表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国志の乱世を見てご先祖様が歎いておられるようです  作者: ニャンコ教三毛猫派信者
第2章 変拍子
22/53

曹操、姦計を巡らす

麗華は徐庶から情報を集め、一つの結論に達していた。

自分は、自分の願いは叶えられたと。

何故かわからないが確信していた。


夫の劉秀が死んでから何年経っているのかはわからない。

だが、これはあの時と同じではないか。

漢が死に絶え、(しん)の国が興って国は乱れた。


その戦乱の世にあの時自分たちはいた。

なら、そこへ自分がやってきたということは、劉秀も必ずいるはずだと確信した。


半ば狂気に近いその思いに支えられ、麗華は徐庶に言った。


「劉文円殿と玄徳殿に会いたいです。ここから逃げ出したい。

会うことが出来なければ、私は、私はここで生きている意味なんてないの!」


「それはとても難しい……私が劉軍と連絡を取るのは難しい。

もしそれが露見したら、私の一族は生きたまま皮を剥がれて無惨に死ぬだろう。

そしてあなたは連れ戻される。何かいい方法はないものか……」


麗華は心の底から徐庶が自分を助けようとしてくれているのを、その心で感じ取っていた。

ここまでよくしてくれて、心配してくれる徐庶にこれ以上無理を言うことは、心優しい麗華には無理な相談だった。


「ごめんなさい(じょ)さん。こうして匿ってくれただけで十分感謝しなくては。

お返しをするあてはないけど、このお礼はいつか」


「そのことだが、申し訳ない。すぐ出ていってもらわねばなるまい。

こんなに美人な客人を私が泊めている事はすぐに噂になる。

場合によっては曹操の耳に入り、皇宮へ入れようという使者が来るかも知れない。

ここは危ない。だが幸い私は中郎将で、多少の権限はある」


そう言って徐庶が懐から取り出したのは金銀だった。

徐庶はこれを麗華に差し出した。


「賄賂を門番に渡しておく。あなたは明日の朝、堂々と馬に乗ってここを出るのだ。

そしてこの金を持って旅費とし、劉軍に合流するといい。

礼をしたいと言っていたが、劉軍で私の事を良く言っておいてもらえればそれで十分だ」


「……(じょ)さん、どうして私にここまで?」


「言っただろう、私は曹操のやり方が好きじゃない。

その被害者であるあなたには同情する。

それに男は美人を助けたくなるものだからな」


と冗談を言って徐庶は照れ隠しした。


「しかし……わからない。何故ここまでするのか、自分でも。

だがどうしても、そうしなければならない気がするのだ」


「ふふ、本当にありがとう」


「礼には及ばない。今日はここに泊まられればいい。私は失礼する」


「ええ、おやすみなさい」


麗華も貞淑な人妻なので、独身男性の家にいきなり泊まる事は、出来れば遠慮したかった。

だが彼女に、他にどうしようがあるというのだろうか。

陰麗華は一宿一飯の恩義に与ることにした。


「私は……私は慣れてる。だから……大丈夫。私は大丈夫」


用意してもらった寝床に寝そべり、陰麗華は独りごち、ため息をついた。

彼女は一度、恋人を戦場に送り出したのだ。


「はじめからどこにもいない夫を探す」事くらい訳無かった。

それがこの乱れた世界の中、たった独りの孤独な旅路だとしても。


「ーーそのような者はいません」


「徐庶よ、わかっておるのか。この時期にそのようなことをすれば謀反すら疑われるということが?」


「それはもう……夏侯元譲(かこうげんじょう)様。

しかし断じて皇宮から逃げた女を保護などしていません」


翌朝、寝床の麗華の耳に上のような会話が聞こえてきて彼女は目が覚めた。


元譲(げんじょう)というのは夏侯惇(かこうとん)のあざななので、どうやら夏侯惇が直々に来たようだ。

徐庶というそれなりの重役だけに、夏侯惇が出張(でば)ってきたらしい。


「裏は取れてる。使用人の女が密告してきた。

女の着ていた服が皇宮のものだったと。

あの女には褒美を与えよう。

徐庶よ、今から家宅捜索に……」


夏侯惇が言いかけた時、薄手のひらひらした寝巻姿の陰麗華が夏侯惇の目の前に飛び出してきた。

あれだけ恩を受けた徐庶が自分を庇って罰を受けようというところを、黙って見て居られなかった。


「それならきっと私の事です!」


「……ほう。こんな絶世の美女をこの夏侯惇が見落としていたとは。

丞相の女なら大概顔を覚えているのだが」


徐庶は冷や汗をかき、驚いた顔で麗華の顔を見る事しか出来ない。

下手な事は何も言えない状況だ。


「夏侯様、お見覚えがないはずです。

皇宮の名簿を今一度お確かめ下さい。

私は無実です。私の名はどこにも載っていないはずです!

決して逃げ出してなどおりません!」


「物証は上がっているのだ。名簿を改め、誰も失踪していないことが確認されれば、次はこの女の窃盗の罪が加わる。

皇宮の女でもないのにその服を着ていたのだからな」


「夏侯様!」


皇后であるはずの陰麗華が、夏侯惇の前に土下座をした。


「拷問しても箱に詰めて運んでも文句は言いません、だから劉文円様に一目でも……ああ、一目でいいですから会わせて下さい!」


「……不審だな。劉文円、奴の女だというのか?

一体お前、奴とはどういう関係なのだ?」


「言いたくありません。会わせられないというならせめて手紙を!

あなたを探している女が、ここにいると知らせたいんです!

もし、その人が何も言ってこないのであれば……私はこの命に未練はありません!」


「ふうむ……」


夏侯惇は、情に厚い男なのでちょっと心を動かされ始めた。

見たことがなかった。これほど必死な女の顔を。

子供を殺さないでと懇願する母親を見たことがあった。

あるいは、それよりもーー

「丞相にお知らせしよう。この女を引き立てよ。丞相が裁く!

徐庶はここで軟禁。これも丞相の処置を待つぞ」


「はっ!」


夏侯惇の引き連れてきた警察部隊は麗華を無理矢理な形で連れて行く。

彼女も無駄な抵抗はせず、曹操のいる宮廷を黙って目指した。


「丞相、夏侯惇が参りました」


「おい(とん)、この忙しい時に何の用だ」


曹操の寝所の前。閉ざされた扉の向こうで夏侯惇は続ける。


「丞相、逃げ出した宮女の件です。女を連れてきました」


「たかが女一人より、今は少しでも考える時間が欲しい。

漢中の劉備を攻めるのだ。今はすこしでも……」


「しかしこの夏侯惇が見ますに、多分に戦略的価値のある女かと」


夏侯惇がしつこいので、曹操は折れて面倒臭そうに言った。


「女と入って来い」


「はっ」


寝所へ入ると、曹操は一人でずっと作戦計画を練っていた形跡が見て取れた。

血を吐くような努力でびっしりと紙や木簡に達筆な文字を書き込んでいる。

それがそこらじゅう散乱しているのだ。


明らかに疲れきった様子の曹操。だが度を越した女好きである曹操は陰麗華を一目見るなり言った。


「おい(とん)、そいつは違う。この曹操が一度皇宮に入れた女を忘れるわけがない。

私の記憶力はお前も知っている通りだろう」


「ええ、丞相。この女もそれは否認しております」


「で? そんな女を連れて来て何が言いたい?

ま、確かに相当な美女である事は否定しないが……今は女を抱く気分ではない」


麗華を値踏みするように見た曹操を、彼女は豚小屋の豚を見るような冷たい目で見据えた。


「丞相、この女妙な事を言っておりました。おい、話してみろ」


「妙なこと?」


「丞相……」


そう言って、麗華は夏侯惇に話したのと同様の内容を曹操にも語った。


「私に罰があるというのなら甘んじて受けます。

ですが丞相、私は一目だけで劉文円という人に会いたいのです。

会うのが叶わないならせめて、あなたを探している女がここにいると」


曹操は頭をかき、半信半疑でこう言う。


「すると何か? お前は奴と愛し合っていると?」


「はい。少なくとも私は今でも……」


「なるほど。だがなあ……」


と曹操は言葉に詰まった。


「どうかされました?」


(とん)、つまりお前はこう言いたいわけだ。

この女は劉文円の女である可能性がある。

もしそうであれば幾らでも人質として利用価値があると。

ああ、格好悪い。これでもこの曹操は風評を気にしてはいるのだが」


「ご冗談を。劉文円の三万に十万で挑み、大敗北を喫しておいていまさら風聞も何もないでしょう。

孟徳(もうとく)、今奴を何とかしなければ全てが終わる。

人質でもなんでも使って勝つ。それが曹孟徳(そうもうとく)の戦ではなかったのか?」


夏侯惇に叱咤された曹操は、他の臣下に相談することなく即決した。


「わかった。おい女、名前は?」


「麗華、と申します」


「麗華か。まあ割とよくある名だな。

直筆で手紙を書け。劉文円に届けさせる。

もし何か反応があれば望み通り会うことも許してやろう」


「あ、ありがとうございます、丞相!」


女の一番の化粧は笑顔というが、曹操も陰麗華の明るい笑顔を目にし、一瞬本当に自分のものにしたいと思った。


「だが徐庶はダメだなあいつは。そのような女を匿っていたんだろう?」


「ち、違います。徐さんは何も悪くありません!

確かに、あの人が元劉軍だと知って近づきました。

でもあの人は私がそんな者だとは知らず……」


麗華はしまった、と思った。彼女の失敗だ。

彼女が助かることは何とか出来た。だがそれは助けてくれた徐庶が窮地に陥る事を意味する。


人生は絶え間無い難問の連続だ。

加えて時間制限がある中、ほとんどの人が苦渋の決断と妥協ばかりしている。


あの時陰麗華はどうすればよかったのか。

親身になって助けてくれた徐庶のため、黙って曹操の慰み物にでもなっていればよかったのか。

それとも、劉秀にもう一度会うという、本来限りなく低い可能性を求めて他を犠牲に進む狂気的な彼女の選択は正しかったのか。


葛藤する麗華の顔を見て、曹操は言った。


「まあよかろう。処分は保留にしておいてやる。

このことはあとで軍議にて皆に報告しておこう。

お前はこの部屋に残って書をしたためろ」


「はい……」


「では失礼します、丞相」


夏侯惇は出て行き、陰麗華を守る物は何もなくなった。

とはいえ、この状況、曹操にとって非常に切羽詰まった状況である。

本人の口でも言っていた通り、女に構っているよりは作戦を練る時間が欲しい。

麗華は奇跡的に、曹操の魔手を逃れ、無事に手紙を書き終える事が出来た。


とはいえ、結局彼女が曹操の手の中にあることに変わりはないのだが。


「できました丞相。ご確認を」


陰麗華は床几から立ち上がり、一瞬で書き終わった短い書簡を曹操に見せた。


「検閲するまでもないか。これは暗号ではないな」


「はい」


「なら失せろ。牢に入れる。衛兵、これへ」


曹操が呼ぶと、どこからともなく衛兵が現れて麗華を地下牢に連れていく。

と見せかけて、彼女が連れていかれたのは一軒の誰も住んでいない空き家だった。


曹操は実は夏侯惇から得た情報を総合した結果、この麗華は劉文円という男と繋がっている確率が極めて高い事を承知していた。


最初は徐庶と恋仲なのかとも思ったが、それなら劉文円に恋文を送りたいという要求が不自然だ。

劉軍からの女スパイなら、皇宮の女の服を着ていたというのはおかしい。

そんな目立つ格好をするのはおかしい。

また、実際彼女は皇宮の女として潜り込めておらず、それが皇宮の服を着ていたのも実に不自然。


だから本当に劉秀と関係していると推理していた。

その彼女を手荒に扱う事は出来ない。


曹操は残酷な事をしても、卑怯な手を使っても、小物臭い事はしないのが鉄則だった。

麗華に酷い事をして、今度こそ本当に仲間にしようと意気込んでいる劉秀の心を離れさせるような真似は出来なかった。


「入れ」


麗華が連れて来られたのはそれなりに整えられた空き家。

看守としてやってきた二人の男は、麗華を家の中へ突っ込んだ後、戸口に立って早速愚痴り出した。


「ったく役得だと思ったのに、指一本でも触れたら丞相に殺されるとよ」


「もったいねえなあ、あんなに上玉なのに」


「考えてもしょうがないって、別の事考えよう」


かわいそうな看守達は、性欲を持て余しながら監視の仕事に入るのだった。

食料、水、寝床、薪などが用意された一軒家。

その中の小さな、しかし当時の一般庶民のよりは上等な布と綿の寝床で、陰麗華は呟いていた。


「私のせいで……あの時気づいていれば……」


陰麗華の予想は当たっている。劉文円(りゅうぶんえん)と名乗る男は劉文叔(りゅうぶんしゅく)

陰麗華の最も愛した男であり、彼女にとってこの時代で徐庶を除き、唯一の知り合いでもある。

だが彼女が劉文円を劉秀だと予想したのは絶望と狂気の狭間で考えついた、言わば憶測ですらない願望だ。


その願望が見事叶うはずなどないと半ば諦めている彼女は、助けてくれた徐庶すら失う悲しみに暮れていた。

このあと曹操は、荀イクにめっちゃ怒られます

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ