孔明、裏切る
龐統が牢へ入れられてから五日。その後も曹操からの書簡は次々と届いてきた。
「降伏せよ。皇帝陛下の詔勅も出ている。そなたらには討伐令が出ているのだ。
今降伏すればそれなりの待遇で迎えるが、降伏せねば朝敵として徹底的に潰す」
主にそう言った書状で、それが拒否されると徐々に反応が変わって来る。
「武力で劉備に屈服させられた劉璋配下だった者は罪に問わぬ。
しかし、荊州から益州まで劉備についてきた者は許さぬ」
巧妙な言い訳はしてあるが、劉備陣営を引き裂こうという魂胆は見え見えである。
劉備、孔明らはこれにあえて乗ってやることにした。
8月26日朝一番に、劉備は重臣達を集めて茶番を交えた協議を行う。
一堂に会した関羽、張飛、趙雲らはまず、劉備の弱気な宣言を聞く。
「お前達……この前龐統を監獄にブチ込んだだろ?
そろそろ出してやるのもいいんじゃないかなぁ~って思うんだが」
「何故です兄上。龐統の問題点はあの時全て軍師・孔明が説明した通り。
裏切りを繰り返した姦物で生かしておく理由など……」
関羽は納得行かないという感じを丸出しにして不満そうに言った。
基本的に関羽はこういう奴である。
「いやでもほら雲長、奴は劉修と通じてたわけだろ?
だったら龐統に力を貸してもらってもいいかなと思ってな」
「何故です主君」
ここで孔明が口を挟んだ。台本の通りである。
やはり劉備も孔明も演技力は相当なものがある。
「いや、だって俺ら朝敵だろ。陛下を拘束して操っている曹操を倒すために、曹操にあらがっているのにな」
「ああそうだ兄貴! 納得行かん!」
「何も悪くないのに、そこまで言われちゃ俺らも泣き寝入りは出来ん。
荊州と揚州を治める劉修と組めば中華の半分が曹操の敵だ。
一時的に軍門に下る事になるのはシャクだが、まあいつものことだろう?」
「ですが主君、漢の皇族たる主君がそれでよろしいので?
討伐令を出され、降伏勧告に従わず、朝敵と呼ばれた以上、如何なる軍事行動も正当性を持ちません!
ここは一旦曹操に降る事が重要かと!」
急におかしなことを言い出した孔明の方に関羽が疑いの目を向けた。
「軍師殿、それは一体どういうことかな?
ここまで来て曹操に降る? 馬鹿を申すな!
龐統が劉修の回し者ならそなたは曹操の手先か?」
「こらこら雲長、今までよくやってくれた孔明にそりゃないだろ?」
「……申し訳ありません、主君」
関羽の頑固さ、傲慢さはまさしく筋金入りでここまで貫かれるといっそ清々しい。
今関羽は素直に謝ったが、劉備に対して謝ったのであって、決して孔明に謝っているわけではない。
捻くれているにも程がある関羽に苦笑させられつつ、孔明は劉備にさらに進言する。
「主君、雲長殿のおっしゃることも一理ございますがまずは話をお聞き下さい。
まず何故曹操があからさまな分断工作をしてくるか主君はお分かりでしょうか?」
「戦力を切り崩し、俺らを倒すためか?」
「近いですが少し違います。主君、曹操が分断工作に出てきたのは我々を味方につけるためです。
劉修と組まれては困るので、なるべくこちらを引き込みたいのです。
しかし一気に味方につけるのは難しいため、まずは我々の味方に完全になり切っていない、元々益州の派閥だった者から取り込もうというわけです」
「ふむ……」
関羽も一理ある言説にはちゃんと耳を傾ける。
今度の関羽は髭を撫でながら納得して頷いていた。作戦成功。
「主君、曹操の眼中にあるのは我々ではなく劉修なのです。
我々をバラけさせ、益州派閥と荊州派閥に分離させた上で曹操は益州派閥に荷担する気でしょう。
そうすれば、劉修は荊州派閥とつながりを持たざるを得なくなります。
放置すれば曹操が我々のすべてを飲み込みかねませんから」
「ん……? 言っている事がわからねえな孔明。
すると、俺らは劉修につくのかい?」
「逆です主君。曹操につかねば。劉修はご存知の通り皇帝陛下にだけは服従します。
そしてその皇帝陛下は曹操の操り人形。奴につく理由はありません。
ですから私は、劉修と密かに通じていた龐統を処刑するよう進言したのです!」
実にわかりやすい説明ぜりふだった。まるで関羽や張飛は戯曲でも見ているような気分だっただろう。
「軍師殿。つまり我々は曹操につくと……仕方がありませんな。
曹操が皇帝陛下に無理矢理に禅譲をさせて漢を滅亡させたならまだしも、現に漢はまだ生きており、それに逆賊と言われては平伏するしかありません」
「さっきから聞いてりゃ孔明も兄貴も馬鹿な事言ってんじゃねえっ!
曹操につく? どうかしてるぞ!」
孔明の計算通り、ここで今までは黙って話を聞いてくれていた張飛の怒りが完全に爆発した。
張飛のおかげで円滑に劉備軍へ亀裂を入れることができる。
その張飛は、まずは孔明に怒りの矛先を向けた。
「おい孔明、そなた前から劉修の事を嫌っておっただろう!
やれ問題児だ、やれ暴れん坊だと言っては疎んじておった!
だから曹操につくなど意味のわからん事を言い出すのだ、私情に走りおって!」
「……それは聞き捨てなりませんな将軍」
孔明は静かに言ったがこれは無視し、更に張飛は関羽をも批難しはじめた。
「兄貴も兄貴だぜ。逆賊呼ばわり? そんなの上等じゃねえか!
最も酷い逆賊曹操から逆賊のお墨付きだ。
要するに俺達は天下一の忠義をもった官軍と認めてもらったも同然だぜ!」
孔明、それから法正などの軍師達は目を剥いて思わず驚いた。
張飛がバカだからではなく、その反対に珍しく冴えた事を言ったからである。
これには劉備も笑いが込み上げた。
「はっはっは、すげえぞ翼徳。お前すげえよ!
曹操に逆賊と言われること即ち忠臣の証か、違いねえ!」
「長兄、劉修とは対等に手を組もう。あっちも無理に上に立とうとはしないだろう」
「お前のおかげで迷いは晴れた。よし、早速荊州と連絡をとり、龐統を釈放してやれ!」
「そうはいきませんな、主君!」
「……何だと、孔明?」
城内に不穏な空気が漂いはじめた。もちろん劉備、孔明、趙雲らは「台本」を知っている。
孔明はその台本通りに続ける。
「そうは行かぬと言っているのです主君、こちらをご覧下さい」
そう言って孔明がパチンと拍手するやいなや、城主の間に武装した数十名の兵士がぞろぞろと乗り込んできた。
クーデターが、この成都城で巻き起こった。
危険を察知した関羽、張飛は武器を取ろうと立ち上がる。
「孔明、貴様謀ったな!」
「いつか、こうなる気がしていた……」
だが関羽らの手元に愛用の武器なく、しかも関羽の横にいた趙雲が腰の剣を鞘から僅かに抜いて刀身を光らせ、威嚇した。
「抵抗は無駄です将軍方。ここは既に我々の領域です」
趙雲は鋭い眼光で、張飛の怯えている目を見据え低い声で警告する。
「し、子龍! お前まで! 一体何がどうなってるんだ!?」
「張将軍、だからこういうことですよ。これよりこの成都以北は……どうなりますか、軍師・孔明殿?」
「フッ、子龍。無論この成都より北は……これより曹操に寝返る」
孔明は羽扇で着物の首元を仰ぎ、その余裕たっぷりな顔は風を受けてそよぐ川岸の柳葉のように涼しげだった。
孔明が計画の成功を喜ぶ時、いつもよくやる満足げで全能感に満ちた表情だった。
「おっとっと、こりゃ参ったな。孔明、要求はなんだ?」
どこからどう見ても劉備に観念した様子は微塵もない。
今この状況は俺にとって昼下がりに気に入った女と戯れる事と同じくらいに普通で他愛ないことだ。
そう言わんばかりの余裕だった。
「要求はありませんよ主君。ただ「実行」があるのみです」
孔明は言うと法正、それから元は劉璋の下で働いていた文官の李厳に命じた。
「法正、この成都は我々が占拠した。ここより他の連中が気づく前に守りを固め、曹操にも作戦成功を伝えよ。
李厳、文官への根回しは済んであるな。
そなたの人脈は貴重だ。派閥の者に作戦成功を伝えよ。
劉璋配下の者は余さずこちらへ引き入れる」
「はっ」
「はっ」
法正と李厳、どちらも孔明より年上だったはずだが、さすが孔明の指導力。
何故か一番若い孔明が二人を束ねる立場のように指示が下り、二人もそれに従った。
「クソォ……兄貴、これからどうしたらいいんだよ!」
「まあ、なるようになるだろう。兄上を見てみよ翼徳。
あの余裕。泰然自若としておられる。あのようにしておればよい」
「しかし!」
「我らはいつだってそうしてきた。劉玄徳のおられるところが我らの天下だ。
そして、我らは兄上に従うのみ。わかるな翼徳」
「くう……ああ、わかった……」




