光武帝、子孫に会う
「そなたが司馬懿か。用とは何かな?」
「大将軍の功績を陛下は大きく讃えられ、こちらの勅書を賜りました」
司馬懿は従者を呼び、従者は一抱えある大きめの重箱のような立方体を用意した。
「音読致します」
司馬懿は立ち上がり、劉秀の目の前で詔勅を読み上げる。
「劉将軍の孫呉討伐に際した働きは天下に轟くいにしえの名将のごとしである。
詳細な褒美の授与のほか式典ともてなしの宴を催す必要がある。
よって同将軍は朕の待つ長安まで足を運ばれよ」
「光栄の至りです」
劉秀とその横の麗華は形式上の礼をし、詔勅の巻物は司馬懿から受け取り、司馬懿は元の席へ戻った。
劉秀はこれを持て余した。自分が詔勅を出す側で、これを受けとるのはあまり慣れていなかった。
そのため、無理矢理隣の麗華に押し付け、司馬懿には落ち着き払ってこい言った。
「陛下の詔はしかと承った。明日にでもここを出発しよう。
さて司馬懿。そなたを選んだ丞相はきっと何か深いお考えがあるのだろう。
この詔勅を渡す以外に何か用があったのでは?」
「いえ、そんな。滅相もございません」
「大方こちらの内情を探ってこいと言われたのだろう。
こういうことは頭の切れる奴じゃないと務まらないからな」
「ええ……それも恐らく益州の方とどれくらい緊密な連携があるか見たいってところね」
「奥方様まで何をおっしゃいます!」
司馬懿は図星だったが、笑みを崩さず言った。
「司馬さん、一つ聞いても?」
「え、ええ」
「何故私たちが夫婦だと? 式も挙げていませんが」
「そ、それは……いや、どう見たってお似合いの夫婦ですから、ね!」
保身に長けた司馬懿にしては珍しくさっきは口が滑った。
そこで、いままでよりも更に満面の笑みで二人を持ち上げてみた。
すると意外な反応が帰ってきたので司馬懿は内心驚く。
「お似合い? あっはっは。そうだろうそうだろう!」
「もうお上手なんですから、司馬さんったら!」
馬鹿夫婦は急に照れ出したのである。反応が読みづらいと司馬懿は思い、意図せず額に冷や汗が出た。
二人ともどのくらい真剣なのかいまいち掴みづらいというものだ。
そんなことを司馬懿が思っていると、急に笑うのをやめて麗華が恐ろしい氷のような声で言った。
「……というのは冗談として、聞きたいのは別の質問なんです」
「は、はい何でもおっしゃってください」
「まあ親切。じゃあお聞きしますけど……私も夫についていって、陛下に謁見させていただいても?」
「それはもちろん、誰も嫌とは言わないでしょう。
奥方様のような若く美しい方であればなおのこと……」
「ありがとう司馬さん。皇帝陛下と謁見する時の作法は嫌というほど頭に叩き込んでありますから、ご心配に及びませんわ」
「おいおいおい……どうした麗華。ずいぶんグイグイ行くな?」
と聞かれると麗華はいつものようにクールに答えた。
「早く会いたいの、私達の、子供の子供の……まあとにかく子孫に」
「会わせるって約束はまだ先だと思ってたんだがな。
まあいい、麗華がそう言うなら一緒に行くか」
「あの、お二人とも……?」
二人が急にヒソヒソ声を低くして話し出したため、司馬懿が遠慮がちに制した。
「ああそうそう。司馬仲達といったかな。
ともかく明日にはこの麗華と一緒に長安へ向かう。それでよいな」
「は……感謝致します」
「思えば、そろそろ漢の臣下として陛下の前にぬかづくべき頃合いだった。
丞相にどんな報償を頂けるか今から楽しみだな」
劉秀はそれから司馬懿に酒を飲ませ、自分は飲まずに食事だけきっちりして自分と陰麗華、あとは数人の供だけ連れて長安へ行くため諸々の準備をするため、司馬懿も帰らせたのだった。
それから数日後。二つの大戦が同時に起こり、そして時を置かず終結した騒乱の夏もひとまず平和になり、天下に珍しくのどかな空気が流れていたその頃。
まさしく天下を揺るがす大事件が起きる。荊州と揚州を治める劉修が、曹操に呼ばれて長安へ入ったのだ。
正直、この時点でもう劉修とは事を構えざるをえないか、と劉備はこの知らせを聞いて思った。
戦には強くても、ついうっかり敵を作っちゃう事はままある劉秀なので、今回の事も甘く見ていた。
しかし、戦場では曹操の上を行く劉秀も謀略となると曹操には敵わないかもしれない。
それに元々二人の力関係は全く均衡というわけではない。
曹操には天子がおり、皇帝の命令といえば何でも劉秀にやらせられる。
陰麗華も言っていた通り、最悪、劉備を攻撃せよとの命令を出されたらそうせざるを得ない。
この苦境は、ひとえに劉備が小物か、それとも大物か、運命は劉備に味方しているか、いないかという所に大きく左右される。
劉備が小物で運命も味方してくれていなかったら、幽州の平民から益州の主となれれば十分、劉修とか曹操とか勝てるわけねーよ。
と考えて曹操に降伏し、劉備は益州だけは貰う事になるだろう。
それも一つの道だ。劉備が降伏すれば、残った劉秀も形の上では曹操の手下なので、田舎の公孫一族など小さい勢力を除き、曹操が天下を統一したことになる。
劉備が大物だったら、むしろ逆だ。劉秀と何とか手を組んで曹操には反逆し、運命が味方してくれていれば、曹操をも倒せる。
今この状況は、曹操次第でも劉修次第でもなく、特に何もしていなければ、二人に比べて勝る部分がそうあるわけではない劉備にかかっていた。
であるなら、劉備の自己申告の通り背中に大きくうねる運命の風が吹いている劉備は、必ず正しい選択をすることが出来るだろう。
「頼むぜ劉備の旦那。妙な事は考えるなよ……?」
劉秀は、今にも長安へ着こうかという馬車の中でつぶやいた。
「ほんとにね。私もいつか会ってみたいわ劉備に。
あなたが首にしたあとの劉備じゃなくて、ちゃんと生きてるやつ」
「まったく麗華、お前昔から口が悪いな……」
「だから首飛ばさないでって言ってるの。あの人も皇室の末裔なんでしょ?」
「劉備の旦那は多分俺とは血が繋がってないか、遠すぎてほとんど他人だ」
「あら、そうなの?」
「漢の中山靖王の末裔がうんたらと言って、皇叔を名乗ってるらしい」
「怪しい……」
「そりゃお互い様だな」
「まあね」
「よし行くか麗華。下りるとき気をつけてな」
劉秀は先に下りて英国紳士でもあるかのように妻を下から迎えてそっと馬車から下ろし、長安の街中で周辺住民を脅かさないよう目立たず歩いた。
長安は栄えていた。この辺は中原と言うだけあって中華のまさしく中心地。
荊州に比べると、街にある建物の外観も高級感があり、人口も多い事が察せられる。
のだが、劉秀はちょっと不満顔だった。
「なんか俺の時代に比べると長安……微妙だな?」
と聞くと麗華ははっきりとこう答えた。
「うん。どう見ても百五十年前の方があらゆる点で上だった。
人口も百から二百万近くいたと思うけど、今は多分数十万ってところかしら」
「まだ復興の途中だもんなぁ。俺がもっとちゃんとしてれば……」
「悪いのは全部宦官なんだから。あの害虫達にもしかるべき報いを……」
陰麗華といえば、皇后になってからも子供に自分で作った料理を食べさせる事があったという。
宦官に身の回りの世話をしてもらわねば、何もできない無能な皇族とは違う。
そのため、宦官に頼り切りで彼ら無しで何も出来なかったバカ皇帝達も含めて怒りを覚えた。
「そこなんだ。俺はずっと考えつづけて来たことがある。
宦官、外戚、豪族、有力家臣、皇族、そして異民族や農民反乱。
国を乱す原因があまりにも多い。俺は宦官の力を抑える仕組みを作り切れず、この乱世を招いたと言っていい。
高祖劉邦の漢は、あの王莽によって滅んだ。
王莽は外戚で勢力を伸ばして行った。
秦の始皇帝は宦官をのさばらせてしまい、初の中華統一から十数年で秦は滅亡した。
きっと曹操も同じ事を考えているだろう」
麗華は劉秀の考えている事は戦の事以外なら結構当てられる事が多い。
今回も内心を見事に言い当てて見せた。
「今回は失敗しない、するわけにはいかない……」
「全くもってその通りだ麗華。今回は失敗できない。
過去の失敗を次に活かさなければと、俺も曹操も考えている。
宦官をのさばらせず、外戚や有力家臣が簒奪もせず、平和な世の中を作るには……」
「そんなことは昔から偉い人が話し合ってきたし、他より優れたあなたでも解決できない問題だった。
強いていえば寿命が長くて優秀で温厚篤実な皇帝がたくさん働く事かしら?」
「それは理想だが正直、俺の子孫、寿命すら短いもんな……なんか泣けてきた……」
自分が始めた会話で劉秀は勝手に憂鬱になり始めた。
まあいつもの事だし、と麗華は放置して黙々と二人で歩き、やがて宮殿前までたどり着いた。
すると、そこで一人の門番に呼び止められた。
「宮殿へ何用だ」
「何っていうか、呼ばれてきたんだけど」
「まあいい。通行料はちゃんと持ってきたか?」
「は? そんなものとるのか?」
劉秀は呆れた。曹操は金の亡者か。それとも長安に汚職が蔓延しているのか。
「やかましい。出せと言ったら出せ」
劉秀は基本的に温厚であり、人と対立することはなるべくなら避ける大人しいタイプだ。
しかし、高圧的に金を出せ、などと言われば意地でも出さない頑固さも持っている。
筋が通らない事には全力で反抗する。それは劉秀にとっての信念の一つだった。
「そいつは丞相の命なのか? 俺は丞相にすぐ確認を取れるぞ。どうなんだ?」
「丞相は……通行料を取ることを禁止なさっていない」
「そうか。開き直ったなこの野郎」
なんか険悪な雰囲気だ。それを感じ取って、町民がなにやらコソコソと噂話をしだした。
たかが門兵ごときに光武帝がムキになって突っ掛かっている様子にとても恥ずかしくなった麗華は、劉秀に耳打ちした。
「ねえもうやめなさいって。とりあえずお金渡して、あとで曹操に報告して返してもらえば……」
「……こんな筋の通らない事に屈するのは、格好だけでも俺は嫌だな。
今までここで多くの人が通行料を取られただろう。金持ちなら、適当にそでの下を渡して通る余裕がある。
でもそうじゃない人間が、この通行料で苦しめられて来たとしたら見過ごす訳にはいかない」
「面倒臭い性格してるよね、昔から」
「生まれつきだからな」
「まあ、だから他の男の人と結婚する気がしないんだけど……」
「え、惚れ直したって?」
「そこまでは言ってない」
などと惚気た会話をコソコソとやっている馬鹿夫婦にイラついた門番が怒気もあらわに叫んだ。
「どうするんだ、おい!」
「出直すよ。今日は宿屋に泊まる事にする。面倒かけたな門番」
劉秀は、とりあえず一旦街へ戻って時間を置き、曹操に手紙を書いてから出直す事にした。
翌日には曹操にこの件が伝わり、門兵は残念ながらクビとなり、晴れて二人は宮殿への参内が許される事となった。
二人は儀礼用の服を身につけ、曹操ら名だたる文官武将の見守る中、ついに皇帝の眼前に叩頭した。
「皇帝陛下に拝謁致します」
「面を上げよ。そちも朕と同じ同じ劉の姓を持つ血族だ」
「感謝いたします」
二人は揃って面を上げてかねてより興味のあった劉協の顔立ちを確認した。
なるほど。劉の血を引くだけあってほんのり劉備や劉秀に似ている人の良さそうな顔立ちだ。
しかし置かれてきた環境、生きてきた人生があまりに惨め過ぎて、卑屈さが顔に表れてもいる。
「かわいそうにな……」
劉秀は聞こえないよう、小さく呟いた。
そろそろ終わるぞ(蒼天航路の曹操風に)
もっと続けたかったんですが、光武帝が強すぎた




