中等部四年・Ⅳ
後期はほとんど魔術漬けの毎日だ。通常の講義に加えて、進級試験の勉強。その合間に製作の取り掛かりと、夜も遅くまで学院に残る日々が続いている。
製作のテーマ自体はすぐに決まったものの、素材への加工でさっそく私たちは躓いた。
魔術とは本来自然の現象を人為的に生み出すもので、それを物質に固定化させるときに構築に詳細な書き込みが必要になってくる。
この詳細な書き込みにはやはり知識と技術とある程度の才能が必要になってくるから、より簡便に魔術を固定させるために親和性の高い素材を選ぶのが基本となる。
その一般的なものが予め加工を施した魔術素材になるのだが、今回の進級製作では魔術素材の使用に制限があり、要は普通の素材にどれだけ詳細な書き込みをできるかというところに焦点が当てられる。
馬車の衝撃を緩和するというテーマを元に座席辺りに魔術を施すと決めたはいいものの、その座席に衝撃緩和の魔術を書き込むのが一筋縄とはいかなかった。
座席の中綿にアプローチしてみようと衝撃緩和の基本構築術をとりあえずかけてみたけど、やはり魔術素材じゃないので親和性が悪く、単純な魔術構築じゃだめなんだということがわかっただけだった。
毎日書架室で文献を漁っては、テーマに沿った魔術構築の順序や言語、一般素材に対する特殊構築例なんかを片っ端から試していく。
毎日二人で話し合って、あれでもないこれでもないと試行錯誤していくのはなかなかに骨の折れる作業だった。
「ソフィ、とんでもないものができてしまったかもしれない」
呼ばれて顔を上げると、ライルがでろでろに溶け切ったスライムみたいな中綿に全身を汚して顔を顰めていたり。
「今度はいけたかもしれません」
そう思って座ってみると、緩和ではなく“反射”になっていて吹っ飛ばされたりと、失敗の連続だ。
でも初めて本格的に考えながら自分で魔術を構築していくのはとてもやり甲斐があって、夕方から製作室に向かうのは一つの楽しみになりつつあった。
お昼休み、久しぶりに集まった特待生仲間と昼食をつつきながら互いの進歩について教え合うことになった。
「それで、製作のほうはどう?」
「私はね、意外と順調。トールが結構器用で細かい作業も引き受けてくれるから助かってる」
ケイティが満足そうに見上げると、トールは嬉しそうに破顔した。
「ケイティのためになるならって考えると、楽しくて作業も捗るよ」
もともと背の高いトールはここ数年急激に身長が伸びて、ちょっとハンサムになった。
そんなトールに優しくされて、実はケイティが満更でもないのを知っている。
「ルイはどう?」
「僕もそこそこ進んでる。あとはデザインを決めて施すだけだけど、そのデザインがなかなか決まらないくらいかな」
ルイのところも順調みたいだ。
「ソフィはどうなの? あのライオネル様と組んでるぐらいだから実はもう終わってたりして」
「えー……ライオネル様ってこだわりが強そうだから、逆に終わらなさそうだよ」
トールの言葉に苦笑する。
なかなか的を射ているが、こだわりが強いのはライルだけでなく、私もだ。
「……こだわっているのは私もだから、ライルのことだけ言えないかな。二人で話し合っているとついつい突き詰めて考えちゃって」
「大丈夫? まさかライルがなにか無茶言ってる?」
「ううん。むしろライルの発想は面白いんだけど、それを実現する力がなくて。難しいね」
「進級製作はある程度妥協しないと進まないよ」
ルイが心配そうな顔をした。
「力になれればいいんだけど」
「ありがとう。でも自分たちで見つけなきゃ意味がないしね。大丈夫。頑張るよ」
「相談ぐらいならいつでも乗るよ」と言ってくれるルイに、随分と励まされる。
その日の夜、製作室で素材とにらめっこしていると、先に帰っていったはずのルイが再び顔を出した。
「どう、進んでる?」
「ルイ、わざわざ戻ってきたのか」
構築例を探すのに没頭していたライルも、ルイを見て笑顔を浮かべる。
根詰めた話し合いは止めにして、備え付けの薄いお茶を入れて一旦休憩することにした。
「ほんとに進んでないんだね」
雑多に散らかった素材を眺めながら、ルイがポツリと零した。
「ああ。想像以上に難儀だ」
カップを手に、ライルがぼやく。
「アイデアは出てくるんだが、なかなか思ったとおりに書き込めない」
「……こだわってるね」
ライルはうーんと背筋を伸ばすと、立ち上がる。
「どうせなら納得のいくものを出したいんだ」
カップをテーブルに置こうとして、ころりとその手から滑り落ちた。
「あっ」
咄嗟にルイが指の先から風を巻き起こして、カップが地面に衝突する直前、空中へと固定した。
「すまない、ルイ。不注意だった」
「ここが魔術可の製作室でよかったよ。はい、どうぞ。実家を手伝ってたころは何度もこういうことはあったからね。拾うのは慣れてる」
カップを手渡しながらルイはなんでもないように笑っているが、とんでもない。眠かった頭の中が一気に覚醒した。
「ルイ、今のもう一回見せて」
「いいけど、こんなの見てどうするの?」
ルイはもう一度指先から風を出して、カップを空中に固定して見せる。
「すごい。緻密で繊細で……とてもきれい」
あまりに見事な魔術操作に感嘆のため息が出た。
非常に繊細な風の魔術がほんの指先から放出されていて、それがカップの周りを優しく巡りながら支えている。
これだけの魔術を入学前に感覚だけでやってのけていたルイは、やはり特待を薦められて入っただけあって才に恵まれた人なのだろう。
「ソフィ?」
訝しげなライルをちょいちょいと手先で呼び、ルイの指先を指し示した。
「これがどうした?」
「空気です、ライル」
もしかしたら状況を打開できるかもしれない案に、思わず声が上ずった。
「空気は魔術親和性がある、すなわち加工がしやすい! これを中綿と組み合わせれば……」
訝しげな表情から一転、ライルも気づいたのか、思案げにブツブツ呟き始めた。
「中綿に微小な空気の層を織り交ぜて固定し、空気と同時に中綿へのアプローチも試みる。またあの構築例を試してみるか……」
ブツブツ呟き続けるライルを見ながら、ルイは指先から魔術を消して微笑んだ。
「お役に立てたかな?」
「もちろんだよ! いつもありがとうね」
「どういたしまして」
ルイの指先から放たれた魔術は、ふわりと風に乗ってカップをテーブルまで運ぶ。見事なカップの着地に見惚れていると、優しいそよ風が私の髪を撫でていった。
「僕の魔術……きれいって言ったの、ソフィが初めてだ。便利とはよく言われてたけど」
「そうなの? 信じられない。こんなにきれいなのに」
グレーの瞳は優しく細められている。ふわりと笑う様はいつも見慣れている私でさえ、ちょっとドキリとした。
「中等部は実技が基礎だけだから、みんな見る機会がなかったのかな」
「僕、細かい操作は得意だけど、あまり強い力は出せないからさ」
「ほら」とルイが指を向けると、優しいそよ風が次々にやってきて私の髪を浚っていく。
その感触を楽しんでいると、ずいと目の前にアイスブルーの瞳が現れた。
「遊んでないで、ソフィも真剣に考えてくれ」
不機嫌なライルの声に我に返り、同時にそよ風も止む。
白熱した議論とともに、今日も夜は更けていった。




