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高等部ニ年・Ⅴ

 

 その日の夜、私はまたもやクロエ先輩のお部屋にお邪魔して、二人でパジャマパーティーを開催していた。

 ベッドの上でクッションを手に、とりとめもない話に花を咲かせる。


「そういえばハティ先輩から手紙が届いたんだけど、ついにサンダーズ先輩と付き合い始めたらしいよ!」

「えっハティ先輩、ついに折れたんですか」


 去年卒業した際に、なんと修行の旅に出ると息巻いて旅立っていった、あの可愛らしくも勇ましい後ろ姿を思い出す。その後ろ姿を追いかけていった、勝ち気な先輩の姿も。


「まさかサンダーズ先輩が旅についていくなんて、それだけでも予想外だったのに」

「去年の合宿での総合演習のときに、ハティ先輩の泣き顔に心を撃ち抜かれた、とかって! 泣き顔が好きって言われて、ハティ先輩は全力で断ったらしいんだけど、サンダーズ先輩がどうしてもついていくって聞かなくて。あのハティ先輩を妥協させたらしいよ?」


 ハティ先輩が引き下がるなんて、サンダーズ先輩はどれだけ食い下がったのだろうか。


「サンダーズ先輩の情熱がすごい」


 二人で顔を見合わせて、くすくす笑い合う。

 楽しい。漠然とそう思った。

 目的は泳ぎの練習だけど、でもみんなそれに付き合ってくれて、旅行に来て、家族に友達を紹介して、学生らしくはしゃいで、こっそり女子だけで内緒話して。

 まさかこの私にも、こんな穏やかな時が訪れるなんて思ってもいなかった。


「いーなー。私も情熱的に迫られてみたい」

「クロエ先輩にはノア先輩がいるじゃないですか。ノア先輩が聞いたらまた発狂しますよ」

「えへへ。内緒にしててね」


 クロエ先輩はごまかすように、にへらと笑った。


「ソフィちゃんはそういうの、なにかないのかなー?」

「残念ながら聞かせられるような楽しい話はないんです」


 薄灯りの中でクロエ先輩の淡い瞳が期待するように見上げてくる。それに首を振って苦笑で返すと、クロエ先輩は口を尖らせた。


「えー、そうなの? ライオネル様とかルイくんとか……二人以外にも気になる人とかいないの?」

「……今は生憎。でもいつかクロエ先輩たちみたいに、大切な人に出会って、その人と穏やかな人生を一緒に過ごすことができれば……」


 果たして私に、そのような人生が訪れるのか。

 なにもかもを諦めてしまって堪えることしかできなかった自分が、幸せを掴む姿など想像もできなかった。


「……クロエ先輩はノア先輩とはどうやって出会ったんですか」

「うーん、あれはいつだったっけな? ヴェルシー家の使用人としてお母さんが働き出したころだったから、四、五才くらい? 裏庭の隅っこで庭いじりして遊んでたら、いつの間にか後ろにノアが立っててね。君は魔術の才能があるよって、いきなり話しかけてきて。急なことで、ただびっくりしたのを覚えてる」


 クロエ先輩はそのときのことを思い出したのか、困ったように眉尻を下げている。


「あのときのノアは、まだ今みたいな感じじゃなかったから。私、上品な貴族のお坊ちゃんに話しかけられて、どうしたらいいのか分からなくて。とにかく言われることに頷いて、ニコニコしていたの。そしたら、いつの間にかヴェルシー侯爵様の推薦で、ブライドン学院に入ることに決まっちゃってたんだよ!」

「それはまた……唐突でしたね」

「最初は嫌だったなぁ。でも学院にはほかにも平民出の特待生がいたし、それはそれで楽しかったよ。それにノアもずっとそばにいてくれたしね」


 クロエ先輩は懐かしむように目を細めながら、手に持っていたクッションをぎゅっと抱き締めた。


「ノアはね、小さいころはもっとお上品で、いいところのお坊ちゃんって感じだったんだよ。でもそんな身なりのいい貴族のお坊ちゃんが話しかけてくると、特待生のみんなが萎縮するでしょ? だから私、もう話しかけてこないでくださいって一度言っちゃったの。みんながびっくりするからって。そしたらノアったらね、次の日から別人のように話し方を変えてきちゃって。これなら一緒にいてもいいでしょ? って。昨日まで敬語で自分のことを私って言ってたようなお坊っちゃんが、突然冗談飛ばしながらがんがん話しかけてくるものだから、みんなもうどう反応していいのか分からなくて、呆気にとられて。それがあまりにもおかしくて。あんなに笑ったことないってくらい、笑っちゃった。それからかな、ノアが今みたいになったの」


 くすくす笑うクロエ先輩の目は、優しい。


「だから、ライオネル様とソフィちゃんのことを聞いたとき、勝手に親近感を持っちゃった……多分、ノアもだと思う。ノアってほんと、ライオネル様のこと放っておけないんだよね。うっとおしがられても構っちゃうんだから」


 関係は違うが、貴族と平民との交流という点ではたしかに共通のものを感じる。

 私は夜の薄明かりと気安い雰囲気に乗じて、以前から聞いてみたかったことを思い切って口にした。


「お二人はいつから付き合うようになったんですか?」

「ええー? それ聞いちゃう?」


 クロエ先輩は手で顔を覆うと、恥ずかしそうに首を振った。その動きに合わせて長い銀髪がゆらゆらと揺れる。覗いた耳は薄暗闇でよく分からなかったが、どうやら赤くなっているようだ。


「えっとねぇ……これもいつだったなぁ? あまりにもノアがずっと一緒にいるものだから、もしかして私のこと好きなの? って冗談で聞いてみたの。そしたらね、ノアったら真面目な顔して、うん、って。当然のように返されてびっくりしちゃった」

「ノア先輩……」

「もう知ってるものだと思ってたって。知ってる上で、返事をくれないんだろうなって。ひどくない? なにも言われてないのに分かるわけないよね? だから私、それはもう、ほんとーに怒ったんだよ! そういうのはちゃんと口にしなきゃ伝わらないからって。お貴族様みたいに、私たちは言葉の裏なんか読まないんだからって!」


 クロエ先輩の言葉は、私の胸にも刺さってきた。

 言葉にしなければ、伝わらない。

 伝えなければ、なにも始まらない。


「それからは、ノアはちゃんと気持ちを伝えてくれるようになったけど……でもね、そんなこと言っておきながら、私もノアに伝えてないことがあるんだ」


 クロエ先輩は視線を伏せた。長い睫毛がかかると、お人形みたいな横顔に影が落ちる。


「私、ノアが思ってる以上にノアのこと大事に思ってる。このまま大人になっても、ずっとノアのそばに立っていたい。だからヴェルシー侯爵様に認めてもらえるよう、なにがなんでも魔術師として名を上げるつもり」


 いつもは甘いベビーピンクの瞳が決意に強い輝きを放っている。その光から目を逸らすことができなかった。


「ノアにはこんなこと言えないけどね。ノアのそばに堂々と立ちたいから、自分の力でがんばらなきゃ」


 てへへと笑った顔はもう、いつものほんわりしたクロエ先輩に戻っていた。


「……いっぱい話、聞いてくれてありがとね。いつかソフィちゃんにも好きな人ができたらたくさん相談にのるからね!」


 クロエ先輩がふわりとあくびを一つ浮かべたのをきっかけに、二人同じベッドに入る。

 おやすみと言い合ったあと、クロエ先輩は疲れていたのか、すっと眠りの世界に入っていった。

 すやすやと寝息を立てているクロエ先輩をしばらく眺めたあと、体を起こしてそっと窓のそばへと寄る。

 ガラス越しの外には濃い闇が広がり、空には満月と散りばめられた星が輝いている。闇の向こうには黒々と光る湖があるのだろうが、生憎僅かに辺りを照らす月光だけでは、あるのかどうかさえ見えない。

 夜の闇は駄目だと思う。

 月明かりの仄暗さは人の心を浮き彫りにする。

 自分でも直視できていなかった弱い自分がさらけ出されて、その醜さに顔が歪む。

 ノア先輩のそばに立つために自分の力で努力すると言い切ったクロエ先輩があまりにも眩し過ぎて、まるで私とは別世界の住人のようだった。

 私もクロエ先輩みたいに自分を信じて努力し続けていれば、あるいはオーウェンの隣に立っていた?

 あの日、この湖で溺れかけた日。曖昧な記憶が戻って自分の気持ちを自覚したあの日。

 その日にもしも戻れたら、私は今度こそオーウェンに気持ちを伝えられた?

 オーウェンが将来聖女と結ばれると知ったとき、その幸せを守るしかないと、私にはまずそんな風にしか思えなかった。

 頑張ればもしかしたら違う未来を手に入れられたかもしれないのに、そこにいたのは私だったかもしれないのに。……そうだ、だってほかの誰でもない、この私がオーウェンの隣に立ちたかった。

 今のうちに奪い去ってしまえば、私のものになるのでは? この先の展開は私だけが知っている。ならオーウェンと聖女が決して出会わないようにすればいいのでは?

 ……でもそうしたら、きっと後は負の連鎖だ。

 誰かが、他でもない彼女が奪い返しに来るのをいつまでも怯えながら生きていく羽目になる。聖女が、ライオネル・アディンソンが、そのほかにもオーウェンに関わってくるあらゆる人が出てくるたびに、私の心は疑念に襲われ、悋気に苛立ち、物語の存在に怯え、仄暗い感情を無差別に撒き散らしていくのだろう。

 その姿はまさしく“ソフィア・ランドルフ”であり、私が恐れている結末の一つにほかならない。

 たとえ欲しかった幸せを手に入れられたとしても“ソフィア・ランドルフ”になってしまうのならば、それは結局幸せな結末だと言えるのだろうか。

 どちらにしろ、初めから羨望と諦めの色が強い感情だった。

 弱い自分を乗り越えられない、自分。

 クロエ先輩のように強く前を向けない、自分。

 自分のこともオーウェンのことも、なにも信じられない、自分。

 それでも、オーウェンにはどうにか幸せになってほしかったから、だったら不器用でどうしようもない私には、こんなやり方しか残されていなかった。

 窓の外には静かな闇がひたすらに続き、その闇の中を動くものはなにもない。

 部屋の中にはクロエ先輩の規則正しい呼吸音が微かに響き、夜特有の密やかな静寂に包まれている。

 私はきっと、たとえ時が巻き戻ってもそうしないのだろう。できないのだろう。


「だったらいい加減、自分のどうしようもなさを認めてあげないと、多分前に進めないんだよなぁ」


 いつまで私はこんなところで堂々巡りを繰り返しているのだろう。

 “ソフィア・ランドルフ”と決別して、もう暫く経つ。

 私はもう“ソフィア・ランドルフ”ではないというのならば、いい加減な、こんな自分からも決別したい。


「……そうだよね」


 そっと立ち上がり、クロエ先輩の方を伺う。彼女が起きているような雰囲気はない。音を立てないようにそうっと扉を開け、私は宵に沈む廊下へと滑り出た。








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