786.団円
「――……んっ! ……さんっ!!」
……ぅ……ん?
気が付くと、私は誰かに呼ばれている気がした。
しかしその言葉の断片だけで、それが誰なのかは分かってしまう。
今となっては、彼女との付き合いもずいぶん長くなっているのだ。
「……エミ、リア……さん……」
私が大変なときは、いつも側にいてくれる。
手をずっと取って、いつも待っていてくれる。
……そんな彼女。
私の大切な、エミリアさん。
そこまで頭が働くと、視界が一気にクリアになっていった。
……そして、他の感覚も引きずられる形で覚醒していく。
私のまわりでは――
冷たい風が吹き荒れ、周囲のものをなぎ倒さんばかりに空気が走りまわっていた。
……何て凄い、暴力的な風。……まさに、暴風。
「アイナさんっ!
気が付きましたかっ!? 大丈夫ですかっ!!?」
私の目には、エミリアさんの顔が大きく映ってきた。
心配そうな、悲しそうな、……涙で潤んでいる、そんな顔。
……ああ、また迷惑を掛けてしまったのか……。
私は仰向けに、地面に寝転がっていたようだ。
両手を突いて、何とか上半身を起こし上げる。
そして改めて目に映ったのは、私を中心にして吹き荒れる白い嵐。
エミリアさんは私に寄り添い、ルークとジェラードはほんの僅か先に立っていた。
ゼリルベインに時間ごと止められていた騎士や魔法使いたちも、今は方々に散って、事の成り行きを見守っているようだった。
「ぅ……。
ごめん……なさい……。気を、失っていた……?」
「アイナ様、大丈夫ですか!?」
「アイナちゃん! とにかく起きてくれて良かったよっ!!」
ルークとジェラードの心配そうな声も聞こえてくる。
そうだ、エミリアさんだけじゃない。この二人にも迷惑を掛けてしまった――
……でもまぁ、これからみんな滅ぶのだ。
だから少しくらいの迷惑なんて、きっと問題ないだろう。
「――っ!?」
ちょ、ちょっと待って?
今、私は何を考えていた?
……これがグリゼルダの言っていた、力に呑み込まれる……と言うこと?
間違い無く自分の考えなのに、それは自分の考えでは無い。
きっと力に呑まれたあと、私は私の考えに賛同してしまうのだろう。
しかしその考えは、今の私の考えとは違うもの。つまりそれは、私自身が変わってしまうと言うこと……。
……嫌だ。
私は今の私が好き。
でも、今の私だって、数年前の私とはまるで違う。
しかしそれは、いろいろな経験を重ねて自分で変わっていったものなのだ。
どこかの誰かに、強引に書き換えられたものではない。
だからこそ、私は今の私を守らなくてはいけない――
……私は立ち上がった。
身体は熱いんだか冷たいんだか良く分からない感覚が支配している。
考えもごちゃごちゃと余計なノイズが混ざってしまい、どうにもまとまらない状態だ。
……でも、やることは分かっている。
熟考することは出来ないけど、大切な人が導いてくれた道がある。
それならば、今はその道を進むだけ――
「……大丈夫。
私は、道を踏み外さない……。
だって、この世界を壊したくないから……」
私は神煌クリスティアに意識を移した。
願いを叶える手順なんて誰にも教わっていないけど、それでも使い方は分かってしまう。
だって、熟練を重ねてきたのだから。
神煌クリスティアの使い方に関しては、もう分からないことは無いのだから。
私の指に、手に、白い輝きが宿る。
この光を見たのは今回が2回目。
1回目はガルルン教の聖堂で、ルークが願いを叶えたとき。
今回はそれに続く、2回目の光――
「アイナ様!? まさか、願いを……!?」
ルークの言葉に頷きながら、私はアイテムボックスから『骨』を出した。
水の神様が遺した聖遺物。
『神の骨・肆』とか言う、入手時点では気味悪くすら思った代物。
それにしても自分と言う存在に、こんな『骨』を取り込むだなんて……、やはり多少の躊躇はしてしまう。
……でも、今はそんなことを言っている場合では無い。
「神煌クリスティア……。
私の願い、叶えて――」
私の言葉に応えるように、強く吹き荒んでいた白い嵐は、一際大きな竜巻へと姿を変えた。
もちろん中心にいるのは私。
すぐ近くにいた、エミリアさんとルーク、それにジェラードは竜巻の中から弾き出されてしまった。
私は心配する三人に軽く手を振って、心配ない旨を伝える。
そして10分ほど……だろうか。
形容し難い感覚と衝撃に襲われ続けていると、ようやくその竜巻は消えてくれた。
……どこにと言えば、私の中へ。
おびただしい神力が、私の中へと入っていったのだ。
「――……はぁっ、はぁっ……」
とんでもないしんどさに見舞われながら、私は両膝を付いた。
……膝が痛い。
でも、そんな些細な痛みもしっかりと感じることが出来る。
私はこれで神様とやらになったはずだけど、痛みの感じない存在……とかにはならないで済んだのだ。
「アイナさんっ!!
一体何が――……いえ! それよりも、大丈夫ですかっ!?」
駆け寄ってきたエミリアさんの、大きいけれど優しい声。
……私はもう大丈夫。
だから思いっ切りの笑顔で、私も答えてあげよう。
「……はい、大丈夫です!!」
「わ、わぁっ!?」
「へ?」
私の会心の笑顔にも関わらず、エミリアさんは変な声を出して驚いた。
「あ、アイナさん!?
その目、どうしたんですか!?」
「え? え?
……それ、何だかデジャブですよ!?」
少し遅れて来たルークとジェラードも、私の顔を見て何やら驚いている。
エミリアさんが慌てて出してきた手鏡を覗くと、そこには――
……左目。金色の瞳。
ゼリルベインから押し付けられた虚無の神の……象徴、とでも言うべきか。
……右目。青色の瞳。
我ながら、澄んでいて綺麗な色。多分さっきまで、元の赤色。
「――わぁっ!?
右目まで変わっちゃった!?」
恐らくは水の神の象徴。
今朝までは両目とも綺麗な赤色の瞳だったのに、今では金色と青色のオッドアイ。
……何と言うことでしょう。
「アイナ様……。本当に、大丈夫……なのですか……?」
「ふ、不思議な雰囲気がするね……。
それにしてもアイナちゃん、一体何がどうなったの……?」
「あはは……。
何だか、短い間にいろいろありました……。
お話は……お屋敷に戻ってから……でも良いですか? 何だか、疲れちゃった……」
私はへたり込んで、そして空を見上げた。
雲一つない、青い空。
見ているだけで、何とも気持ち良い空だ。
いろいろなことがあったけど、この世界にゼリルベインはもういない。
そして驚異になっていた虚無の力も、私の中に閉じ込められている。
もちろん私は、これから虚無の力なんて使うつもりは無い。
……となれば、虚無の神に関してはこれで解決済み……と言うことになるわけだ。
――……そう。
私たちにもようやく、平和が訪れることになったのだ。




