Ex56.帰還
――朝。
爽やかな、朝。
昨日とはまるで違い、気持ち良く眠れたあとの、すっきりとした目覚め。
……アイナ様と一緒に、魔物を狩りまくったのが効いたかな?
私は戦闘の光景を眺めていただけだけど、それでも2日前に感じた恐怖は確実に薄らいでいた。
さすがに怖い部分は残っているけど、それでもトラウマになるほどでは無さそう……。
……ありがとうございます。
神様、竜王様、アイナ様……っと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おはよー。朝食、もうすぐだからねー」
「おはようございます。
いつもありがとうございます!」
食卓に向かうと、アイナ様が朝食の準備をしてくれていた。
手伝おうとするといちいち固辞されるから、ここは素直に甘えさせて頂こう。
その後、二人で席に着いて、食前の挨拶をして、美味しく頂いて。
食後のコーヒーもばっちりだ。
……ミルクはしっかり、入れるんだけどね。
「昨日は良く眠れたようだね。良かった良かった♪」
「はい、嫌な夢も見ませんでした。
これも、アイナ様のお気遣いのおかげです!」
「どういたしまして。
精神的な怪我は、錬金術じゃ治しにくいから大変なんだよね」
……確かに錬金術で、精神的な部分に効くものは少ない。
普通の怪我はあっさりと治しちゃうんだけどね。
そう言うところ、錬金術って得手不得手がかなり分かれちゃうんだよなぁ。
「アイナ様でも無理なら、他の錬金術師だともっと難しいんでしょうね……」
「あはは。
そうは言っても、今の時代だって高名な錬金術師はたくさんいるでしょ?」
「まぁ、そうなんですけど――」
……でも、世界一はやっぱり貴女ですよ……?
それは声を大にして言いたかったけど、ひとまず止めておくことにしよう。
「――さて。
ミーシャさんの調子も問題無さそうだし、そろそろ帰る?」
一息ついてから、アイナ様からそんな提案があった。
確かに、いつまでもお世話になっているわけにはいかない。
個人的には、もっとここにいたいところだけど……。
……でも、私だってあまりゆっくりしている場合では無いのだ。
私はイーディスの薬を作らなければいけない。
問題となっていた『闇色の草』も、この『魔女の迷宮』で手に入れることが出来ていた。
だから、あとは早く帰って『神竜の雫』を作らなくてはいけない……。
……しかし昨晩、ふと思ったことがある。
私が作るよりも確実で、品質だって良くなる方法があることを――
「……あの。
アイナ様、お願いがあるのですが……」
「ん? 急に改まって、どうしたの?」
「その……。
実は、私の幼馴染が病気になっているんです……。
だからその薬を、作って頂けないでしょうか……!!」
私は頭を深く下げて、アイナ様にお願いをした。
次にすべきこと――
……『神竜の雫』を作ることには、失敗が許されないのだ。
素材がそもそも高級だし、仮に失敗でもしようものなら、次の機会がいつになってしまうかも分からない。
……私は駆け出しの錬金術師だから、他の錬金術師に頭を下げるなんてどうと言うことも無い。
それこそ錬金術師の最高峰、アイナ様が相手なら、いくらでも頭なんて下げることが出来る。
「んー……。
ミーシャさんは、その薬を作ろうとしていたのかな?
……『闇色の草』を採りに来たってことは、『神竜の雫』か……」
う……。
素材だけで察せられる辺り、さすがと言わざるを得ない。
「セミラミス様に相談したら、素材と作り方を教えて頂きまして……。
『闇色の草』も手に入って、素材は全部揃ったので……あとは作るだけなんです!!」
「え? 『竜の血』も、手に入れたの?」
「はい……!
それは、ルーファスから貰ったんですけど……」
「あー……。
この前、ドラゴン退治があったみたいだからね……。
自力で入手したとは言え、そんな高価なものをあげるだなんて……。
……ミーシャさん、良い友達を持ったね。
それに、そこまで思われる幼馴染の子も、幸せ者だね」
「そうなんです。みんな、良い人ばかりで……。
ここまでようやく来ることが出来たんです。失敗、出来ないんです。
……だから、アイナ様にお願いを出来ませんか!?」
アイナ様は優しい人だ。
凄い人なのに話しやすいし、細かいところまで私のことを気遣ってくれる。
錬金術うんぬんを置いておいても、ずっと接点を持ち続けたい人。
それこそ可能であれば、私の姉に欲しかったくらい……。
しかし――
「……ごめんね。
その依頼は、受けられないや」
「え……っ!?
ど、どうして……!?」
思わぬ答えに、私は声を荒げてしまった。
「私の力はね、もう不自然なものなんだ。
だから、誰かの手助けはしないようにしているの」
……何を以って『不自然』と言っているのか。
それは私には分からないけど――
「でも……。
人の命が、懸かっているんですよ……。
アイナ様、私のことは……助けてくれたじゃないですか……」
いくら問い掛けても、反論しても、きっとアイナ様が翻意することは無いだろう。
それは察することが出来る。
だからこの言葉は多分、私が空回りをさせているだけ……。
「そう、ミーシャさんを助けたのは例外。興味本位……に、近いかな。
申し訳ないけど、英知さんがいなかったら手を出さなかったと思う」
……英知さん?
不思議な名前……。誰のことだろう。
でも、ここで諦めるわけにはいかない。
今は何より、イーディスのことを最優先にしなければいけないのだ。
「お願いします……!
一生のお願いです、この通りです……!!」
私は再び、頭を深く下げた。
身体なんてもう90度は曲がっている勢いだ。
……しばらく何かを考えていたのか。
少し間を空けてから、アイナ様はようやく返事をしてくれた。
「一生のお願い……って言うのはさ」
「は、はい……」
「誰もが持っている『権利』、なんてものじゃないからね。
『対価』を払えない人が負う、『負債』のことに他ならないよ」
……痛い言葉。
胸に突き刺さってくる言葉。
確かにアイナ様は、私の『お願い』を聞く義務は無い。
きっと、私がアイナ様に払える『対価』なんてものも無いだろう。
それを考えれば、私はもう頷くしか道は無かった。
「……はい」
「私が今、お願いを聞いてあげるとして……。
ミーシャさんは一生を懸けて、その対価を払っていくつもりなの?
一生のお願い……って、そう言うことなんだよね?」
「は、はい!
私はそれでも――」
そう答えながら顔を上げると、アイナ様は私のことをまっすぐに見つめていた。
私のお願いを非難しているわけでも無い。
私のお願いに悲観しているわけでも無い。
ただ単純に、考えているだけ……?
「ミーシャさんがそうなったら、幼馴染の子は喜ぶのかな……?
……ちょっと失礼」
そう言うと、アイナ様は私の頭に手を優しく当ててきた。
何となく優しい温度が伝わってくる。
……体温では、無いような。
「あ、あの……。えっと……」
「長く生きてるとさ、不思議な力も宿っちゃうんだよね。
……えーっと、病気の幼馴染は……イーディスさんね。
で、症状が季節性の高熱……ふむ」
「……え?」
その辺りの情報は、まだ話していないところだけど……?
え? もしかして、頭の中を読まれた……、とか……?
アイナ様の手が離れたあと、彼女は再びどこからか杖を取り出していた。
神杖フィエルナトスとは、また別の杖。
割とシンプルだけど、なかなか素敵なデザインだ。
アイナ様は少し目を閉じて、瞑想のように息を鎮めた。
しかし3秒ほどもすると、早々に目を開けてしまう。
「……厄介な病気みたいだね。
『神竜の雫』は多分、一時的な効果しか出せないよ。
でも、2、3年は効くはずかな」
「も、もしかして……?
病気のこと、ご存知なんですか……?」
私も色々と調べたものの、病名までは辿り着いていない。
現状は、もしかしたら『神竜の雫』が効くかもしれない……と言う可能性に縋っているだけなのだ。
「珍しすぎて、病名はまだ無いね。
完治させる薬も、エリクサー以外にはまだ無いと思う」
「そ、そんなぁ……。
……でも。
一時的だとしても……、『神竜の雫』は、効く……んですね!?」
「……そうだね。
それだけ分かれば、頑張れそう?」
「頑張ります……。私が頑張らないと……!
そのために、ここまで来たんです!!
……それに何年か猶予が出来るなら、エリクサーだって作れるようなるかもしれない……。
迷わず真面目に、一生懸命やればきっと――」
……最大のネックとなる『賢者の石』は、錬金術師ランクに応じて貸し出しをしてくれるはず。
そして『エリクサー』を作れる錬金術師は、この世界にはそれなりにいる。
だから私だって、頑張ればきっと出来るはずだ。
時間が足りないなら、それを補うために色々と努力をしよう。
たくさん勉強するのも良いだろう。
誰かに手伝ってもらうのも良いだろう。
きっと何かしらの答えが、この世界にはあるはずだ。
「……うん。頑張ってね。
ところでさ、ずっと気になっていたんだけど……」
「はい?」
「ミーシャさんの名前……」
……あれ?
今さら、名前の話……?
「あ……。自己紹介がまだでしたね……。
私の名前、ミーシャ・ナタリア・オールディスです!」
「……うん、それは冒険者カードで知ってるんだけど……。
ミーシャさん、ご先祖様のことは何か知ってる?」
「うちはずっと農家ですけど、本を出した人もいるんですよ。
『聖国の歴史』って言う、資料をまとめたような本なんですが……」
「あー……。
それなら、グレイディの子孫なんだね」
……グレイディ・カード・オールディス。
その人こそが、『聖国の歴史』と言う本を執筆した、私の祖先なのだ。
「……?
もしかして、知っているんですか……?」
「いや、彼はそこまでじゃないかな。
それよりもグレイディは、昔お世話になったテレーゼさんの子孫なの。
……そっか。ミーシャさんは、テレーゼさんの子孫に当たるのか……」
「はぁ……」
……テレーゼ、なんてご先祖様は知らないけど……。
でも、うちの家系が誇りにしていたグレイディよりも、アイナ様にとっては思い出があるみたい……?
アイナ様は少し考えたあと、奥の部屋に行ってから、すぐに戻ってきた。
「……私ね、テレーゼさんにはとてもお世話になったんだ。
それなりには恩を返してきたつもりなんだけど……多分、これが最後。
この本、ミーシャさんにあげるよ」
「本……ですか?
えっと、ありがとうございます……」
分厚い本を受け取って、私はぱらぱらとめくってみた。
……手書きの文字。
綺麗な文字で、とても読みやすい。
「私が趣味で書いた本なんだけどね。
きっと、ミーシャさんが作りたいものの参考になると思う。
……だからいつか、立派な錬金術師になってね」
「は、はい……。
ありがとうございます……!」
――今までで一番、奇跡的な出会いだった。
きっとこんな出会いは、これからも一生無いだろう。
……私はそんな思いを抱きながら。
『魔女の迷宮』から、無事に帰還することが出来たのだった。




