Ex41.かつて、それぞれ
……私を助けてくれた男の人は、名前をジェイと言った。
普段は冒険者をやっているが、今は臨時収入を使ってふらふらと遊び歩いているそうだ。
しかし女の子絡みのお節介を焼きたがるらしく、いろいろなことに首を突っ込んでいくのだと言う。
少し好奇心が旺盛過ぎるような気もするけど……。
……でもそのおかげで、私もフランも助かっているんだよなぁ。
「――と言うわけで、君は可愛いんだから!
隙を見せたらいけないよ!!」
「は、はい……」
私は工房に戻るまでの間、ジェイからずっとお叱りの言葉を受けていた。
口調は優しいものの、なかなかに手厳しいことで……。
……しかし今回のことは私も油断をし過ぎていたから、返す言葉も本当に無くて……。
でも、ここまで親身になって注意してくれるって言うのは、本当にありがたいことだよね。
「……さて、到着っと。
それではお姫様、僕はここで帰るからね♪」
そう言うと、ジェイは私の背中を軽く押した。
まるで、悪夢のような出来事から突き放してくれるかのように……。
今日のことは、本当に『悪夢』のような出来事だった。
……仲が良くないとは言え、クラスメートからあんな仕打ちを受けたのだから。
正直、今ひとりになるのは怖い――
……そう思ったときにはもう、私はジェイの服を、とっさに掴んでしまっていた。
「あ、あの……!」
「ん? どうかした?」
「……えっと……。
その……、少しだけ、寄っていきませんか……?」
私の言葉に、ジェイは驚いた顔を見せる。
「……うーん? それは魅力的な話だけど……。
でも僕、こう見えて危ない男だよ? 狼だよ~?」
「あ……、う、はい……。
すいません……、その、誘惑をしている……とかじゃないんです……。
……まだ、一人になるのが、その、怖くて……」
私がどうにか言葉を絞り出すと、ジェイは天を仰いでから、仕方が無さそうに言ってきた。
「……ん、分かったよ。
最後まで助けてあげるのが、男の仕事だからね♪」
「あ、ありがとうございます……っ!」
……そんなわけで、深夜のおかしな時間に、突然の来客を迎えることになった。
こんな時間にまさか男性を呼び込むことになろうとは……。
……傍から見れば軽々しい行為かもしれないけど、それ以上に、私は一人にはなりたくなかったのだ……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――ガチャンッ
「あぅ……」
お茶の準備をしていると、手元が滑ってカップを割ってしまった。
今日は身体も疲れているし、精神的にも参ってしまっている。
正直、自覚はそこまで無かったんだけど――
「……あ、ごめんね。僕がやるよ」
「え? いや、お客様にそんなことは……」
「大丈夫、大丈夫だって。
ささ、君は座って!」
椅子に座らさせられた私の前で、ジェイは宙からポットを取り出した。
それは両手に収まる程度のもので、側面には赤い宝石が取り付けられている。
「わっ、収納スキル……?
それにそのポット、もしかして魔導具ですか……!?」
「うん。湧き水も常備しているから、それを使って美味しいお茶を入れてあげるね♪」
「あ、ありがとうございます。
えっと、お茶の葉は――」
「それもあるから大丈夫♪
……ん~、今日は王室御用達のアレにしようかな……」
「そ、そんな立派なものじゃなくても……!?」
「お菓子もあるよ!」
「な、何でもあるんですね……!?」
ジェイは明るい調子で喋りながら、10分後にはお茶の準備を整えてしまった。
私のホームであるはずなのに、何だかアウェイな感じがしてきてしまう……。
「夜は遅いけど、楽しいお茶会にしようね♪
眠くなったら、僕に構わずに寝ちゃって良いから!」
「で、でもそうしたら、ジェイさんは……?」
「僕は大丈夫!
今は何より、君がよく休んでくれた方が嬉しいな♪」
……ジェイは自分のことより、私のことばかりを考えてくれる。
軽そうなナンパ師――……みたいなイメージだったけど、もしかして凄く男前なのでは……?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――……ふぅん。
酷いクラスメートがいたものだねぇ……」
銀の鎖亭に行った理由を伝えると、ジェイは複雑そうな顔を見せた。
客観的に見ても、酷い話だったから……これは仕方が無いだろう。
「本当に、まさかこんなことになるなんて……。
でも、私も甘いところがありましたし……」
……その辺りのことは、ジェイからも散々諭されたところだ。
話が出るたびに、私はどうにも恥ずかしくなってしまう。
「うーん……。あのお店も、正直好きにはなれなかったんだよね……。
でも今回のことで、やっぱり良くないお店だって思ったよ」
「そ、そうですよね……!
私の立場からしても、ああ言うお店は無い方が良いです……っ!」
「ん、この件については僕が関与しようかな。
だからもう、君は大丈夫。
……難しいかもしれないけど、ゆっくりでも良いから、忘れるようにしてね」
「分かりました……。
頑張ってみます……!」
「うん、それじゃこの話はおしまい!
心配だったら、ここの裏手のお屋敷に相談してみると良いよ。
話を通しておいてあげるから」
「え? 裏手のお屋敷って……学院長先生のお屋敷ですよね?
ジェイさんって、学院長先生と面識があったんですか?」
「んー? いや、無いけど」
「あ、あれ……?
面識が無いのに、話を通しておくんですか?」
「あはは、僕ならそれくらい朝飯前さ。
でも、君に心配を掛けないようにやっておくから♪」
……ジェイって、もしかして偉い人なのかな……。
貴族……とか、王族……とか?
でもその辺りであるなら、ルーファスはジェイのことを知っていたりするのかな……?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
……その後もだらだらと、私はジェイと話を続けていた。
少しでも話を止めてしまえば、ジェイはすぐにでも去ってしまう――
……そんな気がした。
私も疲れているせいで、どんどん眠くはなっているけど……。
それでもまだ、今は誰かと話をしていたかった。
「――そう言えばさ。
この前僕が送ってきた子、大丈夫だった?」
「……それが、ですね……。
実はあの日、好きだった男の子に告白をしたそうなんです。
でも、そこで喧嘩をしてしまって……。
それ以来、ずっと調子を悪くしていて……」
「……そっか、やっぱり恋愛ごとだったんだね。
辛そうな顔、していたからね」
「私も、その男の子と話はしてきたんですけど……。
ちょっともう、どうして良いのか分からなくなってしまって……。
……はぁ、恋愛って何なんだろう……」
「あはは、それは若者がみんな通る道さ。
たくさん悩んで、たくさん考えれば良いと思うよ」
「むぅ……。
……ところで会ったときにも思ったんですけど、ジェイさんって何だか……達観していますよね」
「達観……。うーん、そうかな?
まぁ僕も、恋愛ごとにはたくさん悩んできたからねぇ」
「そうなんですか……?
全然、そうは見えない……」
「それは酷いなぁ。
僕だって、ずっと片思いなんだからさぁ……」
「……え?
好きな人、いるんですか?」
……あれ?
何故か今、私、凄く残念な気がしてしまった……。
……何だろう……?
「ま、僕の恋は実らないかもしれないけど……。
でも、僕の愛は世界一だから。
誰がどうとかは置いておいて、僕はこの気持ちをずっと守っていきたいんだよね」
「恋と……、愛……。
うーん……? 違いがよく分からない……。
……ジェイさんにとって、愛って何ですか……?」
「んん?
んー……っと、そうだねぇ……」
私の質問に、ジェイはしばらく考えてしまった。
しかしお茶を飲んでから、ゆっくりと答え始めてくれる。
「――例えば、神様が何でもお願いを聞いてくれるとしてさ」
「え? あ、はい」
……突然出てきた『神様』。
それだけで、話が一気に壮大になってしまう。
「もし君がその立場になったら、何を願うかな?」
「え……、そうですね……。
……何でも良いんですか?
それならお金……いや、立派な錬金術師になりたい……とか?」
「うん、そうだよね。普通は自分のことをお願いするよね。
でも、僕が考える愛って言うのは――
……その願いを躊躇なく、まるまる誰かのために使える……ってこと、なんだ」
「誰かの、ため……?
つまり、好きな人のため……?」
「ま、あくまでも僕の考え方だけどね。
簡単に言えば、恋は自分のため、愛は相手のため……って感じかな。
……僕が好きな人はね、たくさんの人に好かれていたんだ。
その中でも、強いライバルが二人もいてさ」
「へぇ……。
大変だったんですね……」
「でも、ひとりはね。彼女が望むままに、自分から身を引いたんだ。
もうひとりは彼女のためを思って、価値のある宝物を残して去ったんだ。
……本当に凄いことだと思うよ。好きな人を思って、自分から諦める……って言うのはね」
「何だか難しい話……、ですね……。
でもそうすると、ジェイさんは諦めなかった……?」
「……うん。
僕はね、彼女が追い掛けてくるなって言ったのに、追い掛けて行っちゃったんだ。
口ではどう言っていても、彼女は寂しいはずだ、本当は来て欲しいはずだ……。
僕の恋敵は二人とも諦めてしまったけど――
……それは馬鹿だ。あの子のことを何も分かっていない……。
そう、思っていたんだよね……」
「……違ったんですか?」
私の言葉を受けて、ジェイは手元のカップに目を落とし、それをいじりながら続けた。
「……怒られちゃった。
あの子のあんなに怒った顔……。それと、あんなに辛そうな顔は初めて見たよ……。
最後は泣いちゃって、あの子は自分のことを責め始めちゃった……。
……そのとき、ようやく分かったよ。間違っていたのは、きっと僕の方だったんだ……って」
「ジェイさんが追い掛けてくれたのに、そう言う反応だったんですね……。
何か、事情があったとか……?」
「……そうだね。
彼女は本当に、事情の塊だったから……」
事情の塊とは……。
それって一体、どんな人なんだろう……。
「それで、その人とは……今は?」
「最近はもう、ずっと会っていないかな。
僕としても、合わせる顔が無いって感じなんだけど……。
でも僕は、あの子が振り向いてくれるまで頑張るって決めているんだ」
「一途に想っているんですね……。
……それにしても、どれくらい追い掛けているんですか?
5年とか、6年とか?」
「あはは、それどころじゃないよ。
桁が違うかな♪」
「えぇ、そんなにですか……?」
10年以上、もしくは20年以上だなんて可能性もある。
でもさすがに、20年までは難しいか……。
「――っと、ちょっと話し過ぎたかな。
ここは懐かしくて、つい口が軽くなっちゃったよ」
「え?
ジェイさんって、この工房のことを知っていたんですか?」
「昔の知り合いが、ちょっとね。
……さて、僕はそろそろ帰ろうかな♪」
「え? も、もう……ですか?」
「あはは♪
そうは言っても、もうすぐ夜が明けちゃう時間だよ?」
ジェイの言葉に時計を見てみれば、なるほど確かにそんな時間だ。
時間を意識した途端、私の口からは欠伸が出てきてしまう。
「……ふわぁ」
「うん、そろそろ眠った方が良いよ。
それじゃ、昨晩の話は僕に任せておいてね♪」
ジェイはお茶のセットを片付けると、そのまま外に出てしまった。
……それだけで何故か、私の胸は締め付けられるように苦しくなる。
私は慌てて扉まで追い掛けて、ジェイの背中に向かって大声で叫んだ。
「あ、あの……!!
また……。また、会えますか!!?」
「……そうだね。
そのうちまた、絶対に会えると思うよ♪」
……そう言うと、ジェイは夜の闇に消えてしまった。
それこそ、姿を掻き消すように。
そしてそれと共に、私の中の現実味すら失われていくような気がした。
……何だろう。
あの人って……本当に、いた……?
ジェイの不思議な存在感に、私の頭はぐちゃぐちゃに混乱してきてしまった……。




