723.灰色の狂宴⑥
「……かはっ!?」
小さく聞こえた苦悶の声。
それはエマさんの声。
地面に倒れていたエマさんは、その状態のままゼリルベインの手刀で胸を貫かれてしまった。
「エマさんっ!!」
「……まったく、悲しいことだ。
まさかここまで私の邪魔をしようとは……」
ゼリルベインはエマさんの顔を見ながら立ち上がると、改めて体勢を整えた。
このままだと当然、エマさんは死んでしまう。
危険を承知でゼリルベインを裏切って、そして私たちの味方をしようとしたエマさん――
「……死なせるわけにはいかないっ!
アルケミカ・ポーションレイン!!」
私が唱えると、空からポーションの雨が降ってきた。
ゼリルベインは特にダメージを負ってはいないが、それでも念のために対象からは外しておく。
「ほう……。君は珍しい魔法を使うんだね。
しかし、こんなものはどうと言うことも無い」
そう言うと、ゼリルベインは石ころを蹴るように、エマさんの身体を蹴飛ばした。
彼女は宙を浮き、そのまま近くの樹の下へと追いやられる。
……実に単純な。
しかし絶対的な対応方法。
アルケミカ・ポーションレインはあくまでも場所を指定して、癒しの雨を降らせる魔法だ。
回復の対象を雨が届かない場所に移動させてしまえば、その効果は当然のように発揮されることは無い。
少しくらいはポーションも掛かってくれたとは思うけど――
……それにしても、まさかこんな冷静に対応されるだなんて。
ここは何とか近くに寄って、早くポーションを使ってあげないと……!!
「ルーク!」
「はいっ!!」
私の言葉に、ルークは猛然とゼリルベインに襲い掛かった。
今はダメージを与えるのが優先では無い。
まずはゼリルベインの注意を引いて、そしてその隙に私が――
……あれ?
いや、それよりも!!
「エミリアさん、回復魔法!」
「はい、すぐにっ!!」
……最近のエミリアさんは攻撃魔法ばかりだったから、正直忘れてしまっていた。
エミリアさんは元・ルーンセラフィス教の司祭様。
だから、回復魔法はお手の物なのだ。
「それじゃ、私はルークのサポートに――」
「い、いえ! アイナさん、ダメです!!
魔法の効果が出ませんっ!!」
「えっ!?」
慌ててエマさんを見てみれば、確かに回復魔法の光は纏っていない。
しかしエミリアさんは既に魔法を使っているし、ユニークスキル『魔法発動点無視』のおかげで、どこからでも魔法は掛けられるはず――
「……ふむ。
その程度、予想できないと思ったのかね?
エマには回復魔法の無効化を掛けさせてもらったよ」
ゼリルベインはルークの攻撃を避けながら、余裕の表情で言ってきた。
しかし無効にするのが『回復魔法』なのであれば、アイテムであるポーションでは回復させることが出来るはず……?
……それなら、やっぱり私が……!!
「エミリアさん、ルークのフォローを!」
「はいっ! アイナさんもお気を付けて!」
そう言うと、エミリアさんはゼリルベインの方に走って行った。
その位置取りは、ちょうど私を守ってくれるような――
……やっぱり、この辺はさすがである。
「ほう……。エマを助けようと言うのかね?
君たちは優しいな。もともとは敵だったはずなのに」
そう言いながら、ゼリルベインは私を指差した。
これはエマさんを弾き飛ばしたときの、攻撃の予備動作。
しかしルークはそれを妨害しようと――
「ルークっ!!
そのまま攻撃っ!!!!」
「――え!? はいっ!!」
バチィッ!!
そんな音と共に、私の身体には強い衝撃が走った。
気が付けば、少し遠くに地面が見える――
……ああ、これは弾き飛ばされたか。
しかし私は竜王の加護を持っている。
大きく向上した身体能力を活かし、私はそのまま体勢を立て直して地面に着地する。
逆にゼリルベインは、ルークに隙を突かれていた。
神剣アゼルラディアの攻撃は手で止められたものの、それでも大きく後退りをしている――
……エミリアさんのフォローがあるとは言え、攻撃が効くようになった?
それが何故かは分からない。
でも今は、それよりもエマさんを――
ミシイィイィイィイィイイッ
……再び周囲を、空間の軋みが襲い掛かった。
ゼリルベインがまた何かを仕掛けたようだ。
ただ、エマさんのユニークスキルのおかげで、ゼリルベインの攻撃は完全に『制限』されている。
おそらくは虚無属性がすべて制限されているのだろう。
しかし神様の強大な力を抑え込めるため、この空間には大きな負荷が掛かってしまっているのかもしれない。
そしてそれがきっと、この軋みのような音の正体――
「……私が与えたものだとは言え、『白の陽炎』は厄介な代物だね。
力で強引に破壊しようとしたが、どうやらそれは無理らしい」
ゼリルベインはそう言うと、ルークとエミリアさんの猛攻を掻い潜り、私とエマさんの間に高速で割り込んできた。
このままではエマさんの元に、真正面からは行けそうも無い。
それなら一旦、大きく横に移動してから――
……パチンッ
「――っ!?」
不意に、ゼリルベインが指を鳴らした。
そしてそれだけで、彼の中心には大きな波動が生まれる。
私を含め、ルークとエミリアさんもそれぞれが後方に吹き飛ばされてしまって――
「神は、何で神なのかが分かるかね」
……突然、ゼリルベインが問い掛けてきた。
「え……?
じ、人智の及ばない力を持っている……とか?」
「確かにそれも、ひとつの要素。
しかしただ力を持っていると言うのは、化け物と同じではないかね?
……まぁ、神なんてものは化け物の一種に過ぎないのかもしれないが」
そう言いながら、ゼリルベインは楽しそうに笑っていた。
しかしそれよりも、今はエマさんを――
「うおぉおぉおっ!!」
吹き飛ばされたルークが立ち上がり、再度ゼリルベインに攻撃を仕掛けていく。
「――おっと。
さすがにもう、その攻撃は受け止めたくはない。
故に、そろそろこの『白の陽炎』をどうにかするとしよう」
「エマさんは殺させないっ!!」
『白の陽炎』の空間さえ残っていれば、神が相手だと言っても何とか戦えている。
だからこそ――いや、もちろんそれだけでは無いけど――エマさんを殺させるわけにはいかないのだ!
「エマの命を奪う……。それは確かに、ひとつの手段だ。
しかしね、それ以外にもやりようはあるのだよ」
……そう言うと、ゼリルベインは両手で静かに印を組んだ。
「何を――」
「……私は虚無の神。そして『白の陽炎』は虚無の力。
それならば、私はその『ルール』を変えることにしよう」
――パァアアアアアァアアンッ!!!!
その瞬間、何かが大きく弾ける音がした。
「……え?
い、一体何を……!?」
ゼリルベインは印を組んだだけで、特に魔法のようなものは使っていなかった。
でも、何かが起こったのは確かなわけで――
「……『白の陽炎』の『ルール』を変えさせてもらった。
もうこのユニークスキルは役に立たない。
仮に、エマが生き残ったとしても……ね」
ゼリルベインの言葉と呼応するかのように、周囲の白い輝きは徐々に消えていく。
今まではこの輝きが、ゼリルベインの強大な攻撃を抑えてくれていた。
しかしここからは、そのサポートが無くなってしまう――
……いや、もっと大きな問題がある。
『白の陽炎』が無くなる時点で、私たちはいつも暮らしている位相に戻されてしまうのだ。
そしてそこには、私たちが作り上げたマーメイドサイドの街と、そこに暮らすたくさんの人たちが――
……守らないといけないものが、たくさんある場所。
戦う条件としては、さらに大変なものになってしまうわけで……。




