551.開戦前夜
――再び時間は流れ、王国軍の派兵の話を聞いてから3週間が経過した。
王国軍の戦力は、すべてが王都から出されるというわけでは無い。
マーメイドサイドまでの道中で、各地の貴族が抱える戦力がどんどん合流していく形になっている。
ジェラードの話によれば、その数は推計で5万ほど。
もちろん全部が全部、騎士や兵士というわけでも無い。
一般人が有志として参加している場合や、冒険者が報酬稼ぎで参加している場合もある。
しかし、私たちに弓を引くのであれば、それはすべてが敵だ。
家で家族が待っていようが、本人たちにどんな事情があろうが、そんなことは気にしない。
私は街を護る。
私を頼ってきた人たちを護る。
……私は聖人君子ではないから、それが精一杯。
そして精一杯、できることをやるだけだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――おお、アイナ。
こんな時間に、何の用じゃな?」
夜中、ふと人魚の島を訪れてみた。
いつも通り、グリゼルダは晩酌をしながら海を眺めている。
今では晩酌用の椅子とテーブルも完備しており、ここが彼女のお気に入りの場所となっていた。
「王国軍が近付いてきたので、そろそろ戦いが始まるかなって。
それで何となく、気分転換に来てみました」
「……ふむ。ここのところ、いろいろ忙しそうじゃったからのう。
準備の方は、もう良いのか?」
「はい、一通りは済ませました。
おかげで、街の開発がいろいろと止まってしまって」
王国軍の話を聞いて、この街から逃げる人も当然のことながら大勢いた。
しかし残ってくれた人もいる。
この街の発展に尽力してくれた人ほど、それは顕著だった。
あとは高額の報酬もちらつかせたから、そこでもある程度の人数が残ってくれた感じだ。
そんなこんなで集まったのは、2500ほどの戦力。
……うわぁ、王国軍の二十分の一だよ。
「――それで、勝てそうかの?」
「まぁ、勝てるんじゃないですか?」
こちらの戦力が少ないとは言っても、中には一騎当千の仲間だっている。
そんな仲間が何人もいれば――……あれ? 一騎当千じゃ足りないな……。
「ふふふ、これは頼りになるわい♪
妾は手を貸さなくても、大丈夫そうじゃな」
「あー……。
やっぱり手伝う気、ありませんよね。
まぁ察してはいたので、大丈夫ですけど」
「そうかそうか。
人間の争いは人間だけで済ませるのが健全じゃて」
「戦いに健全っていうのもちょっと……。
……その代わり、人魚さんたちを護ってくれませんか?」
「それはもとより、承知しているつもりじゃ。
お主らは人間同士、その戦いに集中するが良い」
「あはは、それだけで十分なお手伝いですよ。
どさくさに紛れて、人魚さんたちに何かあったら大変ですから」
王国軍から海兵が出たとは、どの情報網からも聞こえてきていない。
むしろ戦いの混乱に乗じて、人魚たちを攫う輩がいることを危惧しているのだ。
一応、海側にもある程度の戦力は割く予定だけど、あまり多くを割くわけにはいかないからね。
「……戦いの最中は、セミラミスもこっちに避難させるかのう。
ちなみに、リリーはどうするんじゃ?」
「リリーとミラにはお手伝いをしてもらう予定です。
……ただ、今回も疫病の力は使いませんよ」
「ふむ、なるほどのう……。
ま、その二人はお主の娘じゃからな。問題も無かろう」
グリゼルダは再びグラスを傾けて、海の方に目をやった。
季節はもう冬になっている。
冷たい風が、私たちの間を吹き抜けていく。
「――ふふふ♪」
「ん? どうしたんじゃ?」
「いえ、何だか嬉しくなって。
……いや、嬉しいというか、楽しみになって」
「ふむ……?」
「グリゼルダとセミラミスさんには、いつもとってもお世話になっています。
でも、私たちとはしっかり一線が引いてあって、こういうときは手を貸してくれませんよね。
――……だから、私たちの手で勝ちを掴み取って、またお迎えにあがるのが楽しみになったんです」
「……ほう?
ふふふ、アイナも良い顔をするようになったのう♪」
「えぇー。
これからたくさん人を殺しちゃう、外道の錬金術師の顔ですよーっ」
「おお、新しいふたつ名か。
しかしあまり格好良くは無いのう」
「いいです、いいです。私には『神器の魔女』のふたつ名がありますから。
……はぁ~。それにしても、争いなんて無くなれば良いのに……」
「人間がこんな世の中を作り続ける限り、それは無理な話じゃのう。
いやさ、人間だけ……ということも無いのじゃが」
「まぁ、そうですねぇ……」
「今回は手を貸してやらぬが、人間以外との戦いになったときは別じゃぞ。
そのときは、妾たちの力を存分に頼るが良い」
「そうですねぇ……。
……って、何か起こるんですか?」
「さぁて、のう……」
……ちょっと、グリゼルダさん。
これから大きな戦いが始まろうというときに、変な伏線を張るのは止めてください。
でも、そのときはグリゼルダとセミラミスさんも手伝ってくれるんだよね。
……それならまぁ、別に問題は無いか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
グリゼルダと話を終えて、私はお屋敷に戻った。
お屋敷の中で向かう先は、今まで使っていなかった1階の部屋。
ここを解放して、作戦会議室にしているのだ。
部屋の中心には大きなテーブルが置かれ、その上には大きな地図が広げられている。
これこそまさに、作戦会議室――……そんな光景になっていた。
「アイナ様、お帰りなさいませ」
「お帰りなさい!!」
「おっかえりー♪」
この場にいるのは私の近しい仲間。
そしてあとは、自警団や冒険者から、戦争の経験者を何人か呼んでいた。
スパイがいないかについては、既にジェラードに確認してもらっているところだ。
……最初は二人、紛れ込んでいたんだよね。まったく、油断も隙もあったものじゃない。
「――ただいま戻りました。
グリゼルダから、人魚さんを護ってくれるって約束をもらいましたよ」
「おお、それは朗報ですね。
そうするとその分、戦力が空くので助かります」
「とすると、次は――……クレントスがどうなるかが問題なんだよねぇ。
多分、今回は迂回してくると思うんだけど……」
「アイーシャさんと連携するのは、やっぱり難しそうですね……」
王国からして見れば、マーメイドサイドだけではなく、クレントスだって反旗を翻している状態なのだ。
だから今回のタイミングで同時に攻められても、何の不思議も無いわけで。
そしてマーメイドサイドへの陸路がすべてクレントスを経由していれば問題は無いのだが、クレントスを迂回するルートもしっかりと存在している。
つまり、アイーシャさんと戦力を集中させて戦う――ということが出来ないのだ。
「――あ、そうそう。
アイナちゃん、うちの諜報部隊に新人が入ったんだよ!」
「おー、良かったですね。
人手が足りないみたいなこと、言ってましたもんね」
「今回の戦いにも参加してもらうから、期待しておいてね♪
それでさ、挨拶をしたいって言われてるんだけど、どうする?」
「ああ、今いらっしゃるんですか?
特に問題無いですよー」
「そう? それじゃ――
おーい。入っておいでー」
ジェラードが扉の外に向かって呼ぶと、ノックの音が聞こえてから、扉が静かに開けられた。
そして、私の見覚えのある人が悠然と部屋に入ってきた。
「ジェラード殿、待ちくたびれたでござるよ!
アイナ殿、お久し振りでござる!!
拙者、アイナ殿のために頑張るでござるからな!!」
……えぇっ!?
うっわぁ……。元・ヴィクトリア親衛隊の、コジローさんだぁ……。




