Ex55.トラウマ
――闇の中。
私は深くて暗い森の中に立っていた。
ここには私だけ。
私だけが、独りっきり。
「……あれ?」
今まで、何をしていたっけ……?
……ここは寒い。
肌を突き刺すような冷たさ。
まるで冬。
……最近、ここまで寒かったっけ?
確かに寒くはなってきたけど、秋の気配も何となくは残っていたはず……。
そんなことを考えている間に、周囲の樹々や草々の輪郭がはっきりと見えてきた。
そしてそれと共に――
……カチャ。……カチャ、カチャ……。
どこからか聞こえてくる、そんな音。
乾いたものがぶつかり合う、軽い音。
その音を認識した瞬間、私の背筋には凄まじい悪寒が駆け抜けていった。
少し前に味わった恐怖が、再び私に襲い掛かってくる。
……あれ?
『少し前に』……?
『味わった』……?
……あれ?
それって何のことだっけ……?
動悸が速まり、嫌な汗も出てきて、息遣いも荒くなっていく。
……そうだ。
ここは危険だ!
だから、早く逃げないと!!
しかし、私が逃げようと後ろを振り返った瞬間、そこには――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――きゃっ、ああぁあああぁっ!!!!!」
私は悲鳴と共に、慌てて身体を跳ね起こした。
動悸は速く、嫌な汗も出ていて、息遣いも荒い。
しかしそんな異常を感じている間に、私はすぐに気が付いた。
……そこは、アイナ様の家の一室。
真っ暗な、私が借りている寝室。
「……え、えぇー……。
夢ぇ……?」
……あの森での体験は、確かに恐ろしいものだった。
だから、夢に見てしまうのは当然なのかもしれない。
しかし私はどこか、拭いきれない気持ち悪さを感じていた。
心に汚れがこびりついたような……、そんな気持ち悪さ。
何だか今後、トラウマになってしまいそうな……。
襲われて、殴られて、殺されそうになって――
……なるほど、トラウマになっても仕方の無い記憶ではあるけど……。
「……あれ?」
額の汗を拭おうと右手を動かそうとしたところで、何かに掴まれていることに気が付いた。
……柔らかい。
何度か握ってみると、それは手のようだった。
「……すぅ、すぅ……」
耳を澄ませてみると、そんな寝息が聞こえてくる。
もしかして、アイナ様……なのかな。
私が悪夢を見ることを予想したのか……。
それとも寝ている姿が苦しそうだったのか……。
……ずっと手、握っていてくれたのかな。
とっても嬉しいことだけど、私はさっき、悲鳴を上げちゃったし、そもそも結構動いちゃったよね。
……起きてくれないんかーい。
そんなツッコミを、私は一人でしてしまうのだった……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――あはは、ごめんごめん♪」
朝食の時間、アイナ様は明るく謝ってきた。
もちろん、私の横で何事も無いように眠っていたことに対してだ。
「い、いえ……。
でも、よく寝ていられましたね……」
「いやー、睡眠って凄いよね!」
「は、はぁ……」
いまいち分からないアイナ様の答えに、私は何とか言葉を続けていく。
まぁ……、睡眠は大切だからね。うん、実に大切だ。
「私にも覚えがあるけど……。
殺されそうになったあとって、夢に見ちゃうよね」
「え? アイナ様も、殺されそうになったことがあるんですか?」
「そりゃもう、何回も」
「た、大変だったんですね……。
トラウマにはなりませんでしたか?」
「うーん、大体は時間が解決って感じだったけど……。
……あ、そうだ。今日はこれから、一緒に出掛けない?」
「え? 菜園ですか?」
「んーん。もっと別のところ。
すかーっとしに行こう!」
すかー……、っと?
……うーん? 何か、気晴らしが出来る場所でもあるのかな……?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――ギャァ……。
ギャァ……。
遠くの方から、鳥のような鳴き声が聞こえてくる。
アイナ様が魔法で(?)作り出した光の柱を抜けると、そこは暗い森だった。
……記憶に新しい場所。
私が襲われ、殺されかけ、そしてアイナ様に助けてもらった場所。
「あ、ああああ?
ああアイナ様ままま、なな何でここここここに?」
「あはは。ミーシャさん、すっごくバグってるよ!」
……『バグってる』って、どどど、どう言う意味だっけ?
よよよ、よく分からないけどどどどど……。
「そそそ、それよりりりも、ななな何でこんなところに?
ははは早く戻りましょしょしょしょ?」
心も身体も、早くここから逃げたがっている。
きっとアイナ様は、来る場所を間違えたのだ。そうだ、きっと間違えたのに違いない。
「それじゃ、空の散歩でも始めよっか。
フロート・エクスペル!」
……ふわっ
私とアイナ様の身体は重力から解き放たれ、空中に静かに浮いた。
「わ、わぁっ!? と、飛んでる!?」
「飛ぶのは初めてかな?
それじゃ、一緒に行こうね」
アイナ様は少し上から、右手を私に差し出してくれた。
私はその手を咄嗟に、強く握ってしまう。
「お、お手柔らかに……」
「もし心配なら、しがみついても大丈夫だからね~」
「は、はい……!」
高度はどんどん上がり、遥か彼方を見渡せる高さまで辿り着いた。
……この森って、どこまで続いているんだろう。
迷宮の中……、なんだよね?
「夢に見ちゃうのはさ、やられっ放しだって言うのが良くないと思うの」
「は、はぁ……。
確かにやり返せれば、少しくらいはすかーっとしそうですが……」
すかーっと……。
……何だかさっき、聞いたような言葉だな……。
アイナ様はおもむろに左手をくるくる回すと、どこからか立派な杖を取り出した。
……アイテムボックス、かな?
それにしても、綺麗な杖――
……私はついつい、まじまじと見つめてしまった。
「これ? 神杖フィエルナトス」
「……ふぇ」
……神杖フィエルナトス。
それは『暴食の聖女』エミリアが使っていたとされる神器の杖。
今は持ち主が不在だって聞いたことがあるけど……。
「それじゃ、しっかり目に焼き付けておいてね」
そう言うと、私たちの高度はどんどん下がっていった。
そして下りた先には、例の黒ローブの魔物が……!
「ラルルラ……!
ガルラ、スラアサス!!」
「んー、ごめん。分からないや。
シルバー・ブレッド!!」
「ガルァッ!!!?」
……光魔法。
アイナ様の魔法は、黒ローブの魔物の腹を撃ち抜いて貫通していった。
が、魔物は倒れてくれない。
「……あ、そっか。
この魔法、攻撃の面積が狭いんだった」
「ええぇ、ダメじゃないですか……!!」
お茶目に笑うアイナ様に、ついついツッコミを入れてしまう。
その間に、黒ローブの魔物は何かの魔法を唱え始める。
「それじゃ、やっぱりこっちかな――
……セイクリッド・ルベリウス!!」
魔法の名前と共に、眩い煌めきと共に。
私たちの周りには、白く巨大な炎が燃え上がった。
その炎は一呼吸置いてから、黒ローブの魔物へと一斉に襲い掛かっていく。
「ガアラ……!?
グアギュアアアアア――……」
黒ローブの魔物は意味不明な言葉と共に……。
白い炎に溶けるようにして、一瞬で消えてしまった。
……何ともあっけない。
「――と、このように。
実は大した魔物じゃないから、夢に見るほどじゃないよ!」
「え、えぇー……。
それって、アイナ様が強いだけなのでは……」
「まぁまぁ♪
それじゃ、どんどん狩っていこっか♪」
「は、はぁ……」
アイナ様は私の目の前で、黒ローブの魔物もスケルトンも、めちゃくちゃな量を狩っていった。
ここまで大量に、こてんぱんにしている光景を見てしまうと……。
……何だか、夢に見るほどのトラウマにはならないかなぁ……なんて、思い直してみちゃったり……して……。




