうよ」
エイマーズ先生が喋っている私たちに注視している。トールはビクビクしながらケイティを引っ張った。
「ソフィ、後でね」
軽く手を振ったケイティに私も手を振り返して、さっきから会話に参加することもなく俯いているルイの様子を伺う。
「……」
黙りこくったままずっと俯いていたルイ。私の視線を感じたのか、ルイは緩慢と顔を上げると笑顔を浮かべた。
「おめでとう、ソフィ」
口角だけをなんとか頑張って上げたかのようなひどい顔のルイ。その目に浮かんでいる感情は今まで見たこともないものだ。
「ルイ、あの……」
「そこ、積もる話もあるだろうが、今は実習に戻りなさい」
こっちにやってきたエイマーズ先生に促されて、ルイは視線を避けるようにふいと顔を逸らした。その横顔に尚も視線を送るも、それからルイがこちらを見ることはなかった。
興奮冷めやらぬ様子で実習後に囲まれた私たちは皆の気の済むまで質問責めにあい、ようやく解放されたころにはぐったりと疲れきっていた。
言葉少なに応える私を見兼ねて、ライルが庇うように全てを説明してくれた。普段そんなに口数の多くないライルも疲れたのか、今は黙々と歩いている。
「寮についたぞ」
ライルの声に俯かせていた顔を上げる。
気づいたら寮の入口まできていた。
「あ、もう寮ですか……では」
ペコリとお辞儀して立ち去ろうとした私の手を、咄嗟にライルが掴んでくる。振り返った先のアイスブルーの瞳を見て、今日一日気を遣わせてしまったことにさえ考えが及んでいなかったことに気づいた。
「ごめんなさい、ライル。突然の話で混乱してて。こんな大役を貰えるだなんて、本当に予想もしていなかったから」
なんでもないように笑いながら、そっと掴んできた手を押し退ける。
「でも決まったからには聖女の護衛、立派に務め上げましょうね」
にこりと笑うも、笑顔は返ってこない。
これだけ一緒にいるのだから、敏いライルには私の様子くらいとっくに分かっているのだろう。
無理に聞き出してくることはないが、その憂うようなアイスブルーの瞳がありありと物語っている。
なにか言わなくては、弁明しなければ――。……でも今は、正直に言うと早く一人になりたかった。
「また明日」
「……」
「うん……また明日」
心ここにあらずのルイからのおざなりな返事を聞きながら、私は二人に背を向けた。
部屋に入るなり、ずるずると床に滑り込む。
……この六年間、ここで過ごしたことは無駄だったのだろうか。
結局私はどうしようもないままに、あの暗い炎の渦巻く旅へと同行させられてしまうのだろうか。
――いいや、そんなことはない。決して、無駄なんかじゃなかったはずだ。
あの日、“ソフィア・ランドルフ”は私が殺した。今ここにいるのは“私”だ。
だから私は絶望しない。憤らないし、嫉妬など断じてしない。感情を揺さぶられはしない。
……だって彼女はもういないのだから。
なにも危惧することはない。
その運命から逃れられないのならば、なにを感じることもなくただ淡々とこなしてしまえばいい。単純なことだ、ただそれだけの話。
あの感情も心も、なにもかも捨ててあるのだから心配することなどなにもない。
静かな部屋の中、一人自嘲する。なってしまったものはしょうがない。最後まで抗ってみせるしかない。
……でもじゃあ、ライルは? 彼はどうなる?
この旅に参加することで、もしも彼があの“ライオネル・アディンソン”のようになってしまったら。
――ああ、その可能性に恐怖する。
今のライルがそんなことをするだなんて思ってない。……でも、ここまでやってきたのに、結局は物語の通りの道筋になってしまった。
もしかしたら、浄化の旅の中でライルもあの本のようになってしまうかもしれない――。
そこまで考えて、振り払うように首を振る。
たとえそうなってしまったとしても、私は全力で止めるだけだ。
忘れるな、ソフィ。私が今までなんのためにここまでやってきたのかを。
私がオーウェンの幸せを守るんだ。そんなことになってしまわないように、大切な友人――ライルも守るんだ。
蹲った膝に顔を押し付ける。強くそう言い聞かせていないと、心が折れそうだった。
もしも……もしもライルが“ライオネル・アディンソン”になってしまったらだなんて、ああ、どうか、そのような未来はきませんように。




