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第9回

第14話・天野 茜(アマノ アカネ)とクラウディア・カルテッリエリ


**** 14-09 ****



 一方で、特別課程の生徒に取っては『情報処理科』であるD組の、クラウディアの様子である。

 『機械工学科』であるA組とB組では、茜が補習の臨時講師さながらの扱いになっていたのだが、此方こちらのD組では、その役目をになっていたのが維月なのだった。そして維月は大概、クラウディアのそばに居るので、自動的に講師的な役回りにクラウディアも巻き込まれるのだ。

 維月の、人当たりの柔らかさと、面倒見めんどうみの良さは、茜のそれに匹敵していた。だから維月は、彼女の現在の同級生達からは、頼りにされ勝ちなのである。勿論、実年齢では維月が一つ年上である事や、現在の二年生トップである樹里とはライバル状態だった昨年前半の実績が、一年生達には頼り甲斐がいを感じさせていたのである。

 他方でクラウディアは、他人の勉強を手伝うと言った、面倒めんどうな事柄には積極的に参加する気は無かったのだが、それでも維月が持ち込まれる問題を、直ぐそばで解いて見せたり、解法の解説をしたりしていると、つい、口を出してしまうのだ。

 そもそもが、クラウディアの性質は、社交的な方ではない。少なくともクラウディア自身は、その様に自己分析をしていたのである。それは、クラウディアが地元に居た頃、ほとんど友達が居なかったからだ。クラウディアに取っての友人らしい友人とは、空軍の攻撃に巻き込まれて命を落とした『安奈アンナ』だけだったのである。


 維月とクラウディア、この二人の生育環境は、似ていたと言えば、言えなくはない。

 維月の両親は、共にソフトウェアの技術者エンジニア、つまりプログラマーである。クラウディアの場合は、彼女の父親がそうだった。だから二人は共通して、幼少の頃から PC に触れ得る環境が有り、親も積極的にその機会を作ったのだ。

 違いが有ったのは、維月には四人の姉が居た事で、クラウディアには弟が一人、居た事である。或いは、クラウディアの母親が技術者エンジニアではなかった、その事を相違点として挙げた方が適当だろうか。

 維月の育った家庭では、四人の姉を含めて家族全員が PC やプログラミングに関わり、その興味を共有していた。一方でクラウディアの家庭では、母親には技術者エンジニア的な方面への理解が全く無く、クラウディアの弟はスポーツマンに育てるのだと、母親は弟と外出する事が多かったのだ。そんな状況に、父親は仕事の都合で家には不在勝ちだった時期が重なり、一人、家に残されたクラウディアは、その興味の向くままに、ネットの世界へと深く入って行ったのだ。それが、クラウディアが七歳の頃の事である。

 そして、クラウディアは九歳の頃に、ネットの中で『ハッカー』達に出会ったのだ。彼等は偶然知り合った『子供』(クラウディア)の才能に気付き、面白半分ではあったが、その『子供』(クラウディア)にハッキングの技術を伝授したのである。それを入り口に、クラウディアは更に自力で、その能力を開発していったのだ。ここで幸いだったのは、クラウディアがドイツ語で『Lehrer』(先生)と呼んでいた彼等が『ホワイト・ハッカー』だった事で、だからクラウディアがハッキングを悪用した犯罪行為に巻き込まれる事は無かったのだ。勿論、『不正アクセス』自体が犯罪ではあるのだが、それは『ハッカー』に対して言った所で無駄である。ちなみに、クラウディアの言動が、親しい人以外に対して少々攻撃的になったのは、この頃からである。


 クラウディアが PC の他に興味を持っていたのが、小説やコミックである。彼女が好きだった作品の多くが、ドイツ語に翻訳された日本の作品だった事から、それらの作品を原語で読む事をクラウディアは希望する様になる。そして彼女が九歳の頃には、ネット上の教材だけを使っての日本語習得をほぼ終えており、マンガや小説を十分じゅうぶんに、読みこなせる程になっていたのである。

 そんな具合に、幼い頃から天才的な学習能力を発揮していたクラウディアだったので、当然の様に周囲に居た同世代の子供達とはレベルが合わなかったのだ。学校での初等教育の内容は、クラウディアには取るに足らないものばかりだったので、自分で勝手に先へ先へと学習を進めていたし、学校の成績は意識して努力しなくても常に一番を維持出来たのだった。

 一方で、クラウディアの身体の方は成長がいちじるしく遅く、その事が彼女には一番の劣等感コンプレックスであり、実際、その事を同級生にからかわれる事も少なくはなかった。だから同年代の子供達と、子供らしい『外遊び』をする事も無いので、クラウディアは運動スポーツに関しては、からっきり駄目だった。

 そうして優越感と劣等感の間を行ったり来たりしながら、クラウディアは周囲の子供達との関係を、月日が経つ中で徐徐じょじょよに断絶していったのである。それでも、唯一、クラウディアに残った友人関係が『安奈アンナ』だったのだ。


 クラウディアと安奈との出会いは、六歳の頃の事である。安奈の父親は、クラウディアの父親とは仕事上の仲間で、安奈の父親の転社に際して、近所に越して来たのが、クラウディアと安奈の出会いの切っ掛けだった。

 それ以前、安奈の父親は日本の企業で働いていたのだが、彼が関わっていたプロジェクトの終了を機に母国へと帰って来たのだ。それが、安奈が三歳の時の事で、その三年後にクラウディアの父親と同じ会社へと移って来たのである。

 偶然にも、クラウディアと安奈は同い年であり、同時期に読んでいた小説やコミック等の趣味も共通していたので、直ぐに仲良くなったのだった。クラウディアが日本の小説やマンガを原語で読みたいと思う様になった事に、安奈の存在が与えた影響が小さくはないのは、言うまでもないだろう。

 クラウディアと安奈が交流の年月を重ねていく内に、クラウディアがネットに深くのめり込んだり、学力や成績に大きな差が付いたりと、外見的には状況の変化は有ったのだが、二人の関係性には大きな変化は無かった。それは安奈が、クラウディアの成績をうらやんだりねたんだり、クラウディアの身体的特徴をからかったりは、絶対にしなかったからだ。

 安奈は安奈で、自身の半分が日本人である母親の遺伝子を受け継いでいる事を、他の同級生とは違う存在として意識していて、成長にするにれアジア系の特徴が瞭然として来る自身の容姿を気にしていたのだった。勿論、人種や民族的な風習による差異について、あからさまな差別は表面的には無かったのだが、周囲の皆との『違い』を抱えた側は、一方的に疎外感や孤立感を抱き勝ちなのだ。だから安奈は、受け入れられようとして常に周囲の同級生達に気を遣い、誰にでも優しかった。そんな安奈の為に、クラウディアは安奈が主張し辛いことを代弁して、挙げ句に周囲から嫌われたり、安奈はクラウディアの為に、断絶へと向かい勝ちなクラウディアと周囲との仲立なかだてを務めたりする様になっていったのである。それは少数派マイノリティ同士の共助関係だったのかも知れないが、二人に取っては間違いなく友情の発露ではあった。とは言え、そんな事は二人の関係に於いて、それ程重要な事柄ではなかったのだ。そんなわずらわしい世間のしがらみとは無関係に、時間を忘れて趣味の小説やマンガの話をしている事の方が、クラウディアと安奈の二人の関係には重要で、それがただ、楽しい時間だったのである。

 そんな時、安奈は「大人になったら何時いつか、クラウディアと二人で、日本へ旅行をしたい。」と希望を語っていた。三歳までは日本で暮らしていたはずの安奈だったが、その頃の明瞭な記憶は既に無く、母親の実家の在る日本へは、家族で年に一度、行けるか行けないかだったのである。

 クラウディアは観光旅行なんかには、全く興味が無かったのだが、安奈と一緒なら日本へ行くのも楽しそうだと思ったので「何時いつか。」と、安奈の希望をかなえる約束を交わしていたのだった。

 だが結局、その約束が果たされる機会は遂におとずれず、安奈は突然、この世を去ってしまったのだ。


 安奈を失ってしまった事は、クラウディアの人生に於いて最大級のショックな出来事だったが、それに追い打ちを掛ける出来事が、安奈の葬儀の場で起きたのである。

 安奈の棺のそばで泣き崩れた母親が、クラウディアの目の前でうめく様に言ったのだ。


「安奈は死んでしまったのに、どうして『あの子』は生きてるの?」


 安奈の母親は、それを日本語で言ったので、周囲にそれを理解するものは居なかったのだ。ただ一人、クラウディアを除いては。或いは、かたわらに居た安奈の父親も聞いて、理解していたかも知れないが、それはクラウディアに取っては、はどうでも良かった。

 勿論、彼女は「代わりに、クラウディアが死ねば良かった。」と言ったわけではなかったのだが、クラウディアに取って、それは同じ事だったのだ。たまれなくなったクラウディアは、その場から立ち去り、そのまま、家へと戻り、そしてそれから、家から出られなくなったのである。翌日から一切の外出はせず、自室に引きもる様になったのだ。その頃のクラウディアは、悲しみといきどおりを、どこへ向ければいいのか解らず、ただ、泣く事しか出来なかった。それ以来、クラウディアは安奈の家族とは、誰とも、一度も顔を合わせた事は無い。

 葬儀の途中で起きたの『その事』は、クラウディアの両親は一切、知らなかったし、クラウディアも両親には何も語らなかった。それでも友人を失って傷付いたであろう、その心情を察して、クラウディアの家族は彼女には優しく接し、見守ったのである。

 クラウディアが自室に引きもる様になり一ヶ月程が経った頃の事である。「気分転換に」と家族そろってクラウディアを家の外へと連れ出したのだが、それが全くの逆効果となったのだ。クラウディアは安奈と一緒に歩いた道に通り掛かっただけで、涙が止まらなくなり、呼吸さえ出来なくなってその場で倒れたのだ。結果、病院へと救急搬送されたクラウディアは、検査も兼ねて一週間程度の入院をする事になったのである。

 病院での検査の結果、身体的には特に疾患は無く、「呼吸困難は心因性のものだろう。」と言う事で、その時の担当医からはカウンセリングを受ける事を勧められ、クラウディアは退院したのだった。それ以降、クラウディアに取って外出する事は、完全に恐怖となった。クラウディアには自宅の周辺や、地元の至る所に、安奈との思い出の場所が存在したからである。そして、勧められたカウンセリングも、それを受けられる気分になるまでに、およそ半年を要したのだった。


 クラウディアが自室に引きもる様になって、その間、ただ、泣き続けていたわけではない。彼女は安奈を死に追いやった責任が誰に有るのか、その事を考え続け、調査をしていたのだ。クラウディアの手元には PC が有り、ネット環境が有り、そしてハッキングと言う武器が有ったのだ。

 最初に『エイリアン・ドローン』や『エイリアン』の正体に就いて、ネットに上がっている情報を追い掛け続けた。

 ちまたには「政府はエイリアン達と密約を交わしている」とか「秘密裏に、停戦に就いて交渉が進んでいる」の様な『陰謀論』が、少なからず有ったのだが、クラウディアが、どう調査をしても、そんな陰謀の証拠は見付からなかったのだ。

 クラウディアはハッキングの技術を駆使し、ドイツ政府やドイツ軍のネットワークに侵入しては情報を探り、果てはアメリカや他の主要国政府機関にも侵入を繰り返して情報を得ようとしたのだった。だが結局、世界中のの機関にも『エイリアン』の正体に関する情報は無く、エイリアン達と人類が接触を果たした証拠になる情報は欠片かけらも見付からなかった。

 それと並行して、安奈が死んでしまった『あの事件』の、空軍の指揮系統や対地ミサイルを発射したパイロットの素性すじょう、そんな事も調べていたのだが、調べれば調べる程に誰に責任が有るのか、クラウディアには解らなくなるのだった。ハッキングに因って、公にはされていない指揮系統での伝達ミスや、当該パイロットの確認ミス、そんな情報までがクラウディアには入手が出来たのだが、それは事件発生までの経緯が解っただけで、結局、関係者の誰一人をも、彼女の心中ですら断罪する事はかなわず、ただ、徒労感や無力感だけが、クラウディアに残ったのである。

 それでも、何も知らずにモヤモヤしているのに比べれば幾らかは増しで、そうしてようやくクラウディアは、自宅でのカウンセリングを受ける気持ちになったのだった。

 カウンセリングを受け入れる事で、クラウディアは少しずつ前向きになってはいったのだが、それでも外出をする事は難しかった。安奈との思い出が有る場所を通り掛かると、どうしても思考がそこで止まってしまい、動けなくなってしまうのだ。以前の様な身体的に危険な状態にまでは至らないにしても、精神的な動揺が抑えられず、快復には長い時間が必要なのは明らかだった。

 そこでカウンセラーが提案したのが、クラウディアの転地療養、若しくは留学だったのである。一年から三年程の期間、地元を離れる事を両親と協議したのだが、主に経済的な理由で、その実現は難しい見通しだった。そんな中で、クラウディアが見付けたのが天神ヶ﨑高校の、しかも特別課程への受験だったのである。

 天神ヶ﨑高校は民間企業が運営する学校なので、学力と契約条件さえ折り合えば生徒の国籍に就いては不問だったし、特別課程での入学は天野重工への就職と同義であり、在学期間中から学費や生活費の心配をしなくて済むのが、クラウディアに取っては好都合だったのだ。クラウディアの両親側が問題視したのが、卒業後、本社採用になって最低五年間は天野重工を退職出来ない契約条件である。在学期間と合わせれば八年間は、日本在住を続けなければならない事に、当初、クラウディアの両親は反対したのだ。

 しかし、当のクラウディア自身は、十年程度は地元を離れる覚悟を決めていたし、何よりも、安奈との約束だった日本へ行く事を果たしたかったのである。クラウディアは両親を説得し、カウンセラーを通じて天神ヶ﨑高校へ事情の説明をして貰った上で、受験に必要な手続き等をみずからで行ったのだ。受験勉強に必要な日本の教材を取り寄せて、受験勉強も自宅で行った。そして入学試験の日程に合わせて、クラウディアは父親と二人で来日し、一般の受験生と同じ様に試験を受けたのである。

 そうやって入試に合格し、現在、クラウディアは天神ヶ﨑高校に居るのだ。


 いささか長い、クラウディアに就いての半生の振り返りになってしまったが、母国でのクラウディアの状況はそんなふうだったので、彼女自身でも現在の周囲の様子には、不思議に思う時が有るのだ。

 第一に、以前の様に嫌われたり、ねたまれたり、されなくなったのである。四月の時点で、言動が少々攻撃的だった頃には同級生達から遠巻きにされていたのは事実だが、そのくせは維月に因って少しずつ矯正がされ、又、かつての安奈の様に、維月が周囲との仲立なかだてをして呉れたからだ。

 第二に、同級生達と『話が通じる』のが、或る種、新鮮な体験だったのだ。それは、言語的な意味ではなく、話題レベルでの事である。以前は知識や学力の差が有り過ぎて、それゆえに同世代の子達とは話が通じていなかったのだが、天神ヶ﨑高校ではレベルの近い生徒が集まっているので『話が噛み合う』のだと、クラウディア自身は四月からしばらくして気付いたのだった。安奈以外の同世代の誰かと、そんなふうに会話が成立したのは、クラウディアに取っては初めての経験だったと言っていいだろう。『ハッキング』の話題は、するわけにいかないので兎も角、PC に関してや、プログラミングの話題であっても、同じレベルで会話が出来るなんて事は、彼女の地元では有り得なかったのである。


 教室や女子寮の自室で、同じクラスの女子達が持って来た問題を、維月と一緒に解いたり、解説したりすると、彼女達は去り際に、必ずと言っていい程、「天野さんに負けないでね。」の様な意味の言葉を残して去って行くのだった。

 D組の生徒達の大多数も、茜に勝つ事はあきらめているのだが、同じクラスの維月やクラウディアには勝って欲しいと思っていたのだ。そこには学科間の対抗意識や、同じ学科である生徒同士の仲間意識が存在しているのである。

 クラウディアも、激励される事で特別に悪い気はしないので、その都度つど、素直に謝辞を述べるのだった。


 期末試験初日の前日は、2072年9月19日で月曜日なのだが『敬老の日』と言う事で、授業は休みだった。特課の生徒には土曜日にも授業が有るのだが、土曜日に授業の無い普通課の生徒には、期末試験開始直前の貴重な三連休である。ちなみに、この年の『秋分の日』は9月22日木曜日で、期末試験は火曜日・水曜日と二日間実施されて木曜日が休みとなり、試験三日目の金曜日の後、土曜日・日曜日で再び休みとなるスケジュールだった。そして週が明けて月・火・水と後半の三日間で試験日程が終了する予定なのである。

 19日の月曜日、女子寮では試験に向けてそれぞれの生徒達が最後の追い込みに精を出していたが、この日も朝から維月とクラウディアの所にやって来る女子生徒が後を絶たなかったのだ。

 そしてその夜、維月とクラウディアの自室をおとずれていた最後の級友が帰ったあとで、維月がクラウディアに言ったのだ。


大分だいぶみんなと仲良くなったじゃない、クラウディア。」


「何よ、急に。」


 れて、クラウディアはわざ慳貪けんどんに言い返すのだった。維月はニヤニヤとしながら、向かい側でテーブルに両の肘を突き、組んだ手の上にあごを乗せて言う。


「四月頃の刺々しい態度が嘘みたいだよね~あの頃はどうなる事かと思ったけど。」


「そんなに違う?」


 勿論、そうなのだろう、との自覚が無くはないが、クラウディア自身が意識して態度を変えているわけでもないので、自分では変わったのかどうか、量りようが無いのである。

 維月は、微笑んで応えた。


「成長してる証拠だから、いい事よ。きっと。」


 クラウディアは急に顔が熱くなった様な気がして、スッと立ち上がり、維月に言ったのだ。


「さあ、明日から試験本番なんだから。今日は、早く休みましょ。」


「はい、はい。」


 ニコニコと笑って応えた維月が、正面に立ったクラウディアを見て、ふと、何かに気付いた。維月は組んだ手の上からあごを上げ、背中を伸ばしてクラウディアに言う。


「クラウディア、ちょっと、そこに立ってて。」


「え?」


 困惑するクラウディアを余所よそに、維月も立ち上がるとテーブルの縁を回ってクラウディアの横へと移動する。クラウディアの両肩に手を掛けた維月が「こっちに向いて。」と言い、クラウディアの身体を自分の方へと九十度回転させるのだった。次に、クラウディアの顔を自分の胸の下辺りに押し付ける様に左手で引き寄せ、右手をクラウディアの頭頂部へと乗せるのだ。


「何やってるのよ?イツキ。」


 静かに抗議するクラウディアに、維月は何か考えながら「う~ん。」とうなって返したのみだった。

 クラウディアの身体を解放した維月は、自分の机の引き出しから、メジャーとビニールテープとマーカーを取り出し、クラウディアに指示する。


「ちょっと、クラウディア。クローゼットの前に、背中を着けて立ってみて。」


「何よ?」


「いいから、いいから。」


 維月は戸惑うクラウディアの手を引き、自分が使っているクローゼットの扉の前にクラウディアを誘導する。


「はい、背中を着けて~足をそろえて~はい、あごを引く!」


 流石に、そこまで来れば、維月が何をしようとしているのか、クラウディアにも見当が付いたのだ。


「何?身長? どうして、急に?」


「いいから、いいから。じっとしてて~。」


 維月は、クラウディアの頭の高さ程に、クローゼットの扉面にビニールテープを貼り付けると、机の上に有った定規を手に取ると、それをクラウディアの頭頂部に当てて、テープ表面にマーカーで印を付けたのだ。


「はい、オーケー。離れていいよ~。」


 クラウディアがクローゼットの前から移動すると、メジャーで床面から先程マーキングした所までの高さを、維月は測定するのだ。


「百…二十…、五、五…うん、125.5センチ、かな。」


「嘘。」


 測定結果を聞いて驚いているクラウディアに、維月がたずねる。


「前に測った時は、何センチだった?クラウディア。」


「こっちに来る前に測った時は、124.3センチ。」


「それじゃ、1センチ程、伸びたのね。」


 まだ測定結果が信じられず、クラウディアが言う。


「嘘よ。だって、前は五年で1センチしか伸びなかったのよ?」


「さあ、わたしは医者じゃないから、理由までは解らないけど。こっちに来て、水とか、食べ物が合ってたんじゃない? あとはストレスだとか、適度な運動だとか、理由は複合的なんでしょうけど。まあ、今度、試験が終わったら? 保健室の身長計で、正確に測ってみましょう。 なんにしても、伸びたんなら、良かったじゃない。」


 維月は、そう言いながら、クローゼットに貼り付けたテープを剥がし、手に持っていたメジャーやマーカーを、元の引き出しの中へと戻した。

 そんな維月に、クラウディアが問い掛ける。


「でも、1センチ程度の違いに、良く気が付いたわね、イツキ。」


「ああ、これでもわたし、身長には敏感なのよ~わたしも悩んでたからね。アナタとは、ベクトルが逆だけど。」


 応えつつ、維月は自分のベッドに腰を下ろした。クラウディアも維月の向かい側で、自分のベッドに腰を下ろす。


「昔から、背が高かったの?」


「別に、この図体ずうたいで産まれて来たわけじゃないけど。 まあ、物心が付いた時には、同年代の男子よりも背は高かったよね。」


「アナタとわたしは、両極端なのよね。」


 そう言ってクラウディアが溜息をくので、敢えて維月は、笑って言うのだ。


「あはは、足して二で割れたら、ちょうどいいのにね。」


 それから維月は少し考え、クラウディアに語る。


「半年…いや、こっちに来て直ぐに伸び始めたとは思えないから、伸びたのは、ここ三ヶ月程度と仮定しましょうか。三ヶ月で1センチ伸びたとすると、同じ成長率が継続したら、卒業する頃までには何センチ伸びる?」


「その仮定だと一年に4センチだから、二年で8センチ。今年の残りが四ヶ月と、二年後の年が明けて卒業まで三ヶ月有るから、その分でプラス2センチ。合計で10センチかあ…大して伸びないわね。」


 物足りない計算結果に、苦笑いするクラウディアである。一方で維月は笑みを浮かべて、明るい声で言うのだ。


「成長が直線的リニアだったら、そうなるけど。案外、伸びる時は、一気に伸びるかもよ。 伸びるとしたら、どの位がいい?クラウディア。」


「仮定の話に期待したって、虚しいだけじゃない。」


 そうクラウディアは、不機嫌そうに応えた。


「まあ、いいじゃん。希望くらい語っても、ばちは当たらないでしょう?」


 何やら楽しに維月がいて来る態度が、クラウディアには釈然としなかった。

 そしてクラウディアは、少し考えてから維月に答える。


「…そうね。最低でもアカネは、抜きたいかな。」


「ブリジットには、追い付かなくてもいいの?」


「あんな、無駄に大きくなる必要なんて無いわ。」


「ええ~傷付くなぁ~。」


 笑顔で、そう言った維月の身長は、ブリジットとほとんど変わらないのである。クラウディアはニヤリと笑って、維月に「ゴメン、ゴメン。」と声を掛けたのだ。

 維月はテーブルの上に広げられていた教科書やノートのたぐいを片付け、言った。


「ま、『寝る子は育つ』ってうから、しっかり食べて、しっかり寝る、それが一番よ。と言うわけで、今日は、もう休みましょうか。」


「もう『休む』のには賛成だけど。取り敢えず、目先の問題は『身長』よりも『期末試験』の方よ。」


「明日は英語と数学か~アナタは英語は得意だからうらやましいわ、クラウディア。」


「英会話なら普通に出来るけど、試験の方は英文法が中心だから、そう安心もしてられないのよ。」


 クラウディアもテーブルの上を手早く片付けると、ベッドへ潜り込むのだった。


「それじゃ、お休み。」


「Gute Nacht.」


 維月に返事をしたクラウディアだったが、彼女は『オヤスミ。』だけは、何時いつも必ずドイツ語で言うのである。

 そして部屋の灯りが消され、二人が寝入ったのは、午後十一時になるよりも少し早かったのだった。




- to be continued …-




※この作品は現時点で未完成で、制作途上の状態で公開しています。

※誤字脱字等の修正の他に、作品の記述や表現を予告無く書き換える事がありますので、予めご了承下さい。


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