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中等部三年・Ⅲ

 

 寮の玄関窓口で、今日も手紙を受け取る。今月も届いた分厚い封筒の差出人を見て、思わず胸に抱き締めた。


 ……三年の前期休暇、私はまた、ランドルフ家に帰省しなかった。

 あれから月に一回欠かさず手紙は書いているが、休みを聞かれて帰省を促されても、有耶無耶に誤魔化して結局帰らなかった。

 オーウェンからは怒りの手紙が長々と届いたが、会ったときに自分の心をまざまざと思い知らされるのは、もうたくさんだ。


 胸に燻る光をはらむような眩しい笑顔、「ずっと僕の妹だよ」という言葉。


 その筆跡を指でなぞり、心の中で何度も何度も反芻する。

 読み返すたびに、私はまだ帰れないと思い知る。

 名残惜しさを振り払いながら、手紙を丁寧に畳んで仕舞い込んだ。







 談話室に向かうと、ちょうどルイが出てきたところだった。


「ルイ、今いい?」

「どうしたの?」


 今まで一緒にいた特待生仲間と別れると、ルイは笑顔を向けてくる。


「よかった、ここで会えて。実はアディンソン様が用があるらしくて、ルイにもついてきてほしいんだけど……」


 珍しいことに、ルイは躊躇した。


「……いいけど、僕がついてきてもいいのかな」

「どうして? アディンソン様と一番仲がいいのは、ルイじゃない。いいに決まってるよ」

「そう?」


 なにをそんなに躊躇っているのだろう。

 普段あんなにも、遠慮なしに白熱した魔術議論を交わしているのに。


 なんとなく乗り気でないルイを訝しみながらも寄宿舎を出ると、既にライオネルは門のところで待っていた。


「遅くなってしまってすみません」

「そうだな。もう少し早く準備できるかと思ったが」

「……それは本当にすみませんでした」


 歯に衣を着せないライオネルに苦笑が漏れる。

 相変わらず彼はそこに佇んでいるだけなのに、絵になるように美しい。

 ほかの貴族子女たちも遠巻きに眺めながら見とれていて、話しかけづらいことこの上ない。

 やっぱりルイについて来てもらってよかった。隣のルイがとても心強い。


「ルイも一緒なのか」

「……うん、誘われたから。迷惑だったかな?」

「いや。来てくれて嬉しいよ」

「それならよかったけど」


 そう言いつつも、当のルイは浮かない顔を崩さない。


「ルイ、もしかして用事でもあった? 無理に誘っちゃったかな」

「……ううん、なんでもない。大丈夫だよ、気にしないで。それよりライオネル、今日はどうしたの?」

「学院に来て暫く経つが、まだ街をじっくり見たことがなかったと思ってね。よければ案内してもらいたいんだ。付き合ってくれたら、お礼にソルシエ洋菓子店のケーキをご馳走しよう」


 ソルシエ洋菓子店は、今学院でひそかに流行っているケーキ屋さんだ。

 知る人ぞ知る名店で、上品な甘さが貴族の子息子女に好まれているらしい。

 自分では買えないので食べたことはないが、一度でいいから食べてみたいと思っていた。


「それはソフィのためにも、張り切って案内しなくちゃね」


 ルイはやっと笑顔になると、ふわふわのアッシュブラウンの髪を風に揺らがせながら、やっと歩き出した。







 学院の門を出て、レンガで舗装された道を暫く行くと、やがてレンガ造りの建物が立ち並ぶ中に、巨大な十字形のアーケードが現れる。

 緻密な装飾を施され、モザイクガラスが天井を彩るそこは、主に学院の関係者や生徒が利用する商店街となっている。

 洋裁店から書店や文具店、カフェにレストランなどが立ち並ぶ様は、どちらかというと上流階級向けで、私たち特待組にはあまり縁のない場所だ。


「まずは商店街に来てみたけど。ライオネルはなにが見たい?」

「そうだな。では、文具店なんてどうだろう」

「それじゃあ、こっち」


 交友関係の広いルイは何度か来たことがあるらしく、たしかな足取りで進み出す。

 そうしてルイに連れられて辿り着いたのは、外観からしていかにも高級そうな文具店だった。


「なるほど」


 ライオネルは扉をくぐろうとして、立ち止まった私たちに気づいた。


「どうした。来ないのか」

「私たちはちょっと……」

「こんな格好だし、入れないよ」


 ライオネルの制服のように、きちんと体型に合わせて仕立てられた新品と違い、私たちは卒業生が寄付してくれた、学院支給の制服を着ている。

 そんな私たちが入ったら、嫌な顔をされるのは想像に難くない。

 ライオネルは立ち竦む私たちに眉を顰めると、引き返してきた。


「行かないの?」

「一人で見たところで、面白くもない」


 「君たちがいつも行く店に連れて行ってくれ」と促されて、ルイは「本当にいいの?」と何度も確認している。


「ライオネルが気に入りそうなものなんて、置いてないと思うけどな」

「いいんだ。こういうものは、見るだけでも楽しいものだろう?」


 高級品を見慣れている彼が果たして楽しめるのかどうか、謎だが。

 本人がそう言い張るので、仕方がないので連れて行くことにした。







 アーケードを抜け出て裏道に入ると、いつも行く古書堂の前に、魔術書入荷ありとの看板が出ている。


「……! ちょっと寄ってもいいですか?」


 その文言に、吸い寄せられる。


「あ、僕も! 行きたい!」


 乗り気のルイに引っ張られ、ライオネルもおそるおそる足を踏み入れてきた。

 古書堂の中は所狭しと棚が置かれ、ぎゅうぎゅうに本が詰められている。

 古書特有のなんとも言えない匂いが満ちていて雑多な場所だが、ここは私が落ち着ける数少ない場所でもある。


「こっちみたい」


 暫く本棚の背表紙を眺めていると、さっそくルイが新しく入ってきた本を見つけたみたいで、ワゴンに積み上げられている中から一冊手にとって、パラパラと眺め始めた。

 私もそっちに向かおうとして、ライオネルから呼び止められる。


「これを見てくれ」


 ライオネルが手にとったのは、古びて背表紙が少しほつれている魔術書。


「パラケルススの第六章だ。ずっと探していたが、どうにも見つからなかったんだ。まさかこんなところで出会うとは……」


 まさにこわごわといった手付きで、ライオネルは丁寧に本を捲る。


 パラケルススのグリモワール。数ある魔術書の中でも、彼の魔術書はほかのものとは一線を画している。


 そもそも魔術書とは、かの一族が残した遺物を解析した結果を詳細に載せているものであり、それを元に魔術を構築していくことで、より緻密な指示を与えたり、様々な効果を付加することができる。

 遺物解析者だった彼は、そのグリモワールに微細な解析結果を書き記しており、その群を抜いた解析はとても高い評価を得ている。

 学術的に価値が高く、なかなか手に入れるのも難しい代物だ。


「これがパラケルススのグリモワール……」


 好奇心を抑えきれず、ライオネルの横からそっと魔術書を覗き見た。

 綺麗に整列された文字に、惜しみなく使われているカラーインク。

 その保存状態の良さからも、貴重な一品だというのが分かる。

 書かれている内容はサッと流し読むには難しすぎて理解し難いが、だからこそじっくりと熟読したいと、手に入れてゆっくりと読み込みたいと思わせるようなものだった。


「これはとんだ掘り出しものだな」


 ライオネルが目を通しながら、上機嫌に笑う。アイスブルーの瞳が楽しそうに、キラキラ輝いている。


「こんな幸運はなかなかない。君のおかげだ」

「いえ、見つけたのはアディンソン様ですから」

「ライル」


 文字を追っていた瞳がぱっと私に向けられて、油断していた私は、その視線を真正面から受け止めてしまった。


「ライルと、そう呼んでくれと何度も言ったはずだ」


 至近距離で見つめられ、逃げることもできない。

 冷静な声は囁くように訴えてくる。


「こんなときにまで壁を作らないでくれ。せっかくの喜びを、悲しい気持ちで台無しにしたくない。ともに学ぶ学友だと認めてくれるのなら、せめて二人のときだけでもライルと」


 透明度の高いアイスブルーの瞳が、切実に懇願している。

 ここまで言われてしまっては、意地は張れなかった。


「……分かりました。でもほかの人がいる前では、言いませんから」

「ついでにその堅苦しい言葉遣いも、止めてほしいんだが」


 とりあえずは納得してもらえたのか、ライルは満足そうに本を閉じると、カウンターのほうへと進んで行く。


「ソフィ」


 後ろからルイに声をかけられて振り向くと、彼は本を抱えたまま、ボーッと立ち尽くしていた。


「どうしたの? いい本あった?」


 ルイの唇が一瞬噛み締められていたように見えたけど、次の瞬間にはルイはもう本の話を夢中でしだしたから、気のせいかと改めて尋ねるまではしなかった。







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