721.灰色の狂宴④
ルークの一撃を食らったエマさんは、数メートルほど宙を舞ってから地面に叩き付けられた。
まるで車に撥ねられたような……そんな感じで、さすがに無事ではいられないようだった。
しかし私たちが勝ったにしても、手放しで喜ぶわけにはいかない気がする。
エマさんは本気で攻撃してきたものの、私たちに対して、どこか肯定的なスタンスでいてくれたのだから……。
キィイィィイィイィイィンッ!!!!
「――っ!? また……っ!?」
不意に、先ほども響いてきた耳鳴りが、再び私に襲い掛かった。
ルークとエミリアさんも耳を押さえているから、この場所にいれば全員がこうなってしまうのだろう。
「……アイナ様、この音は……!?」
「耳が……っ!
……空間が、悲鳴をあげているみたい……!?」
エミリアさんの意見に、私は納得してしまった。
どこか空間が軋むような……。
何者かが、この場所をどうにかしようと言うような……?
「……ごほっ。
アイナさん……。この音は……この空間が、干渉を受けている……音……です……」
ふと、エマさんの苦しそうな声が聞こえてきた。
慌てて声の方を見てみれば、彼女はどうにか起き上がろうと腕に力を込めているところだった。
……しかし思うように、起き上がることは出来ない。
それは無理もない話で、エマさんはつい少し前に大きなダメージを受けているのだ。
むしろ気絶していない方がおかしいと言うか……。
「この空間ってユニークスキルなんですよね?
そんな場所に、干渉が出来るものなんですか!?」
「……もちろん、普通なら出来ません。
でも、彼なら……。彼なら、その存在自体が――」
……『彼』?
それが、この空間に干渉している人物……?
キィイィィイィイィイィンッ!!!!
……ゴズン。
「ひゅぇっ?」
再びの耳鳴りのあと、何かおかしな音が聞こえてきた。
それに釣られて、エミリアさんも可愛い感じで変な声を出す。
……何、今の音。
よくは分からないけど、かなり嫌な予感がする……。
正体不明の何かが来た――……と言うべきか。
……それを迎え撃つためには、私たちは万全の態勢でなくてはいけない?
ならばせめて、味方と思しきエマさんは助けておくべきだろう。
「エマさん、あなたのことは信じますから!
――アルケミカ・ポーションレイン!」
……もしかしたら軽率なのかもしれない。
でも今は、それどころではないような――
「……ありがとうございます。
ポーションの雨、ですか。アイナさんも、不思議な魔法を使うんですね……」
エマさんは少し離れた場所に飛ばされた杖を拾い、杖をついてどうにか立ち上がった。
私の魔法で怪我は癒えたようだが、力はまだまだ入っていない。
……仮に味方なのだとしたら、さっきの攻撃は少しやり過ぎちゃったのかな……。
「――ッ!!
アイナ様、何かが来ます!!」
「うん、みんな気を付けてっ!!」
……しかし私たちの目の前に現れたのは、見知った顔だった。
それはエマさんと一緒にこの街に現れた、魔法学者のノーリさん――
「……ふむ。
完全なる『白の陽炎』を発動させたのに、アイナさんたちを倒せませんでしたか……」
にこやかな表情を浮かべながら、ノーリさんはエマさんの方に歩いていった。
私たちはどちらかと言うと、スルーされているような状態だ。
「はい……。
申し訳ございません、私の力が及ばず……」
「……さらに敵に情けまで掛けられるとは。
やはり君たちの力では難しかったか……」
ノーリさんは静かに、エマさんと私たちを交互に見た。
……今、私たちのことを完全に『敵』って言い切った?
エマさんは私たちの力量を見定めるつもりで戦っていた。
でも、ノーリさんは違う……?
それに、『君たち』って誰のこと?
何で複数形――
……誰も何も喋らない中、ノーリさんはそのまま言葉を続ける。
「――私はあまり、直接手を出したくはなかったのだがね」
ノーリさんは右手を顎に添えながら、少し考えるように言った。
不穏に漂う強者感。
もしかして、ノーリさんも転生者……?
……いや、ここまで来てしまえば、むしろそうである方が自然だろう。
何せエマさんの『白の陽炎』に必要だったエネルギーは、ノーリさんが提供したと言うのだから。
「……アイナ様」
「うん、気を付けて……。
エミリアさんも」
「はいっ」
私たちはこそこそと、短い言葉を交わした。
これから何が起こるのかは分からない。しかし私たちなら、この程度の会話で通じ合うことが出来る。
出会ってから今に至るまで、たくさんの修羅場を乗り越えてきた。
だから今回も、何があっても大丈夫なはず――
「……よろしい。
さすがに私も、無駄なことをやる気はもう無くなってきたのでね。
直々に、引導を渡してあげることにしよう」
ノーリさんは悠然とエマさんの前に歩み出ると、私たちと真正面から向かい合った。
――……ちょっと待って?
エマさんは私たちの味方なんだよね?
そのエマさんに、エネルギーを提供したのはノーリさん。
……普通に考えれば、ノーリさんは私たちの味方のはずだ。
てっきり私たちとエマさん、それにノーリさんの力を合わせて、『大きな敵』と戦っていく――
……そんな構図を思い描いていたけど、そもそもそこが違う……?
エマさんに真意を聞こうにも、今はこの場の空気がそれを許さない。
……しかしふと、私はエマさんと目が合った。
そして彼女は、静かに頷く――
……あれは私たちを信用している表情?
いや、そう信じなければ……悲惨な未来が見えるような、そんな気がしてしまう。
「……ノーリさん、私たちと戦うんですか?
理由が分かりません。……一体、何で?」
「愚問ですね。
虚無の転生者たちは、君とはそもそも敵対関係にある。
……まぁ、あとは個人的な恨みがあるものでね」
そう言うと、ノーリさんは静かに右腕を上げた。
まるで一撃必殺の何かを振り下ろそうとするかのように――
「……個人的な、恨み?
私たち、ノーリさんに何かしましたか……?」
そう聞きながらも、私たちは慎重に距離感を読んでいく。
何が来ても良いように、確実な間合いを取りながら――
「……それを説明する理由は、私には無いかな。
それでは……滅びたまえ!」
ノーリさんが右腕を振り下ろした。
その瞬間――
ミシイィイィイィイィイイッ
「――っ!?」
空間が割れてしまいそうな、壊れてしまいそうな。
しかし先ほどの耳鳴りとはまるで違う。そんな音――
「……これは?
エマ、君の仕業か? 私の攻撃を制限したのか――」
「アイナさん! 今ですっ!!」
――大きく聞こえるエマさんの声。
理由は分からないが、エマさんはノーリさんの攻撃を『制限』して妨害をした。
ならば今、攻撃すべきは目の前のノーリさん――
「ルークっ!!」
「はい!!」
私への返事と共に、ルークはノーリさんを強襲した。
いつの間にか、神剣アゼルラディアには6色の光が宿されている。
エミリアさんの魔法も良い感じで入っていて、まさに理想的な一撃がノーリさんへと向かっていく――
「……6属性。
秩序の光か……!」
ズガアアァアアァアアアンッ!!!!
「――っ!?」
ルークの攻撃は、確実にノーリさんに叩き込まれた。
6つの属性がすべて発動していて、物理的な勢いも十分だった。
……しかしその攻撃を、ノーリさんは左手で軽く受け止めてしまった。
エマさんも、ルークの攻撃を受け止めることは出来ていた。
しかしあのときは、何の属性も発動していなかった。
さらに受け止めてはいたものの、それなりに後退りもしていたのだ。
それに比べて、ノーリさんは6属性が同時発動している中、一歩も動かずに――
「……エマ。
君は私を、裏切るつもりかな?」
ノーリさんは私たちに興味を示さず、エマさんに静かに問い掛けた。
エマさんはそんなノーリさんを見て、怯むように杖を構える。
「……も、申し訳ございません。
でも……私、もうあなたには付いていけないんですっ!!」
そう言うと、エマさんは私たちのもとに駆け寄ってきた。
ノーリさん、対、それ以外の4人。
今はそんな構図。人数で比べると、こちらが圧倒的に見えるけど――
「……ははっ、なるほど。
ふむ、エマの行動も理解は出来るかな。
私も最近、人間からすれば酷いことをしていたからね」
予想に反して、ノーリさんはエマさんの裏切りに理解を示した。
この二人の間に、今まで何があったのかなんて知らないけど――
「……良くは分かりませんが、私たちの敵であるなら全力で抵抗します。
ノーリさんが私たちに抱える恨みも分かりませんが……」
「ほう!
君は私に、幾度となく攻撃を仕掛けてきたのに?
……いや、それを知らないのも無理は無いのか」
「……?」
そこまで言われても、私には何のことか想像も付かなかった。
幾度となく攻撃を……?
私が、ノーリさんに……?
つい先日初めて会って、しかもそれっきりだったのに――
エマさんの方をちらっと見ると、彼女は同時にごくりと唾を飲んだ。
彼女の声を挟む間も無く、ノーリさんは言葉を続ける。
「……よろしい。それでは改めて自己紹介をしよう。
私はノーリ。秩序を混沌へと導き、虚無へと至らせる者。
転生者たちの生みの親。神々の空に、冷たい風をもたらす者――
……そうだね、君たちには正式な名前の方が馴染みがあるか」
「……正式な、名前……?」
「私の存在の証。私が私である由縁。
人間たちが私を崇め、蔑むときの名前。
私の名前――……ゼリルベイン」
――……は?
……思い掛けない名乗りに、私の身体からは急速に血の気が引いていってしまった。




