742.エマさん①
人魚の島を出て、私とジェラードは治療院に向かった。
この治療院は以前、ファーディナンドさんがお世話になっていたところだ。
今回の目的は、転生者のエマさんに会うこと。
セミラミスさんが既に様子を見に行っていたけど、私もお見舞いついでに会うことにした。
「……あ」
エマさんの部屋に行くと、ベッドで上半身を起こした彼女が小さく声を出した。
「こんにちは、エマさん。具合はどうですか?」
「アイナさん、いらっしゃい……。
そうですね、ぼちぼち……と言ったところでしょうか」
……ぼちぼち。
それはいろいろな意味で取れる言葉だが、エマさんの顔色はあまり良くないようだった。
「でもまさか、生きていらっしゃったとは……。
ゼリルベインに貫かれたところ、偶然ポーションが割れていたって聞きましたけど」
「はい。……運が良かったですね。
これも、アイナさんのおかげです」
「え? 何で私の?」
突然出てきた私の名前に、つい驚いてしまう。
「実はそのポーション……、記念に買っていたんです。
この世界に転生してきて、ずっと頑張ってきたアイナさん。
応援……って言うのかな? そんな軽い気持ちで、錬金術師ギルドで買っていたんです」
「あー……。
毎度、ありがとうございます……」
思い掛けないお客さんに、私の口からは変なお礼の言葉が出てきていた。
自分の作ったポーションが敵に使われるのは不思議な気分だけど、でも、エマさんは最終的に味方になったからね。
だからその命を助けることが出来ていたなら、それはとても嬉しいことだ。
「……でも、ゲームみたいにはいかないんですね。
私、もう食事をとれなくて。……寂しいなぁ、この街には美味しいものがたくさんありそうなのに……」
そう言いながら、エマさんは窓の外を眺めた。
話を聞いてみれば、胃の辺りがまるっと無くなってしまったのだと言う。
私も少し方法を探してみたが、残念ながら錬金術ではその欠損は補えそうにも無かった。
「うぅーん……。
分野で言えば、ホムンクルス錬金か……。でも、生体移植……うぅーん……」
……その辺り、私は全然分からなかった。
恐らくは錬金術以外の知識……例えば医術のようなものも必要になる気がする。
「……お構いなく。これは私への罰ですから。
だから、この怪我は甘んじて受けることにします」
「エマさん、せっかく私たちの仲間になってくれたのに……。
そんな、罰だなんて……」
「……いえ、私はゼリルベインの力になり過ぎてしまいました。
最初は、『虚無の神』なんて怖かったんですよ。
でも、あの方は私を必要としてくれて……。それが、嬉しくて……」
……神様に必要とされる。
それはとんでもなく光栄で、誇らしいことだろう。
ただ、神様と言っても種類がある。
基本的には、神様と言うのはその世界の繁栄を望むものだとは思うんだけど――
「……ところで、ゼリルベインの目的って何だったんですか?」
そもそもはそこだ。
世界を滅ぼす……のは、そうなんだろうけど。
「ご存知の通り、この世界を滅ぼすこと……。
全てのものを、無に帰すこと。
……でも、それは一人の力では難しかったんです」
「と、言いますと?」
「ゼリルベインは過去の神々との戦いで、力を振るう経脈……神力回路を、全て破壊されました。
長い時間を掛けてようやく2つを回復させたのですが、まだまだ本調子とは言えなかったのです」
「……それでも、とんでもなく強かったですけどね……」
戦いの光景を思い出しながら、私は本音を呟いてしまう。
もしも彼が万全の態勢だったのなら、どれだけ強かったことか……。
……グリゼルダの捨て身の攻撃であっても、完全に敵わなそうだ。
「アイナさんとの戦いで、ゼリルベインは広場を消し飛ばしていましたよね?
確かに強力な術ではあるのですが、あれでは効果範囲が狭すぎるのです。
例えばあの術で世界を滅ぼすなんて、想像が付かないことでしょう?」
「……確かに、全世界を滅ぼすのには向いていませんよね……。
涙ぐましい努力が必要そう」
この街を滅ぼすにしても、何回あの術を使わなくてはいけないのか。
……って、あれ? でも、もっと広範囲の術も使おうとしていたような……?
私が疑問に思うのと同時に、エマさんはそれを察して続けてきた。
「ゼリルベインの術は数多くあるのですが、ほとんどの術は自らの存在を切り崩してしまうものなのです。
……だから基本的に、ゼリルベインはあまり力を使いたがらなかったのです」
「あー……。それが、この街に転生者をけしかけてきたわけなんですね。
特に理由が無ければ、最初から本人が来れば良いわけですし」
「……はい。それに、使える駒は多い方が良いですから……。
ただそれも、アイナさんに全部倒されてしまいましたけど……」
「でも、倒されても補充は効くんですよね?
転生者、たくさん呼んじゃえば良いんじゃないですか?」
私がそう言うと、エマさんは首を横に振った。
「異世界転生の術には、特別な力が必要なのです。
ゼリルベインの持っていた力は、最後のタケルさんで全てを使い果たしてしまって……」
「……特別な力?」
「本来その力は、神がひとつずつ持っているものなのです。
しかしゼリルベインは他の神々を殺していたため、その力を複数持っていた……。
その有限の力を、使い果たしてしまったと言うことです」
「へぇ……?
そんなルールがあったんですね」
「本来は、神々の代理戦争……という要素もあったそうですよ。
ただ、絶対神アドラルーン様が形骸化させてしまっていたそうですが」
「あの方、戦いは好きそうじゃありませんからね……」
私はつい、しみじみと言ってしまった。
エマさんはそんな私を見て、羨ましそうに笑った。
「……私も、絶対神アドラルーン様に転生させてもらいたかったなぁ……」
「それなりに、大変でしたけどね……。
でも私は、駒って感じでは無かったかな?
自分の好きなようにやれ……とも言われていましたし」
「え?」
「……え?」
私の言葉に、エマさんは不思議そうに聞き返してきた。
それに対して、私も不思議そうに返してしまう。
「……アイナさんは、絶対神アドラルーン様の使命を受けていたのではなかったのですか……?」
「え? 別にそう言うのは無かったですけど……何で?」
「ゼリルベインが言っていました……。
『私の邪魔をする者がいる』……って」
「え? そんなこと、した記憶が無いですけど?
そりゃ、タナトスは倒しましたが、むしろ向こうから手を出してきたわけですし」
「……英雄、シルヴェスター……はご存知ですよね?」
突然、私の良く知る名前が飛び出してきた。
もちろん私は知っている。
そもそも、私は彼の持つ神器に憧れて神器を作る旅に出たのだ。
この世界での行動の根幹が、彼のために決まってしまった……とも言える。
「最後は戦うことになってしまったけど……。
何回か、接点はありましたね……」
「……彼は、神になることを目指していたはず。
それを促したのは、ゼリルベインなんです」
「……え?」
「神器の扱いを極めれば、神の力を振るうことが出来る。
……これはアイナさんもご存知ですよね?
英雄シルヴェスターは、神器の力で神の力を取り込み、神になることを望んだ……。
そして、ゼリルベインはこの地にダンジョン・コアを生み落とした。
それをシルヴェスターに見つけさせて、取り込ませるために……」
「……え? ダンジョン・コア?」
「アイナさんが、手に入れていたんですよね?
疫病の迷宮のダンジョン・コアを……」
……再度、思い掛けない名前が出てきた。
ガルーナ村の疫病騒ぎ。その中心となったのが『ダンジョン・コア<疫病の迷宮>』なのだ。
「え? もしかして、ゼリルベインの意思が働いていたんですか……?」
「……はい。
あれ? 本当に知らなかったのですか……?」
「も、もちろん……」
「ゼリルベインは英雄シルヴェスターに、細かい場所までは伝えていなかったそうです。
疫病の騒ぎが大きくなれば、嫌でも気が付くだろう……と」
「んんー……?
でも、彼は『螺旋の迷宮』に行ってましたけど……」
「……あの近くにあるのは、他には『神託の迷宮』だけ。
しかしそこではきっと、何も見つからなかったのでしょう。
ならばゼリルベインの神託の場所を、少し離れた『螺旋の迷宮』と勘違いしていたのかもしれません」
「でも、シルヴェスターは『螺旋の迷宮』のダンジョン・コアを持っていましたよ?
その力は吸収するわけにはいかない……って言っていたような気がします」
「……凄いですね。本当に凄い。
確かに『ダンジョン・コア』を取り込めば、神に近付くことが出来ます。
しかし所詮はまがい物。……彼は一体、どこでそんな知識を得たのか……」
「まとめると、ゼリルベインはシルヴェスターに『疫病の迷宮』を取り込ませようとしていた……。
でもそれは、まがい物の神を作るため……?」
「結局は自分の手の者が欲しいわけですから。
本物の神を生み出してしまえば、せっかく不在になった神の座に邪魔者が現れてしまうかもしれませんので……」
……なるほど。
シルヴェスターは自分の望みを果たすために、本物の神様を目指したんだね。
どこでそんな知識を得たのかは知らないけど、彼はこの世界の真理にかなり近付いていたのかもしれない。
しかし一番予想外だったのは、『ダンジョン・コア<疫病の迷宮>』が意図して生み出されたところかなぁ……。
……引き続き、エマさんとの話は進んで行く。
そして徐々に、ゼリルベインの秘密が明らかになっていくのだ。




