589.それは突然に
……結局、眠れないまま朝を迎えてしまった。
しかしいざ朝になってみれば、急に眠くなってしまうわけで……。
「ふわぁ……」
「ママ、眠そうなの!」
食堂であくびをすると、リリーが心配そうに声を掛けてきた。
心配されるほどでも無いんだけど、ひとまずその気遣いは嬉しいところだ。
「うーん……。夜、全然眠れなくてねぇ……」
「おいおい、今日は『水の迷宮』に行く約束だっただろ? 大丈夫かー?」
「むぅ……」
思い返せば昨日の午後、この元気いっぱいのヴィオラさんと一緒にテレーゼさんの家に遊びに行っていた。
感動の再会に涙をしたあとは、ハイテンション&ハイテンションの二人組のおかげで、何だか疲れちゃったんだよね。
……テレーゼさんは母親になっても、ハイテンションなときは昔に戻ってしまうのだ。
私は途中から付いていけなくなってしまったので、マリナちゃんの子守りをしながらついつい眠ってしまったんだけど――
もしかして、夜に眠れなかったのはそれが原因だったのかな……。
「ミラのところなら私が案内できるの。
だからママは寝てても大丈夫だよ?」
「くぅ、リリーの優しさが身に染みる……!
でも天気が良いし、ポエール商会に手紙を出す用事もあるし、やっぱり行こうかなぁ」
「お手紙を出すの?」
「うん、ポエールさんにちょっとね。
相手が忙しかったり大切なことを伝えるときには、やっぱり手紙は良いものだよ」
「むー。それなら私も、ママにお手紙書くの!」
「やったー! 楽しみにしてるね!」
「なの!」
「……っと。
それじゃ10時過ぎに出発しようぜ! 昼メシはどうするんだ?」
「クラリスさんに持っていけるものを頼んであるんだけど、足りなかったらどこかで買っていく?」
「おー、それも良いな!
……そういえばリリーにはお小遣いをあげてるんだろ? 俺にもくれよー!」
「え? 別に良いけど――」
……でもお小遣いをあげるとなると、完全に私が養っている感じになっちゃうよね。
リリーは扶養家族みたいなものだし、ルークやエミリアさんは一応雇っている感じの仲間だし、グリゼルダやセミラミスさんは加護をもらってるような感じだから良いとして……。
そう考えると、ヴィオラさんは仲間枠……なのかな。
でも、ヴィオラさんにはファーディナンドさんがいるからねぇ……。
「――ヴィオラさんって、ファーディナンドさんから養女にしたいって話があったんだよね?」
「うぇっ!? そんなことも聞いたのか!?」
「うん♪
でも良い話じゃない? 嫌なの?」
「いや……。嫌って言うかさぁ……。
何だかちょっと、距離感が分からなくてさぁ……」
……なるほど。
確かに改めて関係が変わるとなると、そのギャップに戸惑ってしまうのは無理もない。
彼女は彼女なりに考えていて、恐らくはまだ結論に至っていないだけなのだろう。
「良い話だと思うよ?
それじゃ、ファーディナンドさんの養女になるまではお小遣いをあげるね」
「やったー!
……って、養女になるのが前提かよ!?」
「普通に働いても良いけど……」
「えぇ!? 俺みたいなやつが働けるわけ無いだろ!?」
「若いのに何を言ってるの……。
ちなみにリリーと同じ額で良い?」
「リリーはいくらもらってるんだ?」
「銅貨10枚なの♪」
「おいぃ! 俺はそこまで子供じゃないぞっ!?」
「えぇー……?」
中身は子供っぽいけど、さすがに年齢的に銅貨10枚はあり得ないか。
「それじゃ金貨2枚で。
着るものとかも、ここからまかなってね」
「絶妙な金額設定!」
「困ったら相談してくれて良いから。
もっと気楽に使うお金が欲しければ、自分で何か依頼を受けて報酬をもらっても良いわけだし」
「……あ、そうか。
今はそういうことも出来るんだな……」
ヴィオラさんは昔と違って、今は行動を束縛するものは何も無い。
ユニークスキルのことを知る人がいれば危ないかもしれないけど、知らなければ、ぱっと見は普通の女の子だからね。
私の仲間が一緒なら、冒険者ギルドの依頼くらいは受けても問題ないだろう。
「――さて、そろそろ準備をして出かけよっか」
「おう! あ、冒険者ギルドが先な!」
「早速依頼を見る気……?
それならポエール商会のあとに冒険者ギルドに行って、そのあとに『水の迷宮』が良いかな」
……ひとまず今日は、そんな感じで動くことにしよう。
仕事を頑張ってくれているみんなには悪いけど、私は今日もお休みモードなのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふわぁ……」
午後も薄暗くなった頃。
私の眠気は最高潮に達していた。
ポエール商会は手紙を渡すだけだったからすぐに用事が終わったけど、冒険者ギルドでヴィオラさんが大興奮してしまったのだ。
結果、それなりの時間を使ってしまい、『水の迷宮』に到着したのは14時過ぎ。
ヴィオラさんは依代を介して会話するミラにも興奮してしまい、その結果、昨日に引き続きハイテンションのまま遊び続けていた。
それに付き合うリリーもミラも、何とパワフルなことだろう。
……私はちょっと付き合い切れなかった。大人に子供のテンションはつらいのだ。
「アイナー!
そろそろこっちに来て遊ぼうぜー!!」
「えぇっ!? もう暗くなったけど、まだ遊ぶの!?」
「いいじゃん、いいじゃん!
夕飯はまだだろー!?」
「むしろ私、夕飯の前に少し眠りたかったんだけど……。
ヴィオラさんとリリーはあとで良いからさ、私は先に帰っても良い?」
「ちぇー。
それなら俺はリリーと一緒に帰るよ。アイナは帰って良いぞー!」
「なの!」
「ちょっと、二人とも。
あまりお母様に無理を言ってはいけません。また明日くれば良いのですし――」
ヴィオラさんとリリーに比べて、やっぱりミラが一番しっかりしている。
……一番若いんだけどなぁ。
「あはは、大丈夫だよ。
それじゃミラ、二人をよろしくね」
「……分かりました。
お母様、また遊びに来てくださいね」
「うん、すぐ来るから待っててね♪」
……私が少し離れると、三人は楽しそうにまた遊び始めた。
ミラも大人っぽく振る舞ってはいるけど、やっぱり遊びたい盛りなんだよね。
ふふふ、そういうところも何だか可愛いや♪
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――『水の迷宮』とマーメイドサイド街門の中間あたり。
さすがにこんな時間ともなれば、人通りは少ない。
そもそもこの辺りは立派な道になっているわけでも無いし、お店が出ているわけでも無い。
基本的には冒険者の往来があるくらいなんだけど、今は誰もいないようだった。
広い空の下、綺麗な夕焼けを独り占め――ってね♪
――気分が良い。
……しかしそれは一瞬のことだった。
不意に私の向かう先、前方から嫌な気配を感じた。
私の感覚も、以前に比べればよっぽど鋭くなっている。
さすがにここまで強く感じたのなら、何かがあるはず――
……道から50メートルほど離れた大きな樹の下に、私に向けて誰かが何かを構える姿が見えた。
静かにしゃがみながら、何かを覗き込みながら、両手に持った『それ』を私に向けている。
見える姿が正面からのものだけに、具体的にはよく分からないけど、それはまるで狙撃銃でこちらを狙っているような――
「うそっ!?」
……この世界には銃が無い。
グランベル家が開発したような長い砲身を持つ魔導兵器や、大砲のようなものは存在する。
しかし一人の人間が手に持って扱うような、いわゆる機械的な『銃』はこの世界には存在しないはず――
――タァアアアアンッ!!
軽快なのか、重苦しいのか。そんな発砲音が辺りに響く。
……それが私の、今日の最後の記憶。
次に目が覚めたとき、私の運命はおかしな方向へと転がっていたのだった……。




