表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国志の乱世を見てご先祖様が歎いておられるようです  作者: ニャンコ教三毛猫派信者
第1章 4匹目の龍 【7年後】
15/53

光武帝、蜀とりへ

「孔明先生帰還の祝いだ! お前らパーッとやれ、乾杯!」


「軍師のご帰還に! 乾杯!」


今は資金も人も物資もこの江陵に唸るほど集まって来ている。

つい先日は魏延という武将が劉備軍に入ってきたし、酒も食料もたんまりある。


今回の戦役の中でも特に殊勲者である劉秀、張飛、孔明は、もういいと言っても次から次へと酒が注がれた。


さて宴もたけなわになって来ると、酔って本音をぶっちゃけてしまう奴が後を絶たなかった。

もちろん全員酔っているので、誰も翌日には覚えていなかった。

例えばあの孔明も酔っ払って劉秀に愚痴を言っていた。


「劉修……お前は本当に……私を殺す気か? 軍師に取って代わろうとしているのだろう!」


「ははは、軍師殿。勝ったんだからよかったじゃないですか」


劉秀が答えたところで、あまり孔明は聞いていない。


「私が向こうでどんな思いをしたか……全く……」


「軍師殿、ひどい目にあったといえば私もですよ……」


新たに絡んで来たのは甘寧であった。


「劉将軍、あんた三倍以上の敵を相手しろとか……正気ですか?

あんな曲芸みたいな戦い方は二度と続きませんぞ?」


「だから悪かったって。謝ってるだろ甘寧?

お前さんなら出来ると信じて任せたんだよ。そしてお前さんはそれに応えた!」


劉秀は笑顔で甘寧の肩を叩いたが、甘寧はガチでヤバい奴である。

ちょっとでもキレたら人を殺すことも躊躇ない。

甘寧の気性を知っている、宴会に参加した荊州兵は戦慄した。


「ははっ、次も任せて下さい」


「え……?」


荊州の将は目を疑った。甘寧が笑顔で応え、劉秀の肩を抱いて親しげに飲み出したのだ。

一気に酔いも覚めた。

まあ、酒が入っている事もあって、甘寧も丸くなっているのかと思い、荊州の将は無視を決め込んだ。


だが、甘寧だけはそうした理由を知っていた。


甘寧ですら、劉秀と本気で戦ったら手も足もでない事を本能で理解していた。

劉秀は身長168cmと、豪傑だらけの軍の中でさほど大きい方ではない。

だが劉秀の武勇を先の戦いで見ていた甘寧は、とても敵う相手ではないと悟っていた。

それに甘寧は田舎の盗賊の親分上がりという経歴の割に、大局を見る目に非常に優れている。


甘寧は、曹操の十万を三万で破った劉秀を間近で見たうえでこう評していた。


【この男と一緒にいれば天下をとれる】


だから甘寧は冷静な判断で劉秀とは仲良くしておこうと思った。

実際には甘寧は別に酔ってはいなかった。


甘寧は劉秀のところで飲み出したのだが、ここで珍しい組み合わせの会話が成立した。

三国時代を舞台とした小説や創作でも、甘寧と孔明が会話する事はほとんどないのではないだろうか。


「甘寧、孫権のところへいた折、何度かそなたの噂を聞いた。

皆一様に恐れ、憎んでおった。憎い黄祖を何度も守りおったとな」


「軍師殿、黄祖は別に守りたくて守ったわけではない。

出来る事なら殺してやりたいくらいだ」


「ふ、それはいいな。甘寧よ。耳を貸せ……」


孔明は耳打ちし、甘寧もにやりと笑った。

だが劉秀はもうすでに酔いが回り、よだれを垂らして気持ち良さそうに眠っていた。


光武帝のかつての部下であり、馬超、馬謖の先祖である馬援は、劉秀はお酒を飲まないと言っていた。

ここでは、飲むが酒に弱いという設定で行く。


そんな頃、同時進行で四人の男が飲み明かしていた。

劉備、関羽、張飛、趙雲である。

関羽は酔って赤い顔で、劉備に頼んでいた。


「兄上、私は今回手柄を上げられませんでした。

どうか次回は先鋒をお任せ下さるか」


史実の劉備とは違い、ここには前線の指揮官として有能な魏延がもうすでにいる。

城を守るのに使える孔明、甘寧は前線でも有能だ。

あと守るだけなら黄祖も結構使える。


手駒は十分にある。彼らに手柄を立てさせてやりたい気持ちも劉備にはあったが、ここは関羽の言うことを聞いてやる事にした。


「おう頼んだ。だが次の戦は一年は先だぞ?」


「兵の訓練でも警備でも何でも行い、兄上のお役に立ちましょう」


関羽は劉秀にはそんなに嫉妬していない。嫉妬してるのは張飛と趙雲だ。

張飛は張遼を討ち取ったばかりか二倍以上の敵を相手に数えきれないほどの敵をその矛で屠った。

まさに一騎当千。兵士の指揮も鋭く、かなり恐いが信頼される将軍となっていた。

一方趙雲も怪我をおして、劉秀とともに戦場を縦横に駆け巡って敵を斬りまくるという激熱で格好いい役回りを与えられた。

これで以前張遼を逃がした失敗も埋まるというもの。


かたや自分は何もしていない、させてもらってない。

年下に負けている。関羽は強烈に嫉妬していた。


「関兄ぃ、おい、髭が浸かってるぞ」


張飛に指摘されて関羽が見てみると、自分の髭が汁ものの椀に浸かっていた。

酔っていたせいで気がつかなかったらしい。

劉備は酒のせいか、これに対して異様なほどばか笑いした。


「ばっはっはっは、笑かすなよ雲長! ぶっはっはっは!」


「劉修の髭もなかなか見事だが、兄貴には敵わなねえぜ!」


張飛は関羽に対して謎のフォローを行った。

気を遣うなら、最初からそっと静かに教えてあげればいいものを。


「雲長殿、翼徳殿が張遼を斬ったのならば、将軍は許チョと曹仁を斬りましょう。

微力ですがお助け致します」


「うむ……」


関羽はまだ爆発的に笑っていて笑い転げている劉備をじろりと睨んでから髭を拭き、また酒を飲んだ。

飲まなきゃやってられない中年の悲哀がここにあった。


数日後、孫権に甘寧からの贈り物があった。

黄祖の首である。同封された手紙には、この甘寧は黄祖が重用してくれないのを恨みに思い、これを殺す機会を得たので殺したと書いてあった。

そして、孫権に下るつもりであるとも言った。

だが計画が露見し、当然甘寧は暫定で得ていた将軍の地位を、怒った孔明に剥奪され、劉秀の副官という地位に降格となった。

孔明は、甘寧を劉秀の腹心としてもいいほど有能と見抜いたからだ。


さて孫権は黄祖の首をもらって喜び、そして一方甘寧が降るつもりなどないことも見抜いていたが、曹操は大慌てであった。


荊州がたった一度の敗戦でほとんどすべて離反した上、この機を逃してはならぬと、史実より早く馬超が涼州の軍を率いて曹操に反乱を起こしたのである。

反曹操への気運はいよいよ高まり、馬超だけでなくその他の勢力にも曹操は煩わされていた。

とてもではないが、天子や豊かな土地を支配しているとはいえ曹操に他の地域へ侵略する余裕はなく、中国の南半分に、平和な時が訪れていた。


だが孔明にとってこの安らかな時間は決していい意味だけではない。

今中原はいろいろあって荒廃しているが、史実の曹操は、劉備と孫権が足の引っ張り合いをしている間、したたかにこの中原を復興させた。

民力休養に力を注ぎ、曹操は他の連中が及ばないほどの国力を積み上げ、勝ちを不動のものにした。


三国志って実は三国志ではなく、曹操一強がずっと続いていただけとよく言われるのはそのためだ。


孔明の天下三分の計は、「曹操が豊かな領地を再建し切る前に孫権の協力を得て、荊州と益州をとればワンチャンあるよ」

ということだと筆者は思っている。これはスピード勝負だ。

史実の曹操は諸葛孔明の想像を超えて有能だったため戦略は破綻したが、ここには劉秀がいる。


そもそものスタートラインが違いすぎる曹操と劉備。

劉備が勝とうと思ったら曹操に準備をさせないうちに速攻で決めるしかないのだ。

それを達成できる男が、劉備軍にはいる。


そして、曹操が十万で大敗し、荊州を捨ててから一年が経過した。


曹操は馬超に負け、いよいよ進退極まったが、かろうじて全ての内乱を平定した。

それでも、劉備軍には荊州全域の制圧を許し、兵力の増強まで許していた。

更に言うと馬氏は涼州で独立してしまい、曹操の領土はかなり減った。


あ、ありのまま今起こった事を話すぜ!

俺は揚州へ攻め込んでいたつもりが、いつのまにか荊州と涼州を失っていた。

何が起こったかわからなかった……。

催眠術だとか超能力だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ!

もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……。


というふうに、曹操は軽くポルナレフ状態である。


曹操軍の力は残り少なく、劉備軍は旭日の勢い。

孫権軍はひそかに曹操と通じ、劉備を攻撃する隙を待つ。


その間劉備軍は孔明と劉秀の主導で内政に従事していた。

もちろんその間、独立勢力となった馬超との交信も忘れていない。

彼らの地、涼州はサイズに対して人口の少ないド田舎。

従って国力が弱く、決して漢中の張魯(ちょうろ)、それから東の曹操に対抗できる戦力はない。

だから馬超の生き残る道は劉備軍が漢中まで攻め込んで来るまで耐えるか、もしくは曹操から逃げて張魯を頼るか。


そんな折もおり、孔明は劉秀を呼び出していた。


「軍師、お呼びで?」


「劉修、今日は主君に進言してみるつもりだ。

兵は集まり兵糧も十分ある。今こそ蜀を攻めると」


孔明の準備はぬかりない。

張松、法正などに連絡はとってあり、既に蜀の主である劉璋(りゅうしょう)に対し劉備を迎え入れるよう説得までさせていた。

史実より六~八年も早い蜀とりである。

蜀とりへって言っても荊州にお留守番なんですけどね。

三国志ファンなら、蜀とりへ向かう劉備軍のお留守番をすることが何を意味するかわかると思います。

史実では関羽がやらかして荊州失いましたが……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ