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三国志の乱世を見てご先祖様が歎いておられるようです  作者: ニャンコ教三毛猫派信者
第3章 三国志
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龐統、脱獄する

翌日。劉備軍の黄忠や趙雲らも含めた幹部が城の一室で軟禁されて暇を持て余していたころ。


不屈の闘志で戦う一人の男がいた。名を龐統。(あざな)士元(しげん)という。


未明のうちに牢獄は抜けた。手筈通り、行商人に扮した仲間の手先に助けられ、今は荷物に紛れて馬車に揺られる。


「孔明、しっかりやれよ……」


龐統は荷台で呟き、しばしの間、羽根を休める事にした。

ここから数日後、荊州派閥でも第一の古参でありそれなりの力を持っている糜芳らのところに龐統は身を寄せる事になる。

そう、ついに長々しく続いてきたこの茶番と内輪もめも終いとなる。


さほど有能ではないがネームバリューにだけは定評のある糜芳は、馬車の荷台から出現した龐統をこの上なく歓迎した。


「よくやった! 作戦は成功だな!」


「はい。手はずはこれで整いました」


龐統が予め作っておいた仲間のところへ到着したのが9月2日の事だった。

同じ日、荊州には既に前もって早馬が出されており、それが新野にいる劉秀のところへ到着したのは9月2日夜の事だった。


伝令としての早馬が到着したという知らせを、城内の伝令から受けた劉秀はいつもの笑いを浮かべた。


「来たか!」


「来た、来た、来た! 作戦開始ね?」


「ああそうだ麗華! その命、龐統ならば預けるに足る!」


戦いに赴く夫婦とは思えない会話だった。決してお互いの身を案じてめそめそなどしない。

互いの戦う理由を尊重しあい、覚悟という帯を腹の底で固く結んでいるのだ。


益州からの大切な伝令は、劉秀とその奇妙な妻を目にした瞬間こうべを垂れ、新野城の門を入ったところの剥きだしの地面にひざまずき、城壁にともった松明の明かりの中で静かに報告した。


「軍師・龐統からの書状を預かっております」


「文面は?」


「万事、滞りなく!」


「あっはっは、ならばよし!」


小気味がよいほどに切れ味鋭く澱みないやり取りが殆ど誰の姿もない夜の新野城にこだました。


「よし伝令。一晩泊まって帰ってよし!」


「はっ、ありがとうございます!」


伝令は兵舎ではなく賓客用の客間に通され、馬の世話係が急いで来た馬を優しくいたわり、厩舎に運んで水と馬草を与える。

他に誰もいない、松明が闇の侵攻を邪魔するほの明るい空間が劉秀と麗華を包んでいた。


「本当言うと今でも迷ってる。迷わない事なんかなかった。

正直今でも、戦いは苦手だ……怖くて震える事もしょっちゅうある……特に劉備とは……」


「まさか、女の私が戦いに行くのに、自分は戦えないなんて言うつもり?」


「そうやって、何だかんだ言って俺の背中を押してくれたのはいつも麗華だった。

別れる事になったときも潔く身を引いてくれた。

いっそ別れたくないと泣いてすがり付かれた方が楽だったのにと思った事もある。

しばらく気がつかなかった。精一杯、俺の背中を押してくれていたのを……」


麗華は、基本あまり素直に劉秀のこういう言葉を受け止めたりはしない。

彼が冗談めかして大げさに愛をささやく度に冷たくあしらう。

だが、もはやそれが通じる雰囲気ではない事は感じ取っていた。


「私達が何故死後に百年以上もたったこの世に現れたのか、よくはわからない。

でも天は私達に若さをもう一度だけ与えてくれた。

もう一度だけ時間をくれた。この時間の使い道はもう決まってる。

これからの私の時間は、あなたを愛するためにある」


「えっ?」


「……とは限らないけど、でもそうしろと天が言っている気がする」


「おい照れるなら最初から言うなよ」


「とにかく! ね、とにかく私達は、天に守られてて死なないとか……そういう話」


「だといいが。もちろん天が守らなくても麗華は俺が守るけど」


いつものやつが出た。劉秀は冗談めかして愛をささやいた。

こうなるともう返ってくる返事は一つしかない。


「うるさい」


どうやら二人は、お互いの意図を長く一緒に生きてきた経験から理解したようだ。

二人は他愛もなく、愚にもつかない普通の会話を、別れる前にしたかった。

今生の別れには、一度経験しても慣れる事はない。


劉秀は麗華や子供に看取られてその生涯を終えた。

その時、彼の遺した言葉はあまりにも切ない。


「朕は民に、皇帝として何もしてやることが出来なかった」


皇帝になってからというもの、粉骨砕身で政治に邁進。

治安を良化し貧民を救済。教育を推奨し識字率と人口を急激なスピードで上昇させた。

休む間もない政務も人の役に立てると思えば苦ではないと劉秀は語った。


彼がかしずくとしたら、それは決して以前冗談で言っていたように陰麗華ではない。

劉秀が忠誠を誓う相手は天下の民衆、それも最も弱い立場の者にだ。


「あなたが私を見ていなくてもいい」


不意に麗華は、城に戻る最中の劉秀の背中に言った。


「……見てるけど? ずっと」


劉秀はわざと惚けた回答をしたが、麗華に無視された。


「昔の私は見つめ合う事ばかり考えていた。でも今は違う。

隣に立って、同じところを見ていたい。

天下統一、民の平和。女が見るにしては大きすぎる夢かしら」


「確かめるには丁度いい相手がいる。相手は曹操。

天下の英雄。大軍を率い優秀な軍師と将軍を抱える化け物軍団ときている。

行ってこい麗華。お前の背中は俺が守ってる」


麗華がもし万が一曹操に攻撃を受けても、それを止めるために荊州方面軍の劉秀がいる。

それが最初から説明している通りの作戦だった。


「行ってきます」


その数日後には、益州と荊州の境目あたりにある夷陵(いりょう)の地に、狭い谷間を進軍して来る細長い隊列を組んだ軍の姿があった。

その真ん中に陣取り、いかにも大将がここに居ますよという、豪奢な馬車で優雅に揺られる陰麗華の姿があった。

屋根つきで外から中は窺い知れない。その中には麗華一人のみだった。


これから彼女が対峙するのは、張任らをはじめとした益州派閥と曹操軍。

劉璋など益州の人間は劉備と協力はしているが、臣従はしていない。

そのため張任なども命までは落としていなかった。

劉璋の配下にも肝の据わった連中は結構いる。


これを孔明が御し切れるか、それとも劉修という化け物を恐れる気持ちが上回るか。

どちらかでなければ麗華は非常に不利な立場になるのは間違いない。

何しろ彼女の味方になるのは四万の荊州軍と糜芳、龐統など微妙な連中だけだ。


「ああは言ったけど、私大丈夫かしら……」


パカラ、パカラと馬が山道を蹴って蹄で音を立てる。

と、ようやく狭苦しい街道を抜けて、巨大な盆地への入口にあたる白帝城(びゃくていじょう)が見えてきた。

ここに龐統がいる。その龐統も陰麗華の乗った馬車が来たという報告を受け、早速城の物見台に登って東側の街道を上からながめる。


いた。ゾロゾロと続く四万の援軍に加え、劉秀が乗っているらしき巨大な馬車が中央に鎮座していた。

これを認めた瞬間、龐統は狂喜乱舞する。


「はっはっは! 曹操が来た、光武帝がきた! この益州も化け物どもの戦場だ!

無茶苦茶になるぞ、滅茶苦茶になるぞ! 最高だ!」


と叫んだ後、息が切れて座り込んだ龐統は、息が落ち着いて来ると頭も冷静になってきた。


「ん……? 光武帝が来ないという読みは外したか?」


龐統は訝しんだ。ただ、何か裏があるのではないかと龐統は信じ、階段を下りて荊州軍を迎えに行った。

馬に乗った龐統は、先頭にいる有象無象の兵をかきわけ、ついに馬車の前に到着した。


「将軍! 龐統が参りました。全ての首尾は万全でございます!」


「あっ、あなたが例の軍師さん?」


馬車に備付けられたすだれを持ち上げて、陰麗華が車の中から顔を出した。

龐統は凍りついた。これが伝説に聞く美女、陰麗華に間違いない。


だがどうもおかしいのは、その姿がまるで欠点のない美しさであることだった。

歴史書と違うと龐統は思った。

劉秀は生前にこう語っていたという。


「職につくならまあまあの地位でいいかな。妻は近所の麗華ちゃんがいればいい」


ということで、後に皇帝となり歴史上三人目となる中華を統一した劉秀が、本来そんな野望などなかったということを表す逸話だ。

近所のかわいい女の子と結婚できれば最高だし、執金吾以上の地位は別に必要ないと。


だが龐統の目の前の陰麗華はまるで妖怪が化けて殷の紂王をたぶらかし、中国の悪女として最も有名な妲己(だっき)のような、邪悪なものさえ感じさせる美しさだった。


「あら、固まっちゃって……どうかしたの? 早くおいでなさい?」


恐ろしかった。馬車に上がるのが。虜にされ、食われるのではないかと龐統は恐怖したが、すぐにそんなことは有り得ないと頭にかかった暗雲を振り払い、車に乗り込んだ。

昔の人が時空を越えて現れるなら、妖怪がいてもおかしくはないのだが。


「んっ? あれ、将軍は?」


「あの人なら居ないわ。軍師さん、あなたが夫の評価していた通りの知謀の持ち主ならどういうことかわかったでしょう?」


もちろん龐統はさっきから抱いていた違和感の正体にすぐ気がついた。


「そ……そうか。光武帝がここへ来たと見せかけ、実は曹操の重要な都市を光武帝が攻撃する!」


「ふふ、その通りよ。私はおとり。大切なのは別の戦線で戦っている文叔(ぶんしゅく)よ。

軍師さん、作戦が理解できたらもちろん文叔(ぶんしゅく)がいないのがバレないように頑張ってくれるわよね?」


「も、もちろんです……」 

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