448.背神の英雄①
「今回の滞在は楽しかったですねぇ♪」
「うむ、妾も大満足じゃ!」
1週間の滞在も再び終わり、今日はまたクレントスに戻る日だ。
たくさんの仕事を手伝えたし、お祭りの企画も成功した。
さらに私のお店とお屋敷が、スケジュールよりも1週間ほど早く完成する見込みになっている。
このまま何も問題が起こらなければ、次に戻ってくるときにはきっと完成しているだろう。
その兼ね合いから、クレントスに戻るのは今回を最後にして、向こうのお屋敷を引き払うことも検討しているところだ。
「――アイナさん! 次こそは頼みますよ!」
出発のとき、見送りにきてくれたポエールさんが言った。
何を頼まれたのかといえば、前回結局決めることのできなかった、街の名前のことだ。
「すいません、なかなか良いものが浮かばなくて……。
街の名前、たくさん考えているんですけど……」
「お気持ちはお察しします。しかし宣伝のこともありますので……」
「うぅ、名前が無ければ宣伝しにくいですもんね。
……次こそは考えてきますので! 次、ここに戻ってきた瞬間にお伝えできるようにします!」
「分かりました、その勢いでお願いしますね!」
「私も案を出しますから!」
「私も出すのっ!」
エミリアさんとリリーも、元気に協力を申し出てくれた。
今回付ける名前は仮のものだし、みんなで考えるっていうのも良いかもしれない。
「――あれ? 何だか曇ってきましたね」
話の途中、不意に太陽の光が遮られた。
いつの間にやら薄暗い雲がこの辺りを覆っていたようだ。
「わー、雨が降らなければ良いですね。
アイナさん、もう出ちゃいますか?」
「そうしますかー」
雨が降るのであれば、早々にここを発って、早目に次の宿場まで行きたいところだ。
天気が悪いと移動するスピードも落ちるし、時間に余裕を持たせないと――
「……いや、これは……おかしいな?」
「なの……」
グリゼルダに続いて、リリーまでもが不安そうな声を出した。
「え? 何かおかしいんですか?」
晴れていたのが曇った。
……そんなの、よくあることじゃない?
「大変だーっ!!
アイナさん、ポエールさん、大変だっ!!」
「「え?」」
私の質問が答えられないまま、土木職人の男性が私たちのところまで走ってきた。
息を大きく切らせており、かなり急いできたことが窺い知れる。
「えっと、どうかしましたか?」
「どうもこうも……!!
……ああいや、ここからは海が見えないのか!」
「海? 海で何かあったんですか?」
「ああ! 突然、凄い勢いの海流が生まれて……!
それに、少し遠くには巨大な渦が現れて……!!」
その瞬間――
ズン……ッ!!
――どこからともなく、重い揺れのようなものが辺りに響いた。
「……っ!?
地震!? ……いや、空気が揺れた……?」
何とも形容し難い感覚。
……いや、重低音の音を間近で大音量で受けた感じ……? イメージできる中で、一番近いのはそれだろうか。
「おばちゃん、これって……」
「ああ。空間干渉、じゃな」
リリーの不安そうな声に、グリゼルダが空を見上げて呟いた。
「空間干渉? ……えぇっと、どういうことですか?」
「ああっ!! それとですね、もうひとつ凄いことがあったんです!!」
……私の質問を無視して、再び土木職人の男性が興奮気味に言った。
これ以上、まだ何かがあるというのか。
「それも、凄いこと……ですか?」
「はい! これはちょっと口で言っても信じられないと思うので……、申し訳ないですが、一緒に来て頂けますか!?」
これからクレントスに戻るところではあったが、今はどう考えても緊急事態だ。
私たちで対応が必要なことがあるのなら、戻る予定を後ろ倒しにすることも検討しなければいけないかな……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――もうすぐです!!」
土木職人の男性に連れて来られたのは、波の音がやたらと五月蠅い浜辺だった。
海は大きく荒れ狂い、確かに少し離れた海上では大渦が巻き起こっている。
……それに心なしか、さっきいた場所よりも薄暗い。
何だろう? 何だか不自然に暗いというか――
「確かに凄い荒れ様ですね……」
「それはそれとして、あちらへ!!」
男性は、もう少し先の浜辺を指差した。
そこでは5人ほどの人たちが、打ち上げられた何かを覗き込んでいるようだった。
しかし海はこんな状態だ。何があるにしても、さすがに危険なのでは……?
「こんなところで何をしているんですか? 早く避難しないと――
……っ!!?」
『それ』を見た瞬間、私の言葉は止まってしまった。
その様子を見て、職人の男性が言葉を続ける。
「アイナさん、ポエールさん。
俺たち、こういうのを見たのは初めてなんですよ……。どう扱って良いのか、分からなくて……」
……確かに初めて見る人は驚き戸惑うだろう。
私だって、初めて聞いたときはその存在を信じることができなかったのだ。
――かつての伝説にしか登場しない存在……人魚。
私は以前、見たことがある。
しかしそれは、ここではない別の世界で、だ。
もしかしたら、あの世界にいた人魚ではないのかもしれない。
だって、あそこに暮らす人魚たちは、この世界との行き来ができないのだから。
……その人魚は意識が無いようだった。
身体のいたるところに傷があり、激しい戦いの様子を窺わせる。
――脈はある。死んでいるわけではない。
何はともあれ、それだけは不幸中の幸いだった。
私は高級ポーションをアイテムボックスから取り出して、人魚の顔に貼り付いた長い髪を手で整えながら、ゆっくりと飲ませていった。
そして気付いた。
……私はこの人魚の顔を、知っている――
「マイヤさんっ!!?」
それは私が、『海鳴りの竪琴』を使って行った先で出会った人魚の少女。
高級ポーションの効果によって、柔らかな光が彼女を包み込む。
できればこのまま休ませてあげたいところだけど――確かにここにきて、人魚の扱いがよく分からない。
人間であればベッドに寝かせるけど、人魚ってそれで良いのかな……?
人魚を見たことのある私でさえもそれなのだから、人魚を初めて見る土木職人たちでは、やはりどうして良いのか判断は付かなかっただろう。
一番判断ができそうな人といえば――……なるほど、確かに私たちになりそうだ。
「う……」
マイヤさんを抱きかかえながら、これからどうしようかと話していると、不意に小さな呻き声が聞こえた。
見れば、マイヤさんが唇を震わせながら、何かを伝えようとしている。
「マイヤさん! マイヤさーんっ!!」
「……うん……? ……アイナ……さん……?」
「うん、そうだよ!
何があったかは分からないけど、もう大丈夫だから!
……ひとまず、休もう?」
「……休む……?
だ、だめ……。私、戻らないと……」
そう言いながら、マイヤさんは彼女の腕に力をこめた。
しかし、か弱い力を感じるだけで、私の腕からは離れることができなかった。
「傷は治したけど、そんな状態では無理だから!
それにそもそも、何でこっちの世界にいるの!?」
「――っ!?
こっちの世界――……」
私の言葉に、マイヤさんは驚きの表情を見せた。
今の今まで、こちらの世界にきたことに気付いていなかった――……そんなふうにも見受けられる。
「……あ、ごめん……、私も少し興奮してしまって……。
落ち着いてで良いから、何があったのかを教えてもらえないかな?」
「ここは危険……。アイナさんたち、逃げて……。
私は戻らないと……。みんなが、危ないの……」
「もう! だから、まだ無理だってば!
一体、何があったの!?」
「……あいつが、戻ってきたのよ……」
「あいつ?」
私の言葉に、マイヤさんは悲しみのような、絶望のような、そんな表情を浮かべてから――
「シルヴェスター……。
あいつが、『螺旋の迷宮』から戻ってきたの……」




