高等部三年・Ⅱ
薄暗い店内には可愛らしいアンティークのランプが灯り、所狭しと小物が置かれている。淡いピンクの花模様のついた文通セットに、お揃いの模様の文具。反対には色鮮やかな模様のマグカップやお皿。別のコーナーには様々な色を取り揃えた髪飾りが飾ってあり、その隣には化粧品も置いてある。
だが肝心のトールの姿がどこにも見えず、ケイティは不安そうに握り締めていた手に力を込めた。
「あら、いらっしゃいませ」
奥からたおやかな声が聞こえ、若い女性の店員が出てきた。その顔を見てケイティが顔色を変えた。
「なにかお探しですか?」
穏やかに微笑む女性店員に、ケイティは震えたまま固まっていてなにも返そうとしない。
ルイが一歩前に出て、人好きのする笑顔を浮かべて尋ねてくれた。
「すいません、ちょっとお尋ねしたいんですけど、さっきブライドンの男子学生が来ませんでしたか? 僕たち彼と友だちで……トールって言うんですけど、たまたまこのお店に入っていくのを見かけたものですから」
にこりと笑って人のいい美男子ぶりを見せつけるルイに、女性の店員は目を丸くした。そのまま少しの間私たちを見比べていたが、やがてふふっと笑い出してしまった。
「あちゃ、トールくん見つかってしまったか。あの様子じゃいつまで内緒にできるかなとは思っていたけど」
その言葉にルイが首を傾げる。
ケイティは今にも倒れそうにさっと顔を青ざめさせた。
「金髪のポニーテールの女の子……君がケイティちゃんかな? はじめまして、この“妖精の匙”店にようこそ。トールくんのところに案内するね」
女性の店員はそう陽気に告げるとくるりと背を向けて歩き出す。
「トール、やっぱり……」
ケイティの真っ青な目に涙がたまり始めている。
「ケイティ、泣くのはまだ早いよ」
慌ててその涙をハンカチで拭いてあげると、ケイティは唇を噛み締めた。
「あとは直接本人に確認しよう。行ける?」
ルイの心配そうな視線にケイティは頷くと、おずおずと前に進んだ。奥の扉の前で待っていた女性は私たちが近づくと、その扉を開けてくれる。中から賑やかな話し声が漏れ出てきた。
「トールくん、ケイティちゃんが来たわよ」
どこか楽しそうに女性の店員さんが部屋の中へ声をかけると、中からカエルが潰れたようなトールの叫び声が聞こえた。それとともに盛り上がるご婦人たちの歓声。
「あらー、トールくんったら。だから挙動不審は早く直したほうがいいって言ったのよ」
「ほらほら、早く隠さないと」
「ケイティちゃんってどなたかしら?」
「楽しみねぇ」
通された室内には大きなテーブルが中央に鎮座していて、その上には様々な種類や色の布やリボンなどが所狭しと並べられ、多様な種類の洋裁道具が雑多に置かれている。そのテーブルをトールと中年から壮年にかけたご婦人方が数人囲んでいた。
「この“妖精の匙”店ではね、毎週小物作り教室を行っているのよ。トールくんは少し前からの常連さん」
茶目っ気たっぷりな店員さんの説明に、ケイティの手から力が抜けていく。
「あなたがケイティちゃん?」
「トールくんに聞いてた通り、綺麗な金髪ね」
「せっかく来てくれたんだから座って座って」
トールの隣に座っていたご婦人が気を利かせて席を空けてくれた。そこに言われるがままにケイティは座る。魂が抜けたかのように呆然としたままだ。
「これは……」
説明を求めるようにルイが声をかけると、ご婦人方からまぁーと歓声が上がった。
「このお友だちがライオネル様? 確かにお綺麗な顔立ちね」
「でも冷たい感じはしないわよ? それどころかとても優しそうだわ」
「あら、それじゃあダメじゃない。顔も負けて優しさまで負けてしまったら、トールくんが勝てないじゃない」
それだけでトールがここでなにを話していたか簡単に想像できてしまった。
当の本人のトールは顔を真っ赤にして身を丸め込ませている。
「僕はここでケイティへのプレゼントをこっそり用意してたのかなと思ってたんだけど……」
少し戸惑ったようなルイの問いかけに、トールは消え入りそうな声で返した。
「だって、ケイティに凄いって思われたくて。このお店の小物はかわいいけど、でもケイティにはどれもあと一歩なんか足りないって思ったんだ。もっとケイティが驚くような、ケイティの好みにあったとびきりかわいい小物があったらって。そのときに小物作り教室の張り紙を見て、もしオシャレなケイティさえも唸らせるような小物を自作出来たらって……」
その瞬間、ケイティが我に返ったかのように「バカッ!」とトールを睨んだ。
「だからってなんで中途半端に隠すのよっ。私はてっきり、トールが浮気したんだと思って……」
「ごめんよ、ケイティ」
「どんだけ心配したと思ってんの!」
「だって、たまには僕だっていいところあるんだって見せたかったんだ」
トールに怒っているケイティの目には涙が滲んでいる。それに気づいてトールはあわあわし始めた。
そんな二人を微笑ましく眺めながらも、ご婦人たちはそれぞれ何事もなかったかのようにまた作業に戻り始めている。
「二人とも、迷惑だからここでケンカするの止めようよ」
ルイが生温い笑顔を浮かべながら二人を連れ出そうとすると、「いいのよ、別に」と鷹揚な笑顔で止められた。
「ケイティちゃんのことはいつもトールくんから聞いているから、なんだか他人事のように思えないわ。ケイティちゃんにもお話を聞きたいし、若い方がいてくれたほうが賑やかでいいわよ」
「あなたたちもせっかく来たんだからなにか作っていかない? ほら、こっちに座りなさいな」
「そんな、いいんですか」
元来の人懐っこさを発揮して、ルイは申し訳なさそうに謝りながらもあっという間にご婦人方の輪の中に溶け込んでいった。その輪の端でトールは未だにケイティに詰め寄られているが、もう誰も気にしてない。
「あなたもやってみる?」
隣のご婦人が親切にもそう声をかけてくれて、綺麗な布を手渡してくれた。戸惑っていると道具や使い方の説明を丁寧にし始めてくれる。一生懸命その声に耳を傾けているうちに、本来の目的も忘れてすっかり製作に夢中になってしまった。
「みなさーん、今日の小物教室はここまでですよー。また次回よろしくお願いしますねー!」
“妖精の匙”店店員兼洋裁の先生であるコレットさんの呼びかけではっと我に返る。
気がつけばすっかり縫い物に夢中になっていた。
あんなに怒っていたケイティも気づけばニコニコしながらご婦人と喋っている。
大方根掘り葉掘りここでのトールの様子を聞いたのだろう。トールは時折頭を抱えては思い出したかのようにもんどり打っている。
最後に突然の乱入を侘びて挨拶を交わすと、ご婦人方は皆一様にトールへ生暖かい目を向けながら激励の言葉を言いおいて去って行った。
「……なにはともあれ、何事もなくてよかったね」
少し疲れを滲ませたルイが振り返ってそう言うと、ケイティは見違えるような眩しい笑顔で「ほんとにね!」と頷く。
「しっかし前からトールは器用だとは思ってたけど、とうとう小物まで自作し始めるだなんてね」
しみじみと呟いたルイに同意を返す。
「すごい愛だよね。それで結局、なにを作ってるの?」
私の問いかけに他の二人の視線もトールに向く。
トールはさっと青くなって「これ以上の暴露は勘弁して……」と呻いたっきり喋らなくなった。
「まあ、ここまで本当のことが分かったんだし、あとは完成してからのお楽しみだね」
「正直すっごく気になるけど、しょうがないから我慢する!」
来るときの不安そうなケイティはもうすっかり鳴りを潜めて、今はもうきらきらと天真爛漫なケイティへと戻っている。
その様子にこれでもう大丈夫だと安心して、学院へ戻ろうと帰り道を歩き始めた。空を見上げると日は落ちてきていて、空は薄っすらと暗くなり始めている。
「ねぇ、ソフィ」
すっかり仲良さそうに話しながら歩いている二人を眺めながら、ルイがぼやいた。
「僕気づいちゃったけどさ、なんにも説明しないままライルをほっぽり出して来ちゃったよね」
「え……? ルイが説明してきてくれたんじゃなかったの?」
「そんな時間なかったよ」
いつもは神秘的に輝いているグレーの瞳は珍しく死んでいる。
「……うん、きっと大丈夫。急を要する事だったし、ライルならきっと分かってくれる。そう思いたい」
だが、その考えが甘かったと思い知らされたのは寮の入口が見えたときだった。
門の壁に腕を組みながら凭れているライルの姿を目にした瞬間、まるで打ち合わせていたかのように二人ともピタリと足が止まる。慌てて前を歩くケイティとトールを呼び寄せようとしたが、肝心の二人は自分たちの世界に夢中でどんどん先へと歩いて行ってしまった。
「あっちょっと、ケイティ、できればライルに説明してから行って……!」
「なんの説明だ?」
縋るようにかけた声は、冷ややかな声に遮られた。
「君たちが私を放って二人だけで楽しそうに出かけたことに対しての言い訳か?」
「ライル、ケイティも入れて三人です」
訂正した言葉は冷え切った視線に虚しく萎んでゆく。
「……誤解しないでほしいんですけど、私たち別に遊びに行ったわけじゃないんです。これは歴とした人助けで、ケイティがとても困ってたんです。様子のおかしかったケイティをライルも見ましたよね?」
ライルの凍り付くような視線が揺れ、躊躇いがちにだが頷いてくれた。
「そうだよ、ライル。僕たち遊んでいたわけじゃないんだよ。とっても大変だったんだから」
「じゃあ一体なにをしてたんだ?」
なにをと問われると答えづらい。
「……小物作り?」
「それは遊びじゃないと言えるのか」
途端に冷たい視線に戻ったライルに慌てて言い訳がましく事の次第を説明する。ルイと二人で畳み掛けるように捲し立てて、それでやっとライルの機嫌が直ったのだった。




