458.背神の英雄⑪
「…………ごほっ、ごほっ」
リリーの案内で『疫病の迷宮』に戻ると、しばらく歩いてから強い咳が聞こえてきた。
何だか嫌な咳。……記憶のどこかが、そんなことを教えてくれる。
「ママ、あそこなの……」
リリーの指差す暗がりに、一人の男性が崩れ落ちるように座り込んでいた。
両手に持った剣を斜めに突き立て、それに体重を預けているような状態だ。
あんなに苦しそうにしているのであれば、いっそ寝てしまえばどんなに楽なことか――
「……大丈夫、ですか?」
私が近付いて声を掛けると、その男性は辛そうながらも、努めて明るく言った。
「ふふっ、……そう……見えますか?」
話した直後、彼は再び大きく咳を始めた。
顔は嫌な色をしているし、ところどころが腫れている。
おそらくは何らかの、複数の疫病に侵されているのだろう。
……そして私はこの人を治す力を持っている。
しかしこの人は、私たちを殺そうとしていた人――
「……助かりたい、ですか?」
「そう言えば……助けてくれるんですか?」
その言葉は懇願の言葉でも、試すような言葉でもない。
ただ単純に、悪戯っぽく、悪ふざけのように聞こえた。
「心を改めて、私たちに危害を加えないと約束すれば……。
ただし、神器は渡してもらいます」
……そこは最低限の妥協ラインだった。
神器を持たせたままだと、回復したあとに何をされてしまうか分からない。
そもそも神器が無いとしても、シルヴェスターはS+ランクの冒険者なのだ。
「神器を渡して――
……ふふっ、それは無い。あり得ないなぁ……」
「まだ、戦う気なんですか?」
シルヴェスターの言葉に、私は構えてしまった。
動くのも、起きているのですら困難な状態なのに、まだ抗うというのか――
「……違いますよ。そうじゃ、ない」
「え?」
シルヴェスターは咳をしてから、薄暗い天井を仰ぎ見た。
「……私だって、この剣を持ったときは感動したものです……。
それまでの努力が認められた、世界に認められたんだ――……って、ね。
そして……国や機関の、いろいろな……依頼を、こなしてきた……」
「機関……?」
「恐らくは冒険者ギルドや錬金術師ギルド、そういったものでしょう」
私の疑問はルークがすぐに解決してくれた。
……こんな苦しそうにしている相手に、そんなところから説明させるのはかなり酷だ。
ひとまずルークには感謝、感謝だ。
「……申し訳ないですけど、私、シルヴェスターさんのことはあまり知らないんです。
ルーク、どんな感じだったの?」
「私が聞いている限りでは、実力は然ることながら、品行方正であらゆる難問を解決してきたと……。
三人の英雄の中では最も英雄らしい英雄――それが世間の認識だと思います」
ルークの言葉を聞いて、シルヴェスターは静かに笑った。
「……ははっ、そうですね、私は……そう見せていたのですから……。
他の方は……ディートヘルムは英雄にしては俗物だし……、ハルゲイルは何を考えているか分からないし――」
「……ハルゲイル?」
「英雄ハルゲイルは『神剣ナナフヴァドス』に選ばれた英雄です。
違う大陸にいるので、会う機会は無いと思いますが……」
「ふふっ……。
私もディートヘルムもやられてしまったんです……。神器の錬金術師……貴女はとっても、危険な方だ……」
「隠れようとしても、目立ってしまうんですよ。
それなら私たちは、身を護る力を手に入れていくだけです」
「なるほど……。
神剣アゼルラディアに……、深淵クラスの『疫病の迷宮』……。
私は……戦って負ける気はしませんでしたが……、さすがの疫病には……ねぇ? ……私はまだ、人間でしたから……」
そこまで言うとシルヴェスターは再び咳込み、血を吐き出した。
このままではもう長くはない。神器の力を借りて生きながらえているとは言え、それにも限界があるのだろう。
「……最後に聞きます。
私たちに危害を加えない。神器を渡す。……それと引き換えに、助かるつもりはありますか?」
「――無い」
私の言葉に、シルヴェスターは即答した。
……さすがに私たちを殺そうとしていて、死の間際までその意思を貫く人間を助けることはできない。
再び害意を向けられたとき、必ず助かるという保証が無いからだ。
私はルークと顔を見合わせて、静かに頷き合った。
もう彼を助けることはしない。そんな言葉も発しない。そんな共有を得たのだ。
「では、苦しそうですし。そろそろ――」
「……私がこの剣――神剣デルトフィングを手にしたのは……、10年ほど前のことでした……」
「……」
「アイナ様……」
最後の力を振り絞るように、シルヴェスターは語り出した。
……これも最後の手向けか。
私たちは彼の話を聞くことにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――10年前。
天才と呼ばれるほどの剣の実力を持ったシルヴェスターは、冒険者を志した。
すでに年齢は20歳を超え、冒険者としては遅咲きの部類に入る。
しかし剣だけの人生は、彼にとって満足できるものでは無かった。
剣とは、生き様ではなく戦いの術。
戦いとは、求めるものを手に入れる、ただの手段。
……つまり、剣とは彼の求めるものを手に入れる手段に他ならなかった。
シルヴェスターの手に入れたかったもの――
……それは平和。日常が続く街。人々が安心して暮らせる国。調和の取れた世界。
最初は自分の行動と冒険の成果に満足がいっていたものの、英雄の称号を得ると、利益や欲望のために彼を求める者が現れ始めた。
いや、大多数がそんな感じだった。
……英雄とは言え、表に出て来ない仕事も多かったそうだ。
『英雄』という、一般人への偶像。
『英雄』という、権力者への現実。
少なからず、『英雄』とはその相反したギャップに苦しめられるものらしい。
そして、彼の心も軋み始めた。
近くに寄ってくる人間は醜い欲望を持っている。同じ境遇の者は、同じ『英雄』である者だけ――
「――そんなときに……、『あの方』が私の元を訪れたんです……」
シルヴェスターは、すでに長く話をしている。
意識も薄らいでいるようではあるが、それでもシルヴェスターは話を続けた。
「『あの方』……ですか?」
「えぇ……。名前は……伏せておきましょう……。
しかし『あの方』は、心が壊れかけた私に……ひとつの道を示して……くれた……」
「道……。シルヴェスターさんを救う、道……?」
「私にはその力があり……そして、その力を得る資格がある……。
何せ、神器に選ばれているから……」
「神器の……? え? 神器に選ばれると、何の資格が――」
「ふふっ。……この世界は、絶対神アドラルーンが創ったものだと言われている……。
私も……ルーンセラフィス教の信者だった……んだ……」
「確か絶対神アドラルーンの下には6柱の神様がいて、その下には竜王様がいる……んですよね?」
「そう、その通り……。
しかし神は、いない……ん……だよ……」
「え?」
「いや……、……1柱だけ……いるのか……」
「ちょ、ちょっと!? それってどういう――」
「……私はね、……神に……なりたかったんだ……。
この世界には……神の遺物が……存在する……。それを……神器を介して……取り込むことができれば――」
取り込む……?
そういえばシルヴェスターは、迷宮の力を取り込もうとはしなかった。
それは『神の遺物を取り込む』ことに関係があったのだろうか。
……例えば、ひとつのものしか取り込めない――とか。
「もしかして、神の遺物を探して『螺旋の迷宮』に……?」
「ああ……。
……はは……、どうやらそろそろ……お別れのようだ……。目が……見えなく……なって、きて……しまった……」
「まだ、まだ聞きたいことがっ!!」
「――君。私の弟弟子の君……。……聞いているかな……?」
「はい……」
シルヴェスターの突然の呼び掛けに、ルークは返事をした。
「……私は最終的に……、道を間違って……しまったようだ……。
私にとって……これは、世界に唯一の道だった……が、君たちに敗れてしまった……」
「……」
「だが、私の目指して……いたものは……、間違いだったとは思わない……。
なぁ……、そう考えても……良い、よな……?」
「……日常が続く街。人々が安心して暮らせる国。調和の取れた世界――
とても素晴らしいものだと思います」
「……ふふ、ありがとう……。
君は……道を間違えるん……じゃないぞ……。『英雄』になんて……、なってしまうな……。
君は……、君が信じる道を……歩んで、いけば……良い……から……」
「私の道はもう決まっています。
生涯を賭して、アイナ様にお仕えするのみです」
「…………そうか。きっと……、まっすぐな目を……して、いるんだろうなぁ……。
残念ながら……、俺には……もう……、見ることは……できないが……」
「もう……、お眠りください……」
ルークはこれ以上見ていられないのか、シルヴェスターにそんな言葉を掛けた。
私としてはまだまだ聞きたいことはあるのだが、どうすべきか、頭が上手く働いてくれない――
「――最後に」
「え?」
「神器――……これは……、ただの、武器……では無い……。
高位の、鑑定スキルでも……看破できな、いことが……たくさん、ある、のだ……。
……神器の、錬金術師よ……それが、貴女の……作ったもの、だったと……、しても――…………」
――……言葉の途中で、シルヴェスターの命は絶えた。
少しの疑問は解決したが、多くの疑問が出来てしまった。
……しかし今は、せめて目の前の『英雄』に祈りを捧げよう。
願わくば偉大なる英雄が、次は平穏な人生を歩めるように――




