光武帝、十万に三万で挑む
前回までのあらすじ
劉修文円という偽名で劉備軍に加入した光武帝は、なんやかんやあって曹操が出してきた五万の兵をボコった。
怒った曹操は、曹操軍オールスターが指揮する十万の大軍を向けてきたのだった。
最強無敵の光武帝は劉備軍三万で十万に勝つ気満々だが、孔明はその知らせを聞いて絶望する。
「おお劉修よ、何と言う事をしてくれたのだ!
曹操は間違いなくすぐに大軍を送り込んで来るぞ!
これでは孫権が出してくれた軍もとても間に合わん。戦には、勝ってはならぬ時があるのだ!」
孔明は歎き悲しみ、それから数刻の間、孫権に呼び出されるまでは誰とも会わずに与えられた自室にこもっていた。
で、その劉秀は、先の戦いで失った五千の兵をそっくり投降した兵で補った三万ちょいの兵しかもたない。
これで十万に勝つ気であるのだから正気とは思えないが、結論から言うと彼なりの勝算はあった。
劉秀は、筆者が『彼一人いれば劉備が天下を取れる』と思った男なのだ。
そして劉秀は三万対十万などよりも劣勢な戦で勝っている。
約一万であった劉秀軍は、四十三万の敵軍と正面切って戦い、まあいろいろあって援軍も連れてきて最終的には勝利したのだ。
これを昆陽の戦いと呼び、一説によると、少ない兵で多くの兵に逆転勝利した世界記録だとか。
「孔明殿……主君がお呼びです」
歎く孔明を迎えに来たのは底なしのいい人、魯子敬だった。
孔明は乱れた衣服を正し、魯粛に従って孫権の前へ。
もちろん孫権、周瑜らはひどくご立腹だった。
孫権は孔明の顔を見るやいなや怒鳴った。
「この書状はどういうことだ!? 劉備軍の独断で情勢が一変したではないか!
そなたの申した戦術も破綻。一体どうする気なのだ!」
孔明は落ち着き払って応えた。額には汗ひとつない。
「しかし会稽太守殿。状況は変わっておりません。
江東の軍が曹操に援軍と偽って出撃し、裏切れば確実に勝てます。
何とぞ迅速な派兵をお願いしたい」
孫権は気難しそうな顔をし、とりあえず魯粛に聞いてみる。
「子敬、私は劉備軍の独断専行は目に余ると思っているがそなたは?」
「同感でございます」
「この周瑜も同感です。事によっては孔明の首を曹操に渡さねばならないかもしれません」
周瑜はやる気だ。孔明は、全く予想していない事態だけに、余裕を装ってその場しのぎを言うのが精一杯だった。
「皆様方、これは私が最も信頼する部下のしたこと故、必ず理由があります。
思いますに劉修の戦略は次のようなものでしょう。
あえて劉キ殿の城にいた兵士を引きはがし、自らに引き付けて誘い出し、東南へ後退して背後に隠れた孫軍に突然襲わせて大打撃を与える腹なのです」
孔明は自信がない。劉修が、そんな策で満足する否か。
周瑜はこの言に鼻を鳴らして毒づいた。
「よかろう。我々は劉備軍を挟み撃ちしようと曹操に持ちかける。
油断した曹軍は軍を深入りさせ、肝心の城を忘れて劉備軍を追い、我々の不意打ちを受ける、と」
孔明はこの一瞬で作戦計画を上書きしてみせた周瑜に舌を巻いた。
「提督、実にご英断かと」
孔明に持ち上げられても周瑜は無視した。
「当初の作戦を変更せざるを得ないが、まあいい。
陸軍戦力は五万だ。それ以上出さん。だが水軍は出して劉備を救出するほかあるまい」
周瑜は自分で作戦を出し、それが孔明にも受け入れられた事で満足したが、その後、また怒りに震える事になる。
孔明は一歩間違えば首が飛ぶ危険な状況にいる。
そして、江陵城で劉秀から進軍継続するという知らせを受けた劉備は、度肝を抜かれて驚くしかなかった。
「ま、まさか……張遼に大勝したうえ、進軍継続だと……?」
劉備はそのとき、防御施設や塹壕建設の監督をしていたところだった。
隣の関羽も書簡を眺め、その内容を理解した途端髭を撫でるのをやめた。
「兄上、劉修と張飛は本気でしょうか。誰か止める者はいなかったのか……」
「子龍が一騎討ちで軽傷を負ったとも書いてある。
そのせいだろうな。ま、やっちまったもんはしょうがねえよ。
敵地へもう入り込んでて制止も聞かねえだろ。
あとは天に任せて俺らは水軍対策に注力しようぜ雲長」
「う、うむ……左様ですな」
関羽はあまりの劉備の楽天ぶりに驚いたが、関羽は劉備にだけは絶対服従なので、大人しく監督の仕事に戻った。
弓兵が上る櫓。これで敵船に火を付ける。
また、投石機を船に用い、敵を撃退する策もある。
防衛ラインとして堀を築き、その前には守備陣が拠る塹壕も掘る。
劉備らがそんな準備をしているというのに、決戦の場所である平地にたどり着いた劉秀は呑気そのものだった。
彼が選んだのはこの上ないほど大軍の展開に適した地形。
起伏は少なく、大軍が展開するスペースのたっぷりある平野だ。
あと二十四時間もあれば曹操軍の凄まじい大軍が土煙をあげて襲来するであろうというのに、劉秀は何か自軍に有利な塹壕とかを築こうというのでもなく、兵士を休ませ、一兵卒に囲まれて飯を食っていた。
そんな彼を見かね、もうすっかり自力で歩けるようになった趙雲が兵卒に混じって猥談をしている劉秀のところへ近寄ってきた。
「……もうあいつ本当厳しいんだよな。
昔俺が友人と真面目な話してる最中、ちょっとエロめの屏風を見ながら聞いてたらすげえ怒られたの!」
「将軍、そりゃあ失礼でしょう!」
「ちゃんと話聞いてたんだからいいじゃん! まあ同じ事言ったらあいつもっと怒ったっけなあ……」
「将軍、文円殿!」
「え、あ!?」
振り向いたら仁王像のように怒った顔の趙雲がいたため、劉秀は危うく持っていた小さな杯を落とすところだった。
「百歩譲って、私の後任を勝手に甘寧にしたのはいいとしましょう。
ですが兵士と酒盛りとは。それで本当にいいんですか!?」
「大丈夫、心配はするな。みんなも俺を信じて戦ってほしい」
劉秀は急に真剣な顔つきになり、周囲の兵士達も雰囲気を察して妙に静まり返り、話に耳を傾け出した。
「確かに我が軍は敵の三分の一以下だ。いかにも頼りがない。
敵は曹操。副将に張遼、許チョら名将。十万の大軍だ。
そいつらと正面切って俺は戦うつもりでいる。
だが一人たりとも死なせるつもりはない!」
いつの間にか、兵士達のほとんどが立ち上がり、話に耳を傾けていた。
劉秀は続ける。
「みんな、俺は普段作戦を人に言わないが、今回は全員の踏ん張りが全てを左右する!
どうか俺の話を聞いてくれ!」
「劉将軍、作戦というのは?」
趙雲が半信半疑で聞いた。
「まず曹操軍は、我々を両翼から包囲せんとする。
大軍に軍略いらずだからな! いくら曹操とて心に油断が出てくる!
お前達には、この両翼に来る大軍を何としても受け止めて欲しいのだ!
あとは簡単だぜ。両翼に兵を出して手薄になった中央へ、この劉修が騎兵を率いて突撃し、曹操を討ち取る!」
「ウオオーッ!」
目の前の将軍は、言葉に言い尽くせないほどに、とてつもない大きな事を考えている。
そう理解した兵達は、興奮のあまり鳥肌が立って来るのを感じていた。
そして、気付かぬうちに雄叫びを上げ、武器を振り上げていたのだ。
劉秀は、兵士達の士気が上がっているうちに手早く命令を出した。
「甘寧! 左翼の最前列に布陣し、これ見よがしに旗をもて!
そして、ここに許チョ、曹仁らを引き付けろ!
敵は三倍以上である。犠牲はなるべく出すな。
常に戦う意思なく退き続けろ。
左翼が崩れる前に決着はつける!」
これぞ肉を斬らせて骨を断つ作戦。両翼を囮とし、曹操の本陣と、主力部隊を引きはがす。
その後、中央の劉秀が曹操本陣に強烈な一閃を浴びせるのである。
「承知致しました」
「張将軍は、旗を振りかざし同じく右翼へ。
先の戦いで、張翼徳に敗れた張遼は必ずここへ引き付けられる!
我が中央突破の際、張遼の武勇は邪魔過ぎる。
将軍、頼みました! 張遼とは一騎打ちしこれを破って下さい。
そうすれば敵の士気は大いに乱れ、命令系統は麻痺。
恐らく二倍以上の敵が殺到して来るでしょうが、そうなれば烏合の衆です!」
これである。以前、橋の前で張遼の軍を張飛が破ったことを、作者は伏線と言っていた。
第一として、張遼は張飛への雪辱に燃えており、必ず一騎討ちを挑むこと。
曹操も張遼が負けたらこの戦負けても構わんというつもりで送り出すだろう。
これに張飛が勝てば指揮官を失った敵軍は脆く崩れ、相手し易くなる。
第二に、あの時既に言ってあるが、張遼の戦友である最も精鋭で忠誠心の高い兵士が、あの時の戦いでごっそり死んでいる。
張遼を身を呈して守り、また捕虜になっても死を選ぶ誇り高い男達だったからだ。
今回、張遼が信頼する勇猛な兵士は少なく、曹操がくれたあり合わせの兵で戦う。
あの時の兵がいれば雪辱に燃え、よく戦っただろう。
しかし張遼の指揮する兵は、こちらが三倍以上いることに安心しきり、闘志という意味では将軍の張遼とあまりにも温度差がある頼りない連中だった。
だから、劉秀はこの戦い、張飛さえ踏ん張れば勝てると思ったのだ。
「この張飛に任せておけ!」
張飛は立場上、自分より下である劉秀から命令を受けても嫌な顔一つしなかった。
それどころか、その顔には信頼感と満足感が表れていた。
「将軍、私は?」
言われて、劉秀は趙雲の方をじろりと見た。
趙雲は怪我人。病み上がりであまり頼り切ることは出来ないと思っていた。
でも、趙雲が怪我ごときで出陣を諦める訳がなかった。
たとえ手足がちぎれていても戦おうとする男だ。
フッ、と笑い、劉秀は諦めたように言った。
「子龍将軍は私とともに曹操へ突撃しましょう。
どうです、やれますか?」
「愚問を!」
「よし試すか!」
劉秀はにやりと笑うと、腰の剣を抜いた。
「全くとんでもない将軍だ。戦の前に味方と戦うとは!
いいでしょう、少しじゃれましょう」
劉秀を口では非難しつつも、趙雲は笑いながら剣を抜く。
にっこりと笑う二人の英傑。先に仕掛けたのは趙雲だった。
ギン。硬い金属がぶつかる音が、全く静かな平原に響き、続けざまにまた響いた。
一合、二合と剣をぶつけるごとに剣先は鋭さと速さを増し、側にいた甘寧は、じゃれ合いどころか本気の殺しあいにすら見えた。
そして、幾度目かのつばぜり合い中、交差する剣の間から劉秀は言った。
「失礼した。どうやら心配は無用でした」
「だからそうだと言っている!」
趙雲は剣を納め、劉秀に拱手した。
「これも主君のため。この趙雲が命をかけて曹操を討ちます」
「楽しみです」
劉秀は、少しはにかんだあと、姿勢を正して兵士達にさらに問い掛ける。
さっきまで兵は、二人の剣技に見とれていたので集中するように声をかける必要はなかった。
「諸君、敵は大軍。総大将は曹操。自らここへ来る!
震えあがるな! 曹操は官渡の戦いで十倍の敵を倒したという!
曹操に出来た事が、この劉修に出来ないと思うか!?」
「必勝! 必勝! 必勝!」
兵士は実績と威厳のある劉秀に向かい、吠えた。
「必ず勝てる! 信じる心は力となる!
だから俺を信じろ。危なくなったら必ず駆けつける!」
劉秀は兵士を奮い立たせた。戦場では、不利な戦に兵士を出向かせる事自体が至難である。
その難易度は、三倍の敵に勝つ方法を考えるのと同じか、それ以上かもしれない。
古今東西の英雄ですら、もう戦いたくないと兵士がストライキを起こし、反発されたことがある。
曹操が、圧倒的不利と思われた官渡を戦う際にはその困難を乗り越えてみせた。
劉秀は曹操に出来た難業を、自分も実現できるとまずは示してみせたのだ。
曹操が十万の兵を劉備軍三万の前に布陣させたその日までに、逃亡者は一人もなかった。




