光武帝、勝ってしまう
前回までのあらすじ
曹操に追われる劉備軍。こんな時に肝心の孔明がいない中、光武帝劉秀は余裕の笑みを浮かべ、みんなに作戦を提示する。
「して劉修、策はあるのか」
いつも劉備以外には高圧的な関羽が聞いた。
「策なら、将軍方が喜びそうなとびっきりの奴を用意してあります」
いつもクールで、「勝ちゃ何でもいい」という孔明とは違い、劉秀はあえて皆の注意を引き付けるようなことを言った。
ここに趙雲が口を挟んだ。
「策とは?」
「くさびのように中央が尖った形の陣形を作ります。
先端部分には、精鋭を全部注ぎ込みます。
雲長殿、翼徳殿、子龍殿、全員でかかります」
「ほほう! よくわかっているではないか!」
張飛は、劉備軍のスター選手揃い踏みで中央突破を行うという策に好意的な反応を示した。
「つぎは?」
関羽は髭を撫でながら冷静に聞く。
「次に、雲長殿と翼徳殿は敵陣中央を割り裂いた後、すぐ右翼へ転進して敵の横列を、馬が根菜を食むがごとく貪りなされ。
子龍殿と私は、同じく左翼側を食い破ります」
要するに劉秀の言いたいのはこういう事だ。
最も強い兵でもって、敵軍を素早く中央突破する。
すると敵軍は二分割されるのだが、このとき、
劉備軍は戦力が極端に集中し、縦長になるのに対し、曹軍は分割された、二本の横棒のような形になる。
つまり戦場には一瞬、十字の模様が発生するわけだ。
戦争では、兵士の列が相手に対して横か縦かでずいぶん違う。
相手に対して縦になって攻めている場合、これは不利だ。
縦列の先端部分を集中放火されやすくなるからだ。
その逆は有利。劉秀の策は、最初に、横列の相手に対して縦列になって突っ込む。
最初は劉備軍は不利なのだ。しかし、中央突破に成功すると全く逆になる。
劉備軍に中央を割り裂かれた曹軍は、劉備軍に対して縦列になってしまう。
正面切っての攻撃を重んじる劉秀らしい作戦だった。
ちょっと下手なイラスト描いたので説明しよう。
ちなみにこれ、なろう戦術ではなく古今東西割りとよくある戦術だ。
有名なところだとトラファルガーの戦いなどでもこれに近い方法論で中央突破した側が勝っている。
中央突破したあとはもう兵士の練度が物を言う。
張遼がいるならまだしも、負傷した曹仁らでは、劉備軍のスター軍団を止められるはずがなかった。
「更に言うと向こうは以前の張翼徳の大立ち回りによって萎縮している。
武勇に優れる者は曹仁、許褚などしかいない。
向こうに雲長殿も翼徳殿も子龍殿も、この文円もいない。だから勝てる」
劉秀は、味方を持ち上げて気持ち良くし、心を掴んだ。
「しかし、そう上手くいくかな」
関羽は基本的に目下の者にも上のものにも傲慢だった。
劉秀は気にせず答える。
「敵は騎兵を出して来るでしょう。こちらの兵数が少ないのでそれが一番です。
賢い曹操ならそうするはず。敵は縦列で向かって来るでしょう」
騎兵にしても、縦列で走るのが一番速いので誰でもそうする。
マラソン競技や自転車レース、競馬などについて知っている人なら説明するまでもない。
先頭が風を切り、後ろは空気抵抗を少なく走れるので、全体が速くなるのだ。
劉秀は続ける。
「縦列の敵とは、こちらがすぐに戦闘となるでしょう。
しかし、縦列の敵が迎え撃つこちらの縦列を突破するには、敵の戦闘がこちらより強くなくては」
「俺達が負けるはずない!」
「その通りです。確実に我々の誰かがそれを撃退し、曹軍は一旦攻勢を止める。
そして戦列を横に広げ、軍略でもって雌雄、これ決めんとする。
あとは精鋭で中央突破して乱戦に持ち込み、終わりです」
「俺は文円の策は好きだぜ兄貴。孔明のよりわかりやすくていい!」
「確かに、大胆かつ豪快。聞いていて気持ちのいい策だ。
よかろう。だが民を守る兵はどうする。万が一もある」
「五百の兵を主君に預けます。兵力では後れをとりますが致し方ありません……」
もし、劉秀が合理的な男だったら民など捨て置け、むしろ足手まといはほどほどに死んだ方がよいというところだ。
しかし彼はその人生において、弱きを助け強きを挫き続けてきた男だ。
兵力を減らしてまで護衛をつけることに、何ら疑問はなかった。
「劉修殿、この趙雲、五十の首を取ります」
興奮気味に趙雲が言ったのに、張飛らが続く。
「俺は百だな!」
「私は二百とろう」
「子供ですかあんたたち……」
本当はボケが好きな劉秀だったが、今回は突っ込み役に回った。
途端に笑いが起こった。野太い豪傑の笑い声だ。
劉秀が、すっかりこの三人の将軍と打ち解けた証であった。
その数日後には、予定していた通りの伝令の声があった。
「敵襲です! 背後より曹操軍五千騎ほどが迫って来ております!」
「至急、雲長殿、翼徳殿、子龍殿を呼び、兵士は主君直属の五百を除いて停止し、この劉修の元へ集めろ!」
「は!」
数十分後には、劉備軍の主力全員が集まり、更にその最前列で劉秀が演説を開始した。
「主君と追われた民を救いたいならばここから一兵たりとも通すな!
我こそは豪傑なりと思うならば、将軍達の背後へつけ!
自信のない者は後方へゆくがいい!」
元から関羽ら将軍は精鋭をそばに集めてある。
あまり軍の隊列は動かないままだった。
「その意気やよし! これより片時も止まらず最高速度で突撃を敢行する!
大きく息を吸え、兜の緒を締めよ。後戻りするな。
前だけを見よ! 決して傷つく事ない勇者の背中を!」
「オオーッ!」
なんだかわからないが、兵士達は演説を聞いている内に士気がみるみる上がり、誰に命じられたわけでもなく、ときの声を上げた。
そして、何より驚きなのは、劉秀以外の将軍達ですらその雰囲気に圧倒され、絶句していたのである。
関羽、張飛、趙雲が、この三人の英雄が一点を見て拳を握り、喉を鳴らしていた。
彼らの中に流れる、古き漢臣の血が震えていたのかもしれない。
光武帝劉秀の麾下で戦った百万将兵の誰かの血が、必ずや彼らの中にも受け継がれているはずだから。
「突撃せよ! 一人、五つの首を取れ!」
「それじゃ敵の数が足りません!」
と言ったのは誰かわからない一兵卒だった。
まさか空気読まないツッコミが入るとは思わず、劉秀は苦笑した。
「あっはっは、そうだった。さあ行くぞ、全軍前へ!」
「オオーッ!」
いつでもどこでもギャグを言ってしまう劉秀の悪い癖が出てしまった。
彼は適当に笑ってごまかし、軍団に明るい雰囲気を作ってから突撃を敢行した。
哀れなのはこれほど士気が上がり、しかも勇猛果敢なる四人の将軍に率いられた軍に突撃する側だった。
防御というのは古今東西歩兵の役目。歩兵の全くいない曹軍は出会い頭の恐ろしい一撃を食らった。
この前、曹軍の心胆を寒からしめたばかりの鬼神張飛と競い合うように先鋒を武神関羽が務めている。
その二人の後ろには、武勇高名なる二人の勇将が、更に後ろには選りすぐりの精鋭部隊が。
そんな劉備軍を騎兵だけで止められるはずがなかったのである。
「退け、一旦退くのだ!」
大将文聘はそう言うそばから張飛の重たい矛を受け止め、何とか弾き返すと、脱兎のごとく駆け出した。
劉備軍は全く止まることなくこれを追撃し、次から次へ繰り出される曹軍の殿軍を血煙上げつつ屠り続けた。
しかし彼ら殿軍の奮戦も大したもので、それなりに足止めの効果を上げた。
その間に曹軍は体勢を立て直して方陣を敷き、横列を作った。
これにより、突出する劉備軍を包み込んで包囲し、倒そうという腹だ。
これが、縦列と横列とでは横列が有利になる理由だ。
それは理解している劉秀。しかし、全く軍の速度を緩めず、それどころか更に急かすのだ。
「急げ急げ急げ! 女のケツ追いかける時はもっと速いだろ!?」
下ネタが好きな劉秀は急かし、急かし、そして自ら最前線を走り、一番駆けを果たした。
大将首を古参に譲り、劉秀は自らの槍で周囲の精鋭騎兵を掃除し始めた。
その間にも騎兵による包囲の輪は閉じていくが、ここで曹軍は思いがけない現実を発見した。
彼らは騎兵と歩兵の速度の差というものを失念していたのだった。
劉秀は死ぬほど兵を急がせたが、先頭の騎兵に対し明らかに歩兵が遅れていたが気にせず突撃した。
その後、敵の包囲の輪は閉じた。そしてその後に到着したのが残りの劉備軍歩兵だった。
包囲網の外から歩兵は石弓や長槍などで攻撃する。
これをやられると、曹軍はたまらなかった。
曹軍はある一方を劉秀達精鋭の突撃で破られかけ、その反対側では歩兵による攻撃が開始されていた。
最初に包囲を食い破ったのは先鋒の劉秀達だった。
間髪を入れずに歩兵達が包囲を破り、当初の作戦通り事は運んだ。
「趙将軍、左を食い尽くすぞ!」
「応! まだ三十しか首をとっていない!」
劉秀と趙雲は敵の左翼へ。
「翼徳、あの二人には負けられんな!」
「当たり前よ! 受けた期待にはまだ足りぬわ!」
心底嬉しそうに張飛は語り、その矛はもはや人間の目で捉えられぬ速度で空中を飛び回り、唸りを上げて近づくもの全て切り払っていた。
逆に関羽の青竜刀は静かだ。必要最低限のところを、最短距離で走る。
まるで抜刀術のように周囲の敵兵の頭がいつのまにか胴体と離れていた。
包囲していたはずの敵軍は、次々と食い荒らされて逆に包囲されるかのような格好になり、次々と敗走した。
劉備軍被害五百。曹軍は二千を超える被害を出し、雲散霧消して難民への攻撃を断念したのだった。
劉備軍はすぐさまきびすを返し、劉備達がいるところまで帰る。
その間、話題になるのは主に劉秀の事だった。
「はっはっは、頼りない奴と思っとったが、演説を始めた時は心が震えたわ!」
馬の上で血まみれの矛を振り回し、はしゃいでいるのは張飛だった。
「終わってみれば全て言った通りになりましたな」
と趙雲。つぎは関羽だった。
「天は二物を与えたか……」
短いが、関羽にしてはこれ以上ない賛辞だった。