この先生きのこるには
ひとまず、現状を整理して考えてみる。
食料は、うまくもまずくもないが、とりあえずはある。
水も循環施設を利用することができれば、当面は問題なさそうだ。
なんだか、備蓄がお粗末な気もする。
研究用のシェルターには、実際の使用を想定した用意はされていなかったかもしれない。
塩だけとか、何だかとても大雑把に用意されている。
もしくは、何かの機器に使用するための塩なのかもしれない。
さて、この先生きのこるには・・
あることを思い出し、思わず噴き出す。
昔『きのこるきのこる』って随分ネットで見たなぁ。
随分つまらない思い出し笑いをしたと、反省してから、考えをまとめる。
まずは二宮さんを捜索しよう。
本当に200年経っていたとしたら、ほかに知り合いもいない。
その為に、もう一度シェルター内をくまなくチェックしよう。
できる範囲で、できるだけの用意を整えたい。
今は本当は何年後なのかを知りたいな。
おおよそ200年近くたったのだろうが、あの時計が信用できるかわからない。
意外と数日くらいかもしれない。
自分があまり老化していないというか、変化があまりにない。
時間の経過が、今一つ実感できないでいる。
シェルター内の8室はどれも病室のような感じで、小さな棚が置かれている。
中には、生活雑貨の類が保管されていた。
服も男女用がいくつか置かれている。
すべて室内着のようだ。
机と椅子もある、シンプルな物で引き出しはない。
保管庫は食料や水のほかに塩がある、床には木片が散らばっていた。
どうも木箱を壊したらしい。
何がおいてあったのだろう。
手斧は、その時使用したものなのだろうか。
食料が有るだけ、有難いことなのだろうが、内容はもうすこし何とかして欲しかったな。
シャワールームもあるが、水が出ない。
どうも動力がつながっていない様子だ。
これは地味に痛いなと思う。
なにせこちらは200年近くも、風呂に入っていない身なのだ。
工具さえあれば、何とかなる気もするが、肝心の工具類がない。
照明はセンサー式で、動作を検知すると自動に点灯する。
こちらは問題なく動くようだ。
ということは、どこかに電力を供給する何かがあるのだろう。
外の様子を思い出す。
古代遺跡みたいになっていたけど、人って周りにいるのだろうか?
「どんなSF映画でも、核戦争後なのに、意外と人って沢山生きてるよな」
そう独り言をいい、自分を勇気づける。
とくに長生き願望もなかったがこうして生き残った。
恩人を探すまでは、頑張って生きてみようと思う。