749.訃報
物事が上手くまわり始めようとするときこそ、
それを邪魔しようとする何かが、生まれてしまうものなのかもしれない。
私はどうにか、グリゼルダの死に向き合えるようになった。
ヴィオラさんもどうにか、シェリルさんとの別れに向き合えるようになった。
まさに一歩、改めて踏み出そうと言うときに……、私の元に、ひとつの訃報が届いた。
――エマさんの訃報。
彼女はゼリルベインによって、身体をダメにされてしまっていた。
それでも何とか、あの戦いは生き延びることが出来た。
しかし、あまり長くは生きられない――
……それは確かに、最初から分かっていたことだったけど……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
早朝、急いで治療院に着いたときには、エマさんは既に息を引き取っていた。
治療院へは訃報が届いてから向かったのだから、それは当然のことではある。
ただ、頭の中で、どこか誤報を期待していたのも確かだった。
……昨日まで、それなりには元気に見えたのに……。
一応持ってきた錬金術の本も、無駄なものになってしまった。
昨日まで、彼女はこのベッドで身を起こして、外を眺めていた。
……しかし、彼女のそんな姿はもう見ることは出来ない。
――彼女とは、知り合ってまだ間もなかった。
どの程度の関係か、と聞かれれば、少し悩んでしまうところもある。
それでも、私たちのために戦ってくれて、最後には仲間になってくれたのだ。
グリゼルダのときとは少し違う……。
……悲しみというよりは、喪失感……?
何だかよく分からない感情が、私の中で渦巻いてしまっているようだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
……エマさんのお墓は、ヒマリさんたちのお墓の近くに作ってあげた。
エマさんは他の転生者たちと面識があるはずだ。
だからここで、せめて寂しくないように眠ってくれると嬉しい。
……彼女の遺品は、特に何も遺されていなかった。
身のまわりのものは、いつの間にか処分されていたらしい。
治療院の人にも聞いてはみたが、その辺りのことは何も知らないようだった。
彼女は魔法が使えるから、きっと人目を避けて、自分で処分をしていたのだろう。
まるで、この世界に生きていた痕跡を消すように。
……彼女は結局、転生をして、しあわせに生きることが出来たのだろうか。
ゼリルベインに利用されたことを嘆き、そして彼を裏切って……。
最近はもちろん、しあわせなんてことは無かったのかもしれない。
でもこの数年の中で、いつかどこかで、しあわせだったことはあったのだろうか……。
「――……終わっちゃいました、ね……」
エミリアさんが、静かに話し掛けてくる。
簡単な葬儀を済ませたあと、私はエミリアさんと一緒に、お墓の前で佇んでいた。
特に偉い人も呼ばず、私の仲間と内々で行った、そんな簡単な葬儀……。
「……はい。
はぁ……。そう言えば、エマさんの本名も聞いていなかったなぁ……」
「……本名、ですか?」
せめて、元の世界での名前くらいは知っておきたかった。
しかしそうは思っても、時すでに遅し。
鑑定スキルを使っても、さすがに元の世界の情報を得ることは出来なかった。
「名前はエマ……、だとは思うんですけど……。
苗字も、ちゃんと聞いておけば良かったなぁ……って」
「ふむ……?
苗字って、アイナさんも転生前は違ったんですか?」
「え? そうですね。私の名前は全部、アドラルーン様が付けてくれましたから。
まぁ、『アイナ』は同じなんですけど」
「へぇー……。
アイナさんって、昔からアイナさんなんですね」
「そう言われると、何だか不思議な気分になりますね……」
「ちなみに昔の苗字って、何だったんですか?」
「えーっと、『コウバラ』です。
『神』の『原』と書いて、『コウバラ』」
日本語で考えればそのままの説明なのだが、この世界の言語は日本語では無い。
……だからこんな説明になってしまうわけだ。
「コウバラさん、ですかー……。
それにしても、『神』の『原』……。転生前から、凄い苗字だったんですね」
「ま、まぁ……?
子供の頃は、結構からかわれたりとかもしましたけど……」
「いやいや!
神の使徒になるのが運命付けられたような、素晴らしい苗字じゃないですか!」
「うーん、そうですか……?
でも、今でも元の名前には思い入れがあって……。
だからエマさんの元の名前も、私は覚えていてあげたかったなぁ……って」
「なるほど……。
……そう考えると、とても残念ですね……」
本人が亡くなった今となっては、それを知る術はもう存在しない。
さすがに英知さんでも、この辺りは無理なんじゃないかな……?
「……ま、終わったことは仕方がありませんね。
せめてエマさんの顔は、ずっと覚えておきたいな……。
でも、案外そう言うのも忘れちゃうんですよね……」
……薄情、と言うことでは無くて……。
人間の記憶なんて、大体はそんなものだ。
身近な人だったとしても、時間を経れば、写真でも無い限りは徐々に忘れていってしまう……。
「それならルークさんに、似顔絵を描いてもらえば良いのでは?」
「あっ! ……それ、良いですね!!」
そう言えばルークは、似顔絵を描くのがとても上手いのだ。
今ならまだ、お願いをすればきっと見事に描いてくれるに違いない。
私が描くと、どうしてもデフォルメチックになっちゃうからね。
時間が出来たら、私も似顔絵の練習でもしてみようかなぁ……。
……少し前向きなことを考えていると、そのまま、何となく前向きになった気分がした。
グリゼルダの死を乗り越えて、私にも少しくらい、耐性が付いてきたのかもしれない。
エマさんとは、グリゼルダほど交流を持っていなかったから、単純には比較が出来ないけど……。
「――さて。
アイナさん、そろそろお屋敷に戻りませんか?」
「そうですね……。
名残惜しいですけど、ここにはいつでも来られますし……」
「案外ここ、近いですからね。
エマさんが寂しがらないように、ちょこちょこ来てあげましょう!」
「そのときは、ついでにヒマリさんたちにも話していかないと」
「ついでって♪」
「……いやぁ、ヒマリさんたちは最後まで敵だったじゃないですか。
だからちょっと、エマさんとは違うかなぁ……って」
「あはは♪ 確かに最初から最後まで、命を狙われちゃいましたもんねー」
「やっぱり、出会いって言うのはとても大切ですよ……。
出来れば私、誰とも敵対しない人生を歩みたいですから……」
「それは理想的ですよね……。
でも、ゼリルベインさえどうにかすれば……アイナさんなら、出来ちゃうのでは?」
「……そう、ですか?」
「そう、ですよ!
だからまずは、平和な世界を目指しましょう!!」
……平和な世界。
確かにそれは、私たちの目指す場所だ。
しかし、最終目標では無い。
……平和な世界を作って、そしてそこで、平和に暮らす。
それこそが、私たちの最終目標なのだから……。




