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三国志の乱世を見てご先祖様が歎いておられるようです  作者: ニャンコ教三毛猫派信者
第2章 変拍子
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徐庶、いい人

去っていく曹操達の背中を眺め、周瑜は苦々しげに吐き捨てた。


「俺は勝っていた……勝っていたのに、何だこの敗北感は!?」


周瑜はしばし自問自答していたが、やがて冷静になった。

気のせいだと思ったのだ。あの謎の敗北感は。

周瑜は伝令を出し、呂蒙らと連絡を取って、およそ八万数千の兵は、合流すると曹操の軍を追わずに河を渡って孫権の領土へと帰還したのだった。


一方曹操軍はといえば、負けて撤退中にも関わらず雰囲気は明るい。

それもそのはず、元々この戦の目標は、下ヒ城を敵に渡さない事にあった。

一万近くの犠牲は出したが、呂蒙ら包囲軍があまりにも慎重過ぎたおかげで、城は守られた。

周瑜の命令を彼らが守っていれば、負けていたのは紛れもなく曹操なのだが。

曹操は試合に負けて勝負にも負けたが、盤上ではなく別のところで、ちゃっかり勝利していたというわけである。


例えるなら、将棋の試合をして、負けはしたが対局中に相手のおやつを盗み食いすることに成功したような。

いや、なんでもない。今のは忘れてもいい。


「ははは、これで奴らもしばらくは手を出してくるまい!」


「あ、丞相。あまり叫ぶと血が……」


と、曹操に助けてもらった程イクが曹操を心配して寄ってきた。


「まったく孟徳(もうとく)、お前は昔から調子に乗るとはしゃぎすぎる性格が直っとらん!」


「あのな、(とん)……お前あんな恥ずかしい失敗しといてよくそんな真面目な顔で人に説教出来るな?」


曹操は、夏侯惇のあの酷い失態さえなければ周瑜に勝つこともあるいは可能だったかもしれないのに、夏侯惇のせいで負けた事をまだ根に持っていた。


「あれはそもそも、駆けつけた時にはもうやられてた方も悪いだろう!」


夏侯惇は照れ隠しにわざと大声で怒鳴った。


「しょうがないだろう。あれは周瑜が強いのだ。

張遼……お前さえいれば周瑜に勝てたものを」


「いまさらいない男の事を頼っても仕方ないだろう?」


「そうだったな……さあ、許に帰って戦勝を報告するぞ」


「……これで勝ったとは、とても言えんな」


「この曹操が生きている。そして曹仁が生きている。

これのどこが敗北なのか、わからんがな」


「ふん、この負けず嫌いが……」


曹操は夏侯惇と軽口を叩きながら行軍し、まっすぐ許の都を目指した。


そんな頃のことだ。


とても大事な、そうとても大事なある人物にお目を転じて頂きたい。

いや、そう構えなくても大丈夫だ。さほど長い話にはならない。


『彼女』がこの世に姿を現したのは『彼』より遅れること数年であった。


史実での二人は、それは仲が良く、結婚を誓い合い、両家公認の間柄であった。

しかしある日、世の乱れを重く見た『彼』は、『彼女』を村に置いて牛に乗り、不格好に行ってしまったのである。


「待っててくれ、すぐ帰ってくるよ」


『彼女』はその言葉を信じ、身を固く保って『彼』を待ちつづけた。


彼とは劉秀。あざなを文叔(ぶんしゅく)という男である。

彼女とは陰麗華(いんれいか)。荊州の有力豪族の娘であったらしい。


劉秀は文武両道で目鼻立ちのくっきりした美男子で、その姿まさしく天上の人とすら言われる風采のよさで有名だった。

陰麗華の方も、小さな頃から美少女として有名でありながら、劉秀を待ちつづけて男を寄せつけなかった。


あの日、二人が別れてから三年ほどで劉秀は皇帝の位につき、更に麗華を故郷において(かく)家の女を皇后に、つまり正妻として迎えていた。


自分は、劉秀に捨てられたのだ。

劉秀が妻を取ったと聞いてから、ずっとそう諦めていた麗華を皇帝となった劉秀は呼び寄せた。


当然、陰家の者達は大反対した。


麗華を裏切っておいて、麗華を愛人にしようなど鬼畜の所業だと怒り心頭だった。

彼女も最初は兄達に同調していた。

だが劉秀は真摯な姿勢を見せ、妻は正妻の地位から下ろし、麗華に結婚の許しをもらえるまで数年もの間粘り強く交渉したのだ。


麗華は晴れて結婚してからというもの、あんなにも意地を張らなければ、今頃もっと幸せになれていたのにと思うほどの満ち足りた結婚生活を過ごし、聡明な子供にも恵まれ全てが順風満帆だった。


そんな彼女がある日突然、訳もわからないままどこか知らないところで目を覚ました。


どれほどの混乱と絶望が彼女の心を満たしたか、知る術はない。


「ここは……どこ?」


小声で言ってみると、その次の瞬間、ヒソヒソと低い話し声が聞こえ、麗華は全くの闇の中で息を潜め、周囲の様子を伺う。


肌の感覚と音が告げている。今、自分は皇宮にいるのではない。

肌寒く、腰の下の感覚から、砂地に寝かされているのだと理解するのにそう時間はかからなかった。

何故自分は外で寝ているのか、全く思い出せない。


「……酷いことするもんだ。誰だか知らんが、女一人外に置いとくなんてな」


「いや……この様子は……」


片方の男が持っていた明かりを麗華の顔に近づけた。

その瞬間もう一人の男が言った。


「うほっ。すげえ上玉だ。死んでるか?」


「アホかお前は。顔を見るなら胸も見ろ」


「お、結構揉みごたえありそうだな」


一人の男が麗華の胸を指でついた。


「そうじゃねえよ。服に紋章みたいな刺繍がある。

つまり漢王朝の、まあ……後宮の女……らしいな」


「それじゃあこいつは曹操の女って事か、兄貴?」


「それしかねえだろ。ああ恐ろしい。近づいたら何されるかわからんぜ。

一族皆殺しだって有り得る。ほっとけ。わかったな?」


「勿体ねえなあ。こんな上玉滅多にいないぜ兄貴」


「俺だってそう思う。だがこの女絶対ヤバいぜ」


「そうだなあ兄貴。無視するのがいいなあ」


ということになり、麗華は事なきを得た。

ザッザッとわらじで砂地を歩く音がすこしずつ遠ざかり、麗華のまぶたにかすかに映る明かりも消えうせた。


麗華は絶望的な気分になり、涙さえ目尻から染み出した。

真っ暗な街中にほうり出され、明かりさえもない。

こんな状況をあとどれだけ耐え忍んだらいいのか。

ただ、聡明な麗華には今、自分が置かれているのが尋常ではない状況である事はわかっていた。

漢王朝の紋章はちょっと覚えがない。

だがそれを見た男達が、曹操の女と言ったのは不自然だ。

何故皇帝の皇宮にいる女が、曹操という男のものになるのか。


どれだけ考えても、麗華には不自然だという事しかわからなかった。

そうこうしているうち、もう一度別の人間が麗華の側を通り掛かった。


「……こんなところに人が?」


男の声だった。男は躊躇なく近づき、そして明かりを使ってよく観察する。


「ふむ……何か事情があるのか……」


男は麗華を誤解して同情を覚えたらしく、彼女の肩を揺さぶった。


「あ、あの、起きて。丞相のところから逃げ出して来たのか?」


麗華はゆっくりと目を開け、目の前の男の顔を見た。

一目でわかるいい人の顔だ。信頼できる。

そう思った麗華は男に聞いた。


もちろん、この質問は頭をフル回転させ、苦心して編み出した物である。


「あなたは?」


「……私は中郎将の徐庶。軍師や幕僚の方々と軍議をしてきたところです」


「……?」


何故中郎将が軍議などするのか。麗華は訝しんだ。

だが徐庶は、今やり取りするべき会話はこんなことではないと考え、麗華にこう聞いた。


「もしかして、皇宮から逃げて来たのか?」


「言いたくありません……」


「……まあいい。私の家へ来なさい。見つかるとその、まずいだろう。

私を信用出来るかどうかは、そちら次第だが」


「恩に着ます……」


通り掛かったのが徐庶で本当によかった。

しかも他に誰も連れていない。とても運がいい。

麗華は髪や服についた砂を払ってから、母と二人暮らしをしている徐庶の大きな邸宅に向かった。


「お帰りなさいませ、旦那様」


徐庶は曹操に厚遇されているだけあって、門を開けるなり何人かの使用人が出迎えた。

重ねて言うが徐庶に見つけてもらえて本当に運がいい。


「この方は客人だ、丁重にもてなせ」


「はい旦那様」


使用人も、麗華の明らかにおかしな様子は察したものの、素直にお世話をした。

体と服を洗い、着替えを着せ、予定通り客間に招いた。

それなりのご馳走は既に準備させており、徐庶は彼女の(ぜん)の前であぐらを組み、向かい合わせで食事の準備をしていた。


「聞きたいことはまだあるが……ご結婚は? 既にされているのか?」


「はい……とても愛した人がいます。今もです」


「ああ、全くもう。丞相の悪い癖だ。いや、この際曹操と呼ぼう」


徐庶は、人妻を奪う曹操のやり方に不快感を常々抱いていた。


「丞相?」


「丞相は、あなたのような若く……いや、たとえ若くなくても美しい人妻ならば必ず手に入れようとする。

可哀相に、その年なら新婚だっただろう」


「徐さん……」


麗華は徐庶が親身になって共感してくれるので多少心が休まり、食事に手をつけた。

皇后であった彼女の口にもよく合う都会風の料理で、彼女の顔が綻んだ。


「美味しい……」


「それはよかった。ところで一番大切な事を聞くのを忘れていた」


「……?」


「ここから逃げてどこかへ隠れる気はあるか。そのことは一応聞いておかなくては」


「言うまでもありません。それよりここは?

私、訳もわからずここへ来て……何がなんだか」


「……なるほど。ここは(きょ)と言う。洛陽と長安が戦乱で傷付いたのでここへ遷都した。

だが、今南の荊州からは劉軍が圧力をかけてきていて、もう一度遷都する話が持ち上がっている」


「劉軍……? (きょ)の南からってことは新野(しんや)の人ですか?」


「はい。まるで光武帝、劉文叔様のように。

しかも、今劉玄徳殿は、漢中を攻めており、漢中王をも目指しておられる。

何を隠そう玄徳殿は私の元主君。高祖劉邦(こうそりゅうほう)と光武帝を、劉玄徳殿は相当意識しておられるようだ」


徐庶は、(きょ)に居ながらも劉備軍が漢中王を目指している事を見抜いていた。

この点はさすがとしか言いようがない。

徐庶は続ける。


「私は軍議をしてきたと言ったが、それは荊州の劉軍へ対抗するためのもの。

率いるのは劉文円(りゅうぶんえん)という若い将軍で、劉玄徳殿の息子とも、漢室の末裔とも言われるが詳しいことはわかっていない。

いずれにせよ、玄徳殿と文円殿は新野と漢中という漢王朝にとってとても縁が深い二つの地から、捕われの皇帝を操る曹操を倒さんとしている。

そう、新野はあの陰麗華の生まれ故郷。光武帝と陰麗華が出会った場所。

漢室復興の時も近い。それを倒す軍議に参加することに抵抗を感じぬ私でもない」

深刻なヒロイン不足、女性不足なので7年後、満を持して彼女が登場。

章のサブタイトル通りです。物語には変拍子が加えられ、新たな緊張感を生む……はず。




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