Ex49.暴走
――悲痛な訴え。
イーディスのお母さんによれば、イーディスの病状はさらに悪化してしまったらしい。
高熱も酷く、食べるものも受け付けられず……。
この手紙が届くのには、タイムラグがあったはずだから――
……今は一体、どうなっていることだろうか。
しかしそれを確認しようにも、さらに時間が掛かってしまう。
完治させる薬が手元にあったとしても、時間的な問題で、助けられるかどうかは分からない。
そもそも、助けるための薬が無い……。
仮に『闇色の草』が突然庭に生えていたところで、薬を作るための時間が掛かってしまう。
さらに調合に手間取ったり、失敗でもしてしまえば……もっと掛かってしまう。
――徒労感。
私にはもう、どうしようも無い?
今はもう、死なないように祈るしか無い?
それはきっと、正しいのだろう。
しかし仮に、一命でも取り留めてくれれば……次のチャンスが生まれてくれる。
そのときに、薬を用意することが出来ていれば……。
……その猶予は1カ月かもしれないし、1週間かもしれないし、1日かもしれないし、1時間かもしれない。
ならば可能な限り、出来ることであれば、私が薬を用意しなくては――
……今の時間は、もう夕方。
これ以上遅くなってしまえば、街門は閉ざされてしまう。
私は考えがまとまらないまま、遠出をするための鞄を手に取って……、街門へと走って行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
……街は平和そのもの。
しかし今は、その光景がやたらと遠く見える。
街の中を走り、北西の街門を抜ける頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
……戻るなら今だ。今しかない。
それは頭では分かっている……、のだとは、思う。
でも、引き返せない。
……いや、引き返したくない。
仮に何らかの罰が下ることになったとしても、何も行動しなかったのでは後で後悔してしまう。
それなら好きなように動いて、後でしっかり怒られることにしよう。
迷宮からの帰り道なのか、冒険者が向こう側から歩いて来ては、すれ違っていく。
たまに私のことを軽く目で追う人もいるけど、だからと言って声を掛けてくるわけでも無い。
しばらくすると、『水の迷宮』と思しき入口が見えてきた。
……迷宮だなんて、そう言えば初めて見るものだ。
洞窟なら採集で何回も入ったことがあるけど、迷宮と名前の付くものは初めて。
『水の迷宮』は、ダンジョンの中でも優しい部類に入るのだと言う。
何と言っても、駆け出しの冒険者や、親子連れのためのツアーが組まれているほどなのだ。
これから私が行く先の迷宮は……どうなんだろう。
でも、きっとどうにかなるに違いない。
最近は全てが上手く転がってくれているのだから……。
だから、大丈夫。
これは運命。
上手くいく、運命。
だから、大丈夫。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『水の迷宮』の横を抜けてしばらく歩くと、ひっそりとした道が続いていた。
……1時間ほど歩いた頃だろうか。
私の目の前には、大きな森が広がっていた。
月明かりでしか形が捉えられないから、どれくらいの大きさなのかは良く分からないけど……。
「入口……、どこだろう……」
迷宮には、明確な『入口』が1つだけあるのだと言う。
仮にこの森が迷宮だとしても、どこかに必ず『入口』があるはずなのだ。
私はひとまず、その入口を探してみることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
……さらに2時間ほどが経過した。
私は森の中へと進む道を見つけ、そこを進んでいた。
特に『入口』らしきものは、まだ見つかっていない。
もしかしてここは、普通の森……なのかもしれない。
どんどん進んで行くと、突然ちょっとしたスペースに出ることが出来た。
中央には人工物……。簡単な祭壇のようなものが作られていた。
そしてその周囲には、ちょっとしたゴミが捨てられていた。
……人がいた形跡。
「ここ……が、入口……?」
『水の迷宮』のような、分かり易い入口では無い。
そもそもこの祭壇が入口だなんて、決まったわけでも無い。
何せ、どこかに通じているようには見えないのだから。
……本当に、ちょっとした祭壇。
ここが入口なのであれば、転移の魔法……が掛けられている感じなのかな……。
そんなことを考えているうちに、私の頭はようやく思考を取り戻してきた……ような気がする。
今まではがむしゃらに、この『入口』を目指してここまで来たんだけど――
……正直、今はもうかなり遅い時間だ。
いつもならきっと、眠っている頃。
……さすがに疲れてしまった。
今から迷宮に入るだなんて、どう考えても危険極まりない行為だ。
イーディスのことを思って、思わずここまで来てしまったけど……。
焦って行動をするのは、絶対にダメだ。
私が死んでしまったら、イーディスのために動いてくれる錬金術師がいなくなってしまう。
でも、今はそのイーディスが……どんな状態になっているのか、分からない。
死ぬなら死ぬで、いっそ二人で一緒に――
「……って、何を考えてるんだ、私は……」
最悪……、と言うよりも、よく分からない思考。
……一緒に死んで、どうするんだ……。
私は休息を兼ねて、小さな祭壇から少し離れた場所に座りながら、寒空に浮かぶ月を見上げた。
静かで暗い空間の中、大きな森や遠い月に囲まれていると、自分のちっぽけな存在を痛感してしまう。
物事を大局的に見るのであれば、ここはどう考えても退くべき……ところだ。
「……戻ろう……、かな……」
冬の始まり、寒空の下。
ずっとこんな場所にいたのでは、さすがに凍えてしまう。
今から戻れば、街には早朝くらいには着くはずだ。
それならきっと、問題無く街の中には入れるだろう。
「――グルルゥ……」
「……ん?」
ふと聞こえてきた、低い唸り声。
私は咄嗟に立ち上がり、辺りを見まわしてみる。
……夜の暗い森に、赤く輝く光が2つほど。
何かいる――
「ガルウゥウウゥッ!!」
「きゃっ!?」
突然飛び掛かってきた黒い影に、私はそれこそ思い切って横に跳ね飛んで逃げた。
着地は上手くいかず、無様に地面を転がってしまうが、それでも何とか体勢を立て直す。
……狼?
……いや、野犬?
正体は良くは分からないけど、1匹しかいないことは幸いだった。
しかし幸いだと言ったところで、私にとっては戦うことも逃げ切ることも難しい。
……馬鹿だ。
私は馬鹿だ。
街の外には危ない魔物や動物がいるし、迷宮の中にだって危険はたくさんある。
戦う準備なんてしていない。
採集用のナイフが1本あるだけ。
……何も考えていないにも程がある。
私は自分の浅はかさを恨んだ。
恨んだところで、何かが起きるわけでは無いけど――
「ガルァアアァアアッ!!」
「ひぃっ!?」
野犬の身体をまともに受け止め――
……いや、私の身体は軽く跳ね飛ばされてしまった。
襲ってくると言うことは、きっと食べるつもりでいるのだろう。
私はこの野犬を倒せないし、街まで逃げ切るなんて想像も付かない。
誰かが助けに――
……だなんて、こんな場所では期待するにもほどがある。
でも、死ぬわけにはいかない……。
唯一、救いだと言えるものは――
私は野犬の様子を窺いながら、低い姿勢で立ち上がり、一気に祭壇の方に向かって走った。
距離は近かった。
もしもこの祭壇が迷宮の入口ならば、野犬からはひとまず逃げられるかもしれない――
「ガルゥウゥ――……」
私は祭壇に、縋るように祈りながら、飛び込んだ。
すると野犬の唸り声は静かに消えていき、周囲の景色は自身を歪ませながら、凄まじい勢いで黒く染まっていく。
――……黒く?
それはたくさんの色が混ざりあって生まれる、そんな不気味な黒色――
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魔女の迷宮 57723層
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――――ッ!?
な、なに、これ……っ!?
頭の中に見えた……?
頭の中に聞こえた……?
……今の気持ち悪い言葉は、一体――




