高等部三年・Ⅳ
眠たいのかぐずり出したオスカーに、ライルは名残惜しそうにしながらも帰って行った。少し気恥ずかしそうな彼を見送って屋敷へと戻ると、サイラスがオスカーを抱っこして揺らしながら寝かしつけている。
「ソフィ、もう帰省中にオスカーの部屋に籠もるのはやめろよな。オーウェンがヘコむとすっごく面倒くさいんだぞ」
「さすがに今回はしませんよ。課題もありますし。籠もるなら自室に籠もります」
「相変わらず帰省しても忙しいなぁ。帰ってきたときくらいゆっくりしたらいいのに」
体を鍛えているサイラスだと硬くて寝心地が悪いのか、オスカーはぐずぐずむずむず動いている。
「なぁ、前から聞こうと思ってたんだ。ソフィ……オーウェンのこと、避けてるよな?」
「そりゃあ避けますよ。いい年した兄が性懲りもなく構ってくるんですから」
「それだけか?」
サイラスは脳筋のように見えてあれでなかなか人の機微に聡い。心配そうな顔になったエリザさんになんでもないと笑顔を返す。
「そうですね。もうすぐ私も大人になりますから、寂しくならないように準備してるんです」
嘘ではない。現に今まで何年もかけて準備してきた。
「兄離れできるように、オーウェンがいなくてもやっていけるように……きっと私の方がダメから」
サイラスは微妙そうな顔をした。
「そんなことはないと思うぞ。ソフィの方がオーウェンより大人じゃないか。一人で遠いところで頑張って偉いなぁ、よしよし!」
まるでオスカーに接するみたいに頭を撫でられて、恥ずかしくてその手を避ける。
「オーウェンも見習ってほしいよ、ったく」
とうとう眠れずにバタバタ暴れだしたオスカーをエリザさんに預けると、サイラスは私を手招きした。
「だけどな、帰ってきたときくらいは甘えてもいいと思うぞ。拗ねたオーウェンが面倒くさいし。ということでちょっと学院の話でも少ししてきてくれ」
「ええ、私もちょっと面倒くさいです……」
寄ってきた私の肩に手を乗せると、くるりと反対方向に体を回転させられて後ろからトンと押し出される。振り返った先のサイラスはニカリと笑いながら手を振っていて、それにむくれながらも渋々と応接間へと戻った。
今回の休暇の間、オーウェンは「昔のソフィはこんなんじゃなかった」とずっとうだうだ言っていた。
「昔はもっと純粋で、キラキラした目で僕を見上げてお兄ちゃん大好きって……」
「捏造はよくないぞ、オーウェン。そこまでは言ってなかっただろ」
「思えばブライドン学院に行ってからなんだよなぁ。ソフィの反抗期が始まったの」
「そう言うな、オーウェン。いいじゃないか」
夕食が終わった後の団欒の間で、ネイサンが眠るオスカーを見守りながら穏やかに微笑む。
「ソフィが初めて自分のしたいことを見つけて、それに向かってここまで頑張ってきた。その過程での自立だ。寂しいかもしれないが受け入れてあげなさい」
「ソフィももうすぐ大人だものね。早いものね……子供の成長って」
眠るオスカーを抱きながら優しく揺らすオフィーリアは、おっとりと微笑む。
「ところで、ソフィ。今後のことについてだが」
ネイサンは呼びかけてきたあと、少し躊躇って、やっぱりと首を振った。
「……いや、やめておこう。正式に決定してから伝えるべきだな」
その言葉に首を傾げる。
「そんな心配そうな顔をしなくても大丈夫。いい知らせになる予定だ!」
ニカッと笑ったサイラスにますます分からずに困惑して見つめるけど、いたずらっぽい笑顔を返されただけで教えてもらえなかった。
「まぁ、もうすぐ分かるから。それまでのお楽しみってことで」
「……なんでしょう? まさかオーウェンの結婚が決まったとか?」
「ソフィ! やめて! 最近フラれたばかりでその話題は地味に心を抉られるんだ……」
途端にオーウェンが呻きながらソファに沈み込む。
「でもそんなの日常茶飯事だし、すぐに新しい彼女見つけてくるよな?」
サイラスに同意を求められたエリザさんはなんとも言えずに苦笑している。
「うーん、なんだろう……」
「心配しないで、ソフィちゃん」
エリザさんは遠慮がちに教えてくれた。
「とても喜ばしいことなのよ。実現させるためにお義父様も頑張っていらっしゃるから、楽しみにしていてね」
なんのことやら全く分からなかったが、皆が嬉しそうにしているのを見ていると、自分も自然と心が浮き立ってくる。
「それじゃあ……楽しみに待ってます」
何年ぶりだろう。ここでこんなにも心穏やかに過ごすのは。
みんなが笑っている。
ネイサンもオフィーリアも微笑みながら話を聞いていて、サイラスとオーウェンは軽口を叩き合っている。それを聞きながら時折エリザさんと口を挟んでは、笑い声を上げる。
オフィーリアにとんとんと優しく背中を叩かれているオスカーは気持ちよさそうにぐっすりだ。
久しぶりの家族団欒は和やかに過ぎていった。
休暇の終わりに迎えに来たライルは早速オスカーへの貢ぎ物を手にしていて、見送りに出て来ていたエリザさんとオフィーリアはびっくりしている。
「今回は残念ながら玩具しかご用意できませんでしたが、次に来るときはソフィに負けないような魔術具を持ってきますので」
挑戦的にそう宣言したライルにむっとして、その得意げな顔にバチバチと火花を散らす。
「……言っておきますが、私の方がオスカーとの付き合いは長いですから。好みは分かっているはずです」
「長いといっても、たった半年の違いだろう。こちらにはオスカーと同じ性別という切り札がある」
「あらあら、オスカーは人気者ね」
のんびり笑っているオフィーリアの笑顔に毒気を抜かれて、肩の力を抜く。なんにせよライルにオスカーの魅力が伝わってよかった。
「……ただ来年は卒業研究があるので、帰省はどうでしょう」
「あら、また帰ってこないかもしれないのね」
「でも来年卒業したら、ソフィちゃんこっちに戻ってこられるんだよね?」
寂しそうに頬に手を当てたオフィーリアの横で、エリザさんが期待に満ちた目で見てくる。それに笑顔を向けるに留めた。
「ソフィちゃんが戻ってくるの、楽しみにしてるね」
「……ありがとうございます」
話を切り上げるように頭を下げて、「では」と背を向けて馬車に乗り込む。手を振ってくる二人に窓から振り返していると、咎めるようにライルが声をかけてきた。
「言っていないのか」
「……なんのことですか?」
「とぼけるのは止めてくれ。君の進路のことだ」
「……」
遠ざかっていく三人の姿。
私の大事な、理想の光。
「大切な家族なんだろう?」
「当たり前じゃないですか」
「ならなぜ君はいつもそう不誠実な真似ばかりする」
知らずと、自嘲の笑みを浮かべていた。
私の中に“ソフィア・ランドルフ”はもういない。これは間違いない。
ただ私は、物語の強制力が恐いだけだ。
サイラスはエリザさんと結婚して、オーウェンも騎士になった。来年には我が国エスパルディアで聖女召喚の儀が行われるという。ここまで全部物語の通りだ。
不確定な要素は私とライルのブライドン学院編入だが、これは物語には記されていなかったことなので、相違ないかどうかすら私には知ることは出来ない。
……念には念を入れたいだけだ。
家族に余計な心配をかけたくないから。
また反対するオーウェンを傷つけたくないから。
――いや、ただの言い訳だ。今の腑抜けた私なら、オーウェンに説得されたらぐらつきそうだから。
だから言わないだけだ。
「……家族のためですよ」
「君の言っていることは矛盾している。家族のためと言うのなら、きちんと説明して分かってもらうべきだ」
あと少しなんだ。
聖女が召喚されて、でもそのときには私とライルはもうブライドンの研究機関に属することが決まっている。
もう絶対にどうしようもないと分かったのなら。
そのときにはランドルフ家の一員として贖罪に努めたい。
「そうですね。本当にその通りだと思います」
そう微笑む私にライルは複雑そうな顔をした。
「……また君はそんな顔をするんだな、ソフィ」
「そんな顔、とは……?」
「なんでもない」
首を振って目を逸らしたきり窓の外を向いて黙り込んでしまったライルから視線を外す。
窓の外には見慣れた景色に、脳裏に浮かぶ幸せの象徴のような存在。
――オスカー。
このちっぽけで柔らかい、けれども強烈に輝いている無垢な生き物が将来のランドルフ家を担っていく。
そう実感したときに、私の中でもう一つの目標ができた。
未来のランドルフ家を担うこの子を私なりの方法で手助けしたい。
どうしようもない我儘な感情を抱いた私を、応援すると言って送り出してくれたサイラス。
未だにここが私の帰る場所だと、温かく迎えてくれるネイサンにオフィーリア。
私の大事な家族の、大切な未来の光。
この子が健やかに生きていけるように、そのために自分のできる限りのことをしたい。
それが私の贖罪の一歩だ。




