Ex50.魔女の迷宮①
視界が気持ち悪く塗り潰されていくと同時に、私の感覚は奪われていった。
浮遊感……と言うか、まわりの空気が凄いスピードで駆け抜けていく……と言うか。
しかしそんな時間もすぐに終わり、私の視界は急速に開けていった。
――ギャァ……。
ギャァ……。
遠くの方から、鳥のような鳴き声が聞こえてくる。
……暗い。
今までずっと闇の中にいたとは言え、それでも空には月が浮かんでいてくれた。
しかし今、私は黒々した樹に囲まれており、頭上は黒々とした葉々と、漆黒の夜空で覆われている。
そして、何より――
「……寒い」
まるで真冬のような、肌を刺してくる冷たさ。
ここは暗いし寒いし、まるで生気が感じられない……そんな、黒い森だった。
きっとここが、『魔女の迷宮』なのだろう。
……何だかやたらと『層』があるみたいだったけど……。
『階』、とは違うのかな……。
私はそこまで思考を巡らせてから、周囲を窺うことにした。
先ほどまで私に襲い掛かってきていた野犬の姿は見えない。
唯一、それだけが幸いだった。
……しかし、ここは見知らぬ場所。
迷宮の中だと言うのであれば、当然ながら、他の魔物がいるかもしれない。
今はまだ大丈夫だけど、ここだって危険なことには変わりが無い。
いや、さらに危険になった……と言えるかもしれない。
……って言うか。
そもそも、出口はどこなの……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
簡単な固形燃料は持っているので、いざとなれば火を起こすことは簡単だ。
細かい木の枝は落ちているから、きっと焚き火をすることも出来るだろう。
しかし、まずは状況を把握しなければいけない。
朝を待つ……と言うのも手ではあるけど、ここはそもそも迷宮の中。
もしかしたら、ずっと夜なのかもしれないし……。
「……てっきり、洞窟みたいな場所だと思っていたんだけどね……」
気を紛らわせるために、私は誰とも無しに言ってみる。
……ここには、空がある。
普通の洞窟であれば、そんなものはあるはずも無い。
この時点でもう、非現実的な場所と言うか……。
私は最初にいた場所に、木の枝で目印を作っておいた。
恐らくこの森には、きっと『闇色の草』が生えているのだろう。
それを入手したあと、今はまだどうやって帰るのかが分からない。
だからそのために、保険として目印を作っておいたのだ。
……もしかしたら、『闇色の草』を手に入れた瞬間に帰れるのかもしれない。
あるいはこの森のどこかに、来たときと同じような祭壇があるのかもしれない。
もしくは目的を果たした上で、最初の場所に戻らなければいけないのかもしれない。
……何しろ、今は情報が足りなさすぎる。
勢いに任せて街を飛び出した私が、完全に100%悪いんだけど……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
……暗く、黒い森の中を歩いていく。
少しは目が慣れてきたものの、徐々に身体は冷えていく。
そんな中――
……カチャ。……カチャ、カチャ……。
乾いたものがぶつかり合う、軽い音が聞こえてきた。
風で何かが、音を立てているのか。
あるいはこんなところに、誰かがいるのか。
私は木陰に隠れながら、その場所をゆっくりと覗き込んでみた。
「――……っ」
咄嗟に口を押さえて、声が漏れないようにする。
呼吸の音も、今は出してはまずい。
そう思わせた私の視線の先には、白骨化した人間の骸骨が歩いていた。
……スケルトン。
アンデッド系の魔物。
私はゆっくりと後退り、その場所を覚えてから、急いで元の場所に戻ることにした。
「……はぁっ、はぁっ……」
押さえていた手をようやく離し、樹の幹に手を突いて、私は呼吸を整えていく。
呼吸が何とか落ち着いても、心臓の方がやたらと騒ぎ立ててくれている。
怖い。怖い。今までにない、明確な恐怖。
……この森には、あんな魔物がいるのか。
強さは分からないけど、仮に弱い魔物だとしても、私には勝ち目なんてまるで無い。
そもそも錬金術師で、戦闘が出来る人なんて――
……いや、魔法を使えるのであれば、それなりには戦えるのかもしれない。
でも私は魔法なんて習いたてだし、攻撃魔法は使えやしない。
最近は火の魔法を使えるようになったものの、それでも窯の火を点けるのが関の山なのだ。
……だから私は、この森を慎重に進まなくてはいけない。
私の目的は、魔物を倒すことではない。
まずは出口を見つけるか、『闇色の草』を見つけてしまうか。
出来れば先に、出口を見つけてしまいたい。
許されるのであれば、そのまま街に戻って、今回のことを深く深く反省したい。
「……情けない……」
イーディスのことを思ってここまで来たのに、今はとても後悔をしている。
……所詮私の力は、これくらいのもの。
……所詮私の思いは、それくらいのもの。
そんな否定的な感情を、今の私は否定できない。
……情けなくて、悲しくて。
そして、何ともやるせなくて……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
……孤独と恐怖の中では、体感時間なんて狂ってしまう。
ここに来て、どれくらいの時間が経ったのだろう。
1時間にも思えるし、5時間にも思えてしまう。
……時間を調べる魔法も、今度覚えてみることにしようかな。
残念ながら、ずっと歩いている割に『闇色の草』はまだ見つかっていない。
そもそも辺りが真っ暗だから、いくら光を飲み込むように黒い草……と言っても、探すのは困難なのだ。
ちなみに、スケルトンは何度も見掛けている。
感覚が鈍いのか、どうにもこちらには気付いていないようだけど……。
正直、それだけは助かっているかな……。
「――……あれ?」
しばらく歩いていくと、何となく光……のようなものが見えた気がした。
闇に目が慣れたからこそ、些細な光にも反応できた……のだろうか。
私は歩みを速めて、その方向に向かってみることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――……焚き火。
森の中に、ぽっかりと空いた広いスペース。
その中央には、大きな焚き火が煌々と燃えていた。
距離はあるが、それでも伝わってくる……熱。
私の冷えた身体には、何とも心地良い――
……と思ったのも束の間。
焚き火の向こうに、スケルトンが何体も見えてきた。
しかしスケルトンは、周囲を認知する力が弱い……はず。
私が少しまわりこんで様子を窺っても、気付く可能性はきっと低いだろう。
ここに来て、ついに見つけた特徴のある場所。
スケルトンが焚き火で暖を取っている……とは思えない。
だからこそ、ここには何かがあるはず――
……そんな期待をしてしまった私が馬鹿だったのかもしれない。
焚き火の向こうには、黒いローブを纏った魔物がいたのだ。
そして私が魔物を見つけた瞬間、その魔物も私を見つけて――




