高等部一年・Ⅵ
楽しい、一週間だった。
毎日先輩たちと演習しては、夜は賑やかな会話に耳を澄ませ、ともに協力し合いながら生活する。みんな優しくて騒がしくて、こんなにはしゃいだことはないというくらい楽しい一週間だった。
学院に戻ってくると、先生が解散を告げる。疲れた様子で散り散りに散っていく生徒たち。その姿をなんだか寂しい思いで眺めていると、後ろから声をかけられた。
「僕たちも帰ろうか」
ルイとライルが待っている。
夕陽の沈みゆく中、長く伸びるその影を追った。
日常に戻った日々が、少し過ぎたころ。
今回の休暇はサイラスの結婚式に合わせてエスパルディアに帰省していた。
ランドルフの屋敷で再会したオフィーリアとサイラスは変わらず元気そうで、その姿にホッとする。
「ソフィ、その……改めて紹介する。エリザだ」
「はじめまして。その、会うのは初めてだけど、サイラスからソフィちゃんの話は伺ってるよ。ソフィちゃんとっても優秀なんだってね。これからランドルフ家の一員として仲良くしてくれたら嬉しいな。魔術のお話なんかもたくさん聞かせてね!」
はにかみながらも幸せそうに微笑むエリザさんに挨拶を返す。
彼女は華奢な見た目によらず、しっかりと芯の通った女性だとサイラスが誇らしげに語っていた。私を妹だと言い張るサイラスを嘲笑する者が多かった中、彼女だけはそれを笑わなかったとそう聞いている。
「ソフィ! やっと帰ってきた」
かけられた声に振り向くと、帰ってきたばかりという風情のオーウェンがそこに立っていた。
「ええ、ただいまです」
「……随分と久しぶりだね」
懐かしそうに目を細めるオーウェン。もう十五才のときみたいに抱きついては来ない、落ち着いた様子のオーウェン。
この三年の間に、成長してさらに彼は美しくなっていた。
サラサラの金髪と晴れた青空のようなスカイブルーの瞳はそのままに、すっかり大人っぽくなった様は、まるで誰もが憧れる王子様のようだ。そんな繊細な容姿をしているのに、適度に筋肉のついた体に少し着崩された隊服はとても男らしい。
この様子じゃきっと、さぞ世の令嬢たちからも人気なのだろう。
感動の再会のはずなのにそれきり黙り込んでしまった私に、オーウェンが少し困ったように眉を下げる。
三年の歳月のあいだにお互い大きく様変わりしていて、もう昔みたいには気安く接することもできない。
オーウェンもそれは同じなのか、なんて話しかけたらいいのか考えあぐねているように口を開いては閉じてを繰り返している。
そんな空気にサイラスが見兼ねて口を挟もうとしたそのとき、オフィーリアがワゴンを押した使用人と応接間に入ってきた。
「あら、みんな揃っていたのね。ちょうど良かったわ。お茶にしようと思っていたの」
オフィーリアの優しい笑顔と美味しいお茶のおかげでこわばった空気も容易くほぐれていく。
みんなの話題は一週間後のサイラスの結婚式一色だ。それに耳を傾けながら、オーウェンを視界の隅から追い出した。
どことなく慌ただしくてそわそわしている一週間を乗り越えたあと。
サイラスとエリザさんは両家の祝福のもと、幸せな結婚式を上げた。喜びいっぱいのサイラスに優雅なドレス姿のエリザさんは本当に美しくて、家族の華々しい門出に自然と涙が浮かぶ。
厳かな式のあとは両家の関係者を呼んで、ランドルフ家で賑やかな食事会だ。私は立場上式だけで辞退したが、終始賑やかでみんなに祝福されたいい会だったとあとで聞いた。
和やかな食事会を終えた二人は、その空気覚めやらぬ数日後、ちょっとした新婚旅行へと出かけて行った。幸せに満ち溢れた二人が出発して、ようやく以前の穏やかな静けさを取り戻したランドルフの屋敷。
さて、久しぶりに庭で魔術書でも読むかと玄関に向かう。
「あれ、ソフィどっか行くの?」
そこへオーウェンがあくびしながら降りてきた。
既に身支度を整えている様子に、目を丸くする。
「オーウェンこそ。今日は誰かと約束ですか」
「うん、ちょっとね」
歯切れの悪いオーウェンに、気づいたオフィーリアが声をかけてきた。
「先日のシエナちゃんだったかしら。粗相のないようにね」
「大丈夫だよ。ちょっと会うだけだって」
オフィーリアが頬に手を添えて、ぽつりと呟く。
「サイラスが結婚したばかりなのに、次はもうオーウェンかしら。子供の成長は早いわね……」
「母さん、気が早い。ただのデートだから」
心構えもなにもしていないところに、頭をガンと殴られたような衝撃だった。
――分かっていたことなのに、いつかはこんな日が来ることは自明だったのに、それでもショックにたじろいでしまった自分を殴りたくなった。
「ソフィ?」
「気をつけて、いってらっしゃい」
逃げるようにその姿に背を向けて、追い立てられるように外に出る。
ずっと前から、分かっていたことだった。
多かれ少なかれ、オーウェンはほかの誰かと幸せになる。
聖女と出会うまでの仮初めの恋なのかなんなのかは知らないが、オーウェンの家族として、その笑顔を守るために遠くから見守ると決めた時点で、とやかく騒ぐ資格なんて自分にはなかった。
それなのに今さらこんなことでショックを受けるなんて、本当に自分の心はバカげている。分かりきっていたことなのに。
見守ると決めたのは、ほかでもない自分だ。
薄気味悪い孤児になった私をネイサンが、オフィーリアが、サイラスが、そしてオーウェンがこの家に受け入れてくれた。私に温かい家族というものを教えてくれた。
この温かでなにものにも代えがたい場所を、私一人のこのくだらない感情のせいなんかで失うのか、崩してしまうのか。……そんなのは到底許せないから、私は家族を傷つけてまでブライドンに逃げたんじゃなかったのか。
それなら最初から最後まで、私はオーウェンの家族としてなすべきことをすべきだし、そこに余計な感情は必要ない。
きっと長い学院生活のなかで、大事な友との温かい交流のなかで、私は自分をいつの間にか甘やかしていたんだ。
そんな自分は今すぐにここで断罪して、改めて決意し直すべきだ。
――私は私の大切な者のために、私を捨てる。
そう決めたのならこんな不要な感情、すべて殺してしまえ。
目を瞑って、何度も何度も深呼吸する。
目の前には無表情で突っ立っている幼い頃のソフィア・ランドルフ。その自分の心臓に向かって何度も何度もナイフを突き立てる。
もう二度と蘇らないように。もう二度と感情を動かされないように。
原型がなくなるまで、吹き出す血が枯れるまで、私は何度もソフィア・ランドルフを手に掛ける。
――そうしてしばらくしたのちに、目を開ける。
もう大丈夫だ。
もうショックなんか受けない。
もう泣き言なんか言わない。
もうこれ以上オーウェンについてなんて考えない。
もうこれ以上感情なんて持たない。
私はこの日、たしかにソフィア・ランドルフの残骸を殺したのだから。




