450.背神の英雄③
私たちの前に現れた不思議な人影は、時間を経るに従って、少しずつその姿をはっきりさせていった。
そして最後に、一人の男性が姿を現す――
……青年よりも成熟した風貌。中年よりも若々しい風貌。
力の旺盛を極めた瞬間――……そんな空気が伝わってくる、圧倒的な存在感。
「――……これはこれは。私の帰還を待っていてくださったのですか?」
最初に口を開いたのは、目の前の男――……英雄シルヴェスターだった。
丁寧な口調の中に、鋭い殺気のようなものが含まれている。
『英雄』とは言っても、以前私が対峙した英雄ディートヘルムとは空気感がまるで違う。
ディートヘルムは火のような荒々しさを持っていたが、シルヴェスターは水のような静かな空気を纏っている。
しかしただの水ではない。暗い、重い、そんな水――
「初めまして、私はアイナ・バートランド・クリスティア。
あなたのことは以前、クレントスでお見掛けしたことがあります」
「ほう……。もしかして、ヴィクトリア様から過大な歓迎をして頂いたときですかな」
シルヴェスターは話をしながらも、辺りの様子をゆっくりと窺っていく。
そして最後に、私の傍らにいる人魚――マイラさんに目をやった。
「……マイヤさんは私の仲間ですので」
私の言葉に、シルヴェスターはすぐにその意味を理解した。
「はははっ、大丈夫ですよ。私はもう、人魚たちには興味がありません。
せいぜい、このまま静かに生きていけば良いでしょう」
「……ふ、ふざけるなぁああッ!!」
マイヤさんはシルヴェスターの物言いに我慢できず、水の魔法を一瞬で撃ち出した。
しかしシルヴェスターは、それを何ともないように、最低限の動きで避けていく。
「――殺されたいのですか?」
「っ!!」
シルヴェスターの言葉に含まれる殺気が、一瞬にして溢れ出した。
一言だけで、この圧を出せるというのは――
「私の興味は本当に、もう人魚には無いのですよ。
『螺旋の迷宮』にはがっかりしました。あんなにまで人間を拒絶しているのだから、私の求めるものがあると思ったのに……」
「あなたは何を……? 何を求めているんですか……?」
私の口から、自然とそんな言葉が出てきた。
興味本位というところもあったが、しかしこんな場面、それだけで動くわけも無い。
もしもここでシルヴェスターをどこかに行かせたら、彼の目的によっては、再び私たちと衝突することも有り得る。
加えて彼は、マイヤさんの……人魚たちの仇。
心情的にも、マイヤさんを仲間だと思っていればこそ、このまま行かせるのは難しいものがあった。
「君には特に言う理由は無い――
……いや? 名前が確か……。そうか、君が新しい神器を作った錬金術師でしたか」
言葉の途中で、シルヴェスターの私を見る目が鋭くなった。
ここでようやく、私は彼の興味の対象になったのだ。
「ダンジョンの中でも、『世界の声』は聞こえていたようですね」
「ええ。私も話には聞いていましたが、まさか本当に実在するものだったとは。
……それにしても、そうですか。神器を作って……そのあとの『疫病の迷宮』も、あなたが?」
「さぁ? どうでしょうね」
個人的には、『疫病の迷宮』の方に話を持っていって欲しくなかった。
シルヴェスターは『螺旋の迷宮』を『殺して』しまったのだから、リリーのことを知られてしまえば、どう動かれるかが想像が付かないのだ。
「……ふむ、実に興味深い。
それに君の後ろの青年も――実に良い顔をしています。
手に持っているのは新たな神器ですか? そういえばディートヘルムの神器……神剣カルタペズラは消滅したようですし……。
まったく、私のいない間にいろいろなことが起きているものだ……」
そう言うとシルヴェスターは、腰の鞘から美しい剣を抜き放った。
神剣デルトフィング――それを見るのは、私も半年以上振りだ。
まさかあのときに見た神器が、私たちに向けられることになろうとは……。
「その剣を収めてください。
アイナ様に害意を向ける方は、私が許しません」
そうは言いながらも、ルークは神剣アゼルラディアを手にして、シルヴェスターの前に立ちはだかった。
人数としては7対1。圧倒的な差はあるものの、しかし相手は一人で迷宮を踏破した英雄――
「その意気や、良し。
君は仕える主を見つけているのですね。実に羨ましい」
「そういう貴方こそ、世界でも名の知れた英雄です。
仕える先など、いくらでもあったでしょう」
「ふっ。権力や富ばかりを見ている連中なんて、仕えるには値しないものですよ」
シルヴェスターは事も無しに言った。
彼ほどの実力者になれば、権力や富では心が揺らがない。
やはり人間的に、心から尊敬できる人でなければ仕えられない――そんな感じなのだろうか。
「何を上から……っ!!
アンタだって、何を探しているかは知らないけど、よくも私の仲間を……ッ!!」
マイヤさんの絶叫が響いた。
それはそうだ。シルヴェスターが何を思い、どう動こうが、それは他人には関係が無い。
しかも同族を殺されたとあっては、感情のやりどころなんて限られてしまう。
「……たかだか100程度の命で、何を喚いているのやら……。
しかも世界から隔離されていた連中。そんな存在が、私の邪魔をするだなんて言語道断――」
「黙れッ!! アンタはもう口を開くなッ!!」
その言葉と同時に、マイヤさんの周囲には大量の水の矢が宙に生まれ、シルヴェスターに襲い掛かっていった。
しかし一瞬後、すべての矢は彼の剣によって散らされてしまう。
「くっ……!」
「――アイナ様、やはり凄まじい剣の腕です。
ディートヘルムとは、強さの格が違います」
ルークが私に向かって、声を小さくするように言った。
何だかディートヘルムさん、いちいち引き合いに出されて可哀想だけど……しかし、敵の実力の指標としては優秀だ。
「……勝てそう?」
「負けるわけにはいきません」
私の言葉に、ルークはすぐに答えた。
しかしそれは、果たして答えだったのだろうか……。
「ここは僕も手伝うことにしようかな♪
ルーク君ばっかりに格好付けさせるわけにはいかないからね」
ジェラードはルークの横に立ち、短剣をくるくると舞わせてから右手で受け止めた。
情報収集や女性の扱いが得意な彼ではあるが、剣術も一級品なのだ。
ルークとタイプは違うけど、その腕は互角――いや、今はルークの方が上だったっけ。
「……おやおや、二人ともやる気ですか。
アイナさん、ここは手を引いて頂けませんかね?」
ここで一旦、シルヴェスターが状況打破の提案をしてきた。
……私は、どうしたい?
マイヤさんの仲間たちの仇を討つ?
放っておくと危険だから、ここで倒してしまう?
危険は避けて、彼とは戦わないことを選ぶ?
……こんなところで誰かが死んでしまうのは、どうしても避けたい。
だからといって、このまま目的の分からない彼を行かせるのは危険な気がする。
つまり、やはり私はシルヴェスターの目的を知りたいのだ。
「……私たちも戦いたくはありません。
でも、マイヤさんたち――人魚に手を掛けたのは許せません。
その理由を教えて頂けますか?」
「なるほど、そこを落としどころにしたいのですね?
――では、その提案は却下いたします」
「っ!?」
正直、この提案くらいは受け入れてくれると思っていた。
しかし、結果はあっさり却下――
「君の後ろにはまだ、得体の知れない方が二人もいます。
アイナさんを含めた三人は、実に興味深い。
……だが、他の者は凡庸。私がここで殺してしまいましょう」
「なっ、何でそうなるんですか!?
あなたは英雄とまで呼ばれた人間でしょう!?」
「ははは、人間の世界での呼び方なんぞに深い意味はありません。
英雄なんて称号は、この神器を手にするための手段。それ以外には、特に深い意味なんてありませんよ」
シルヴェスターは剣を構え、静かに腰を落とした。
これが彼の、攻撃に入るための姿なのだろう。
ここからはいつ、どんな攻撃が飛び出してくるのかは想像できない。
そんな中、エミリアさんは慎重に支援魔法を掛け始めた。
「……目的が分からないまま、ここから帰すことはできません。
あなたと戦って、その目的を――聞き出します!」
「なるほど、なるほど。
確かに神器なんて代物を作るお嬢さんだ。
良いでしょう、私も三人の方には用がある。堂々と戦って、その身柄を拘束させて頂くことにいたしますよ」
シルヴェスターはまるで問題が解決したように、満足しながら頷いた。
勝った方が、自分の目的を果たすことができる。
仕方ない、ここは戦うしか……!!




